名前を間違える

noteはメモよろしくなるべく推敲をせずに
はてなブログはお笑いのことだけを
twitterは本当に思ったことを思ったままに
インスタにはケーキのことを
Facebookは限定的な何人かの顔を浮かべながら

こんな風に「書く」生活を送っているとせめて「テンポよく読める文章を」というはかない願いも打ち破られることになってしまっています。読みにくい文章が量産されていきます。数打ちゃ方式でたまに「テンポよい」やつが出来上がることを祈るばかりです。一年って驚くほど長い(価値観や付き合う人が大きく変わるくらいには)ので2019年末には「年初にあんなこと言ってたな」とテンポよい文章の中で振り返るなんてこともあり得るって思っておくと簡単に幸せになれるのが、ここ最近の私です。

さて結局答えの出ないことを考えてしまったのでメモっておこうと思います。

私は「ぴろよ」というニックネームで生活しています。「裕代」という本名があります。音が間違えられることはあまりないのですが「ピロヨ」とか「祐代」とかっていう表記ミスはしょっちゅうです。LINEで多いですが公的な文書にもミスはあります。

その時何を思うか。
ひらがなの方が座りがいいのにな。裕って漢字好きなのにな。

くらいです。次から直してよって訴えることもあります。ただ間違え続ける人は間違え続けます。まあしゃーないです。書きたいように書けばいいですよ。

話を変えるようですが、私には「IT研修講師」という肩書もあって、要するに企業にお勤めの方にITに関するアレコレをお伝えする立場だったりもします。企業にお勤めの・・・あたりはすごくキモです。このワード起点で変わった話がじょじょに元に戻っていきます。4月に新入社員を迎える多くの企業のお陰で「新人研修期」という繁忙期が訪れます。普段IT業界で闘ったりなんとなく漫然と過ごしたりするための知的体力増強やヒントになるようなことに焦点を絞ってメッセージを伝えていれば私は心の底から「IT研修講師」という立場を全う出来ている気になれるのですが、この「新人研修期」には新入社員=「社会人経験がないとされる人々」と見立て、そんな彼らに「社会人の常識」をお伝えするというミッションも期待されます。自覚の範囲内ですがそこそこの常識人ではありますので、なんの疑いもなくその常識を飲みこんできた時期もありました。ただ皮肉なもので「伝える」という立場になってからというものの、やたらとその立場に責任を感じ「常識」というやつにイチイチ疑問を持ち、ネチネチと吟味し・・・そんなこんなを繰り返して講師生活10年前後を迎えた今、いわゆる「社会人の常識」をそのままお伝えすることは稀になってしまいました。別に反抗したり覆したりするわけではないですが、頑なに常識とされていることでも自身の考えに反する様であればお伝えしないか自分の考えだと前置きした上で持論を述べたりするようになっています。割と多岐にわたる分野の講師を担当しますがマナー分野をお断りする理由はこのあたりだと思っています(余談ですが財務会計は専門知識や実務経験に乏しいので担当しないようにしています)。

さて4月新人期、話題に上りがちな「名前に関する細心の注意」
・先方がこだわりを持って命名した企業名の表記ミスはもってのほか(キユーピーのユが大文字であることが雑談にまざる、なんてのは研修講師あるあるです)
・担当者の名称の誤字脱字はありえない

等々ですね。
わかる気もします。正しく表記するというのはそれだけ相手に対する興味関心が高いという表れの気もするんです(敢えて絶対に敬意とは書きません)。
人柄とかエピソードに強烈な興味関心があったら、名前の表記程度にそこまでとらわれない気もするんですよね・・・ってあっという間に覆るような弱い「気がする」。

名前を正しく表記する程度で「敬意」が表せるなんて思ってほしくないです。完全に個人的な考えですけど敬意って表そうと思って表しちゃダメなんですよ。簡単な手法に走ってしまいますからね。敬意なんて結局のところ、持つものであって見せるものではないんです。見せなきゃ伝わらないのであればそれまでの思いか関係だってちょっと反省したり自分を恥じたりした方が良いと思って言います。どうしても見せたいのであればトライ&エラーでなんとなく身体に染み込ませていくものでしょうね。さらに名前を正しく表記しなかった程度で例えば契約破棄に至るような企業(の担当者)って器が小さくないですかね。あと名前を間違えられて異様に怒るって、彼氏の浮気におびえまくっているか相当なトラウマがある彼女を真っ先に連想しちゃうんですよね。

10年前だったらこんな風に考えなかったかもしれません。ただ最近ちょっとミスに対する執拗なこだわりがいやな風に目立っているように感じています。デマに対する怒り(ここまでは至極真っ当でした)がちょっとしたミスも許さないみたいな風潮に繋がり、今のちょっと息苦しい世の中になっちゃったのかもしれないなと少しうんざりしているところです。そんな世の中にあってさらに「名前間違えるな!」って声高に叫ぶ必要ってあるんでしょうか。

間違ってしまったらきちんと「ごめんなさい」と言える教育の方がよほど有益に感じませんか。と言いたくなるくらいの考えの偏りが今生まれています。

ピロヨも祐代も、嫌か嫌じゃないかって聞かれたらイヤですけど、でもそこまでこだわることでもないんですよね

とか

つい先ほどいってきたお笑いライブでデカデカとコンビ名を間違えて表記されていたコンビがさほど気にしていないように振る舞っていたのがとても好意的にみえたんですよね

とか

非常に小さい体験で「社会人の常識」を覆そうとは思っていないんです。まだ疑問の途中です。ただ2019年の新人研修では「名前を絶対に間違えるな」というトーンでは話をしないと思います。

こんな風にちょっとした疑問を放っておいたままにせず
ウソの少ない生き方が出来ればいいなと2019年だけでなく人生全般を通して思うのです。
あとなるべくテンポのいい文章を書けるといいな、と。

私はまだ考え続けますけど皆さんはどう思いますか?で〆ればいいのかな。

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