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5年前の今日に感じたこと

5年前の今日。

その日はとても寒くて、手袋無しでは、手が凍るほどの日。

そんな日の朝ごはんこそ、あつあつのご飯と温かい味噌汁。喉を通る味噌汁が温かく、だしが染みる。歯磨きやトイレを済ませ、私は手袋を握り、ドアを開けた。

「さむっ」

寒かったので一旦ドアを締め、玄関で最近買ったランニングシューズの紐をきゅっと締める。

さあ!
寒さに立ち向かい、出発だ。

約5km、桜島を眺めながら家の近くを走る。お気に入りのマイコースがある。

3kmほど夢中に走り切ったところで、涙が溢れてきた。泣きそうになっている顔を、すれ違う人に見られたくないから、さらに走るスピードを上げる。余計に息が切れて、寒くて鼻水も出てくる。

うぅっ、、!!

さっと手の甲で涙を拭いながら、鼻をすする。息が苦しくなって、歩き始める。

とぼとぼと歩き、桜島を眺めながら、息を整える。

・・・

前日、担当の患者さんが亡くなった。

多分、医療に関わる人はみんな体験する生と死。私はこのとき、学生を終え、初めての冬を迎えるときだった。亡くなる患者さんをみるのは初めてじゃない、毎日起こりうること。初めてではなくても、いつだってどんな人だって胸が痛くなる。


走りながら感情が高ぶったのは、純粋に悲しいという気持ちだけではない。

リハビリの担当として精一杯、その人のためになることができたのか?、もっとどうすればよかったのか?、という後悔や自責の念、、

その日はそこから派生して、今までのこんなことが走馬灯のように駆け巡っていた。

目で見た光景がはっきりと、イメージとして脳内にフラッシュバックする。

・・・

夕飯後、少し声をかけに行こうと病室を覗くと、動かない脚を叩きながら、畜生!、と言って他の人に聞こえないように静かに泣いてる鈴木さん。

呼吸器(自分で呼吸がうまくできない方が使う機械)をつけて、座るだけでも息があがって、必死に呼吸をしている田中さん。

1人で歩くとまだ転倒リスクが高いとわかっているけど、下の世話はされたくない、と、壁を伝いながら歩いてトイレに行く山田さん。

あんた、誰?と毎回同じフレーズで始まり、毎日自己紹介から始める谷口さんのリハビリ。

自分で食べたいから、と、1口、口元へ手を運ぶだけでも全力の東さん。

平行棒の間を、全力で抱えながら歩きつつ、「足が浮いている、地についている感じがしない」と言う山中さん。(全て仮名)

・・・

動きたくても動けない

運動麻痺

呼吸のしづらさ

著しく低下した筋力

脳の判断能力の低下

感覚の麻痺

・・・

私は心臓の鼓動を感じる、息が思いっきりできる、息が上がっても制限なく動ける、手足を好きなように動かせる、足裏の感覚がある、声を出せる、味噌汁が美味しいと感じる、トイレに自分で行ける、靴紐を結べる、お風呂に自分で入れる・・・


日常の動き、


できることが当たり前になっている。


私はこの自由に動かせる身体をありがたいとも感じてなかった、嬉しいとも思ってなかった。いや、正しく言えば思うきっかけがなかった。

階段は面倒ですぐエスカレーター。筋トレは面倒くさい、ストレッチはたまに。集中して5時間以上座りっぱなし、自宅では手の届くところにモノを置いてできるだけ動く範囲を最小限に。食事はできるだけ安くしたいから高いお肉や魚のタンパク質は最小限、たまにお菓子で済ます。


怠惰な自分に腹が立ってくる。
その悔し涙だった。

・・・


動けない方々の分、動ける私たちこそ、必死に動くべきだ。

なんて、、

今日はそんなことを言いたいんじゃない。


人は「これはしなきゃ」と、必要性は分かっていても、
仕事に一生懸命すぎて自分の体を粗末にしたり、栄養の偏った食生活になったり、運動は嫌いだからやらない、ストレスでどうしようもなく何もできない、となることがある。

病気にかかったことのある人、
障害を負ったことのある人、
身近な人が障害や病気と戦っている人、
そんな方々は、自分の健康に気をつかう人が多い気がする。もちろん全員ではないのですが、そうでない人より、思い入れが違う。


どうしてだと思いますか?


元気な体が、どれだけ恵まれたものなのか、身をもって実感して、
健康であることへ喜びを感じ、
健康である体を、身に染みてありがたい、と感じているから。と、私は思います。

実感が無い人ほど、なかなか自分から一歩を踏み出せていない気がします。

元気な体であるときはなかなか気付きません。故郷や親、友人、大切なモノや人と別れて初めて必要性や存在の大きさに気付かされる、そんな感じ。何も問題がなければ、それが自分にとって当たり前だから重要性に気づきにくい。

40〜50代になって、健康のために体づくりをする人が増えるのもそのせいもあると思います。

自分自身の体の衰えや不調を感じ始めるし、周りでも病気を患う人が増えてくる。残りの余生、自分で好きなことをするには、できるだけ元気な体が必要だ、と感じる人が増える。だから健康のために、食事や運動、ストレスコントロールをし始める。

体調を崩してから、
体づくりの必要性に気づくこと、
それももちろん悪くないと思います。
人生で起きることは、もし最悪なことだとしても、皮肉にも、なにかの学びやきっかけに繋がることばかりだと思うので。実感した方が必要性に気づきやすい。

でも、
「体調を崩す前に知りたかった」
そんな方がいるならば、私は全力で体づくりのいろはをお伝えしたい。

だからその手始めとして、わたしが

「運動しましょうね」と言っても、その言葉は風とともに流れて消えていくだけ。

まだ気付いてない人へ言っても、なかなか響かない言葉です。


まずは動機付け。
何のために運動が必要なのかを気付いてもらわなければ、いくらこちらから促そうと、その人は自ら行動を起こしにくい。


あなたの体や習慣を見つめてみましょう。

深呼吸できますか?

スマホをタッチできますか?

触った感覚がありますか?

背すじを伸ばせますか?

トイレに歩いて行けますか?

お尻まで手が届き、自分で便を拭えますか?

寝返りがうてますか?

自分で食べ物を口へ運べますか?

パンツを自分で履けますか?

文字が読めますか?

声が出せますか?

凝ってる筋肉はありませんか?

ストレッチできますか?

筋力は弱っていませんか?

筋トレできますか?


つい今日も、一生懸命になると忘れがちなこと。

5年後の私は、パーソナルトレーナーとなり、初めて会った方の運動習慣を一通り聞いたあと、最後に決まってこれを聞く。

「運動できること、嬉しく思いますか?」


私は今日も喜んで体を使ってあげている。


あなたの身体は今日も喜んでいますか?


#一生使える体へ



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