人といっしょにくつろぐ努力をする。
今日は「 #NPO法人ぱぱとままになるまえに 」の新しい活動、 #ぱぱままアワー を開催しました。
おとな8人、こどもが2人。合計10人のちいさな場。
円になって座り、あとは、各々が過ごしたいように、過ごす。というシンプルなもの。
話したければ話せばいいし、したい話がなければ、聴いてるだけでもいい。庭をながめて風を感じるだけでもいい、という、意図のない場。はじめてひらいてみました。
わたしは、最近、ブログにも書いたのだけれど、「育児、ツライ!」と感じていたときがあって、その渦中に、『わたしは、ぱぱままのような活動をしているのに、それなのに、こんなに育児が辛くって、しかも、誰にもヘルプを出せないなんて…』と打ちのめされました。
これまでの自分を振り返って、後悔?反省?をした。
わたしは、人と会うとき、ちょっぴり“覚悟”を決めてから会っていた。
自分のコンディションがバッチリなとき。良い状態で在れるとき。万全な状態のときに、人に会ってた。
人に会うときには、ちょっと身を固くして、(しているつもりはなかったので、固くなっちゃっていて、かな。)
人と会うときは限られていて、“人に見せないわたし”があった。
けど、最近読んでいる児童精神科医の佐々木正美先生の本に、「人といっしょにくつろぐ努力を」という一節があって、それを読んで、わたしの意識は、だいぶ変わった。
公園で知らないママや子どもに会ったとき、電車の中で声をかけてくれる人たち、その他ふつうの友だちに会ったときにも。
わたしは、「人といっしょにいながら、くつろぐ努力をしてみよう」と、そのことを自分に課したら、逆に、だいぶ楽になった。
ぱぱままの活動は、自分でやっておきながら、「自分の子どもがいると、子どもに意識がいっちゃって、参加者の人や、目の前のことに集中できない…」と思って、ぱぱままの場に子どもを連れていくのを避けていた。
だから、「育児、ツライ!」となった日常で、ぱぱままの活動や場で出会った人たちに、声を出すことができなかった。
強い、と思っていたけれど、“人に見せない(万全な状態じゃないかもしれない)わたし”で会えないことは、逆に、とっても弱いんだ、ということに気がついた。
いい活動をしておきながら、(すみません、自分で言います。w)それを非日常にしていたのは自分だった。
今回、新しい企画をはじめるにあたって、「子連れ参加はOKだよね?」と当たり前のように言ってくれる意識でいてくれたぱぱままの仲間や、「子連れでいくね」と言ってくれた他の参加者の人たちに励まされたような想いを抱き、『わたしもわたるを連れて、今回の場にいてみよう。』そう思えた。
思わせてくれた皆さんに感謝しています。
実際、連れて行ったら、みんながつくる円の中で、くるくるニコニコとあそぶ我が子をみて、とっても、“くつろいだ”。(オットが協力してくれたのもデカい。ありがとう!)
子どもがいると、どうしたって意識はもってかれるし、目や手が離せない場面はあるのだけれど、それでも、みんなの中で親子でくつろげたらいいなぁと思えた一日でした。
タイムスケジュールも、意図もなかった場。
参加してくれた皆さんにとって、それぞれに収穫があった時間だったらうれしいなぁ。
またやります。ぜひ、くつろぎに来てください。
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