「人」の部分への興味 天地人「人」としてのツアーコンダクター

こんばんは!

相変わらず雨もあまり降らず、蒸し蒸しする日が続いていますね。

私は外仕事なので、肌の黒さだけが日に日に濃くなっていきます。

夏が終わったら冬に向けて肌を白くしなくては。


さて、突然ですがやりたい事が出来、ホームページを作り始めました!

慣れない作業で四苦八苦中ですが、公開出来るまでは頑張りたいと思います。


前情報なしで実際作成してて思った事です。サイトの方向性を決める為にテンプレからテーマを選ぶのですが、本当にレベルの高いサイト内容のテンプレがありますね!そのままでも、満足出来そうなくらいのサイトイメージがゴロゴロ転がっています。

見た瞬間私も目がキラキラ(してるはず)しながらイメージを見てました、これは完成が楽しみです。



さて、今回はサークル入部からツアーコンダクターの仕事を始めるまでをかきます。


(ちょっと時間飛ばします。)


なんだかんだあって2浪が確定しました。

サークルも楽しくとても良い仲間たちに会えたと確信しています。

ですが、この時に希望の法学部に入学して、元々なりたかった法律関連の仕事に疑問符が生じたのでした。

当時の、私には法律について先入観がありました。法律というのは全て〇〇してはならないという表現が使われています。つまり法律とは不幸にならない為のガードレールと言えます。※1。これでは、不幸になる人を待っていて救ったとしても、楽しい・幸せと感じる人を増やす事は出来ないのではないか。守りの姿勢ではなく、もっと積極的に攻めの姿勢で人を楽しませる方法はないか、と考えました。

そこで2浪が決まった冬。流石にこのまま何もせず卒業したのでは、レッテルを貼られてしまうと思ったので、卒業した時に手に職つけた方が良いだろうと考え、どんな事を今から学ぶべきかと模索する日々が始まりました。

その中の一つで、学校にある掲示板に貼ってあった

「外国語ガイドと行く都内バス旅行」

という紙が目に入り、なぜか行ってみようかなという気になったのです。

元来私はイベントの幹事等をやる事が多く、人を楽しませるのが好き、というのが根底にあった事を無意識的に分かっていたのではないかと思います。そこで、人に光を見せる観光、そしてそれを推進する旅行業界を勉強していた私は、旅行業界の新しい形である、MICEに注目しました。

MICEのスタッフとして働けないかと探した所、渋谷に添乗員派遣会社を見つけました。そこで、ある日の休み時間に添乗員派遣会社に電話したのです。

この時、大学5年生(4年生・1留中)の12月でした。

意を決してかけた先で電話口に出た人が、とても面白い人だった事を覚えています。そこでの話を要約すると、

「MICEスタッフは学生では出来ないから紹介は難しいけど、添乗員なら出来るよ。」との事でした。

本当にアホな話なのですが、その添乗員という響きが私的には嫌いではありませんでした笑。最初聞いた時は、「天上院・・・カッケーな。」みたいな笑

日本の歴史で出てきそうな人の名前ですね。

また、英語名のツアーコンダクターという言葉も同じです。オーケストラサークル中、指揮者のことはコンダクターと呼ばれていました。なので、どちらの言葉も悪くないなと思ったのです。

後日、事務所に行き面接は合格しました。そこで、それからの流れとして旅程管理主任者研修というのを受けて来年デビューの仲間と一緒に来年の2月デビューというのが決まりました。


そして、2月になり同期の仲間と顔を合わせてみると、予想してなかった事なのですが本当に様々な経歴の人ばかりでした。話を聞く度に、こんな事も出来るんだと、私の世界を大きく広げてくれました。同期は全部で8人いたのですが、男女比は女性の方が6人で多かったですね。

2月は添乗員会社にて、去年受けた旅程管理主任者の講義とは別に、各クライアントでの注意事項やトラブルのケーススタディ。そしてそれを終えた後、添乗員として1人でツアーを率いるの最後の研修、実地研修を行います。流れとしては、添乗員役を8人で分担してツアーを進めて、要所要所で他3人の先生役の方が教えてくれる、という幹事です。

参加者は、8人の同期と添乗部の部長1人、そしてアサイナーと呼ばれる、実際に我々添乗員をツアーに割り振ってくれる方2人を含めた、合計11人で実際に観光バスに乗っての研修を行いました。大型バスをこんなに少人数で乗った事も新鮮で、また伊豆への河津桜ツアーだった為同期8人はしゃいでしまい、先生役の方にピリッと言われる場面も。

そして事故なく、帰路に着くわけですが、そこで部長から前のマイクで誰か歌えとの指令が来ました笑、ホントこの歳のおじさんの盛り上がってる時の無茶振りは困る笑、とその後のツアーの片鱗を予感させるような出来事でした。

そこで、皆んなが拒否する中、

私にも、お前どうだと言われて

ミスチルのシーソーゲームを歌いました(笑)

元々緊張しいだったのですが、そんな性格を変えたいと、大学のオーケストラサークル時からある試みをおこなってきたんですね。それは1年間の半期ごとに納会という振り返りがあるのですが、事務的な手続きが進んだ後、好きな人とユニット組んで50人くらいの部員が椅子に座る前で、視線を感じながら披露する事ができます。そこで私は必ず1人で、皆んなの前で曲を披露するというような、自分への試練を課していました。時にはソロギターを弾いたり、弾き語りをしたり。緊張で指が止まってしまう事もあったのですが、皆からの暖かい声援を受けて、弾いていました。弾き語りで、指が止まり、ただ歌った時は、流石に爆笑されました笑


そんな経験がありました。後は、「まぁみんなが白けた顔しても、ミスチル歌えるからいっか」という気持ちもあり覚悟が決まり、皆の手拍子のみで歌いました。

その結果、意外にも反応はよく、「お前度胸あるな」、だったり「俺もミスチルのシーソーゲームが一番好き」だったり、意外と評価は良く顔がニヤけたのは覚えています。これがキッカケで皆とより親密に慣れた気がします。

意外と歌の中身も自信あったのですが、そこには誰も触れず笑


そこから、そんなこんなで、私の大学6年生兼ツアーコンダクター生活がスタートするのでした。


<次回の記事>

https://note.com/piroro03/n/n84ecba2e0670


※1

当時の私の考えなので稚拙です。

今では、「法とは人にこうあって欲しいと願う立法者の願いが込められている、という素晴らしい物である」という事を理解しております。




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