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プロソフトダーツ選手 山口裕輝プロフィール

プロソフトダーツ選手 山口 裕輝(やまぐち ひろき)です。

わたしのプロフィールをご紹介させていただきます。

お読みいただけると嬉しいです!

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私は、神奈川県横浜市を拠点にプロソフトダーツ団体【PERFECT】のツアートーナメントを回っております。

2014年からトーナメントに参戦しており、2019年のシーズンは年間ランキングは【 203位 】です。

13戦(35戦中)参戦し、予選通過が4回。最高順位が65位タイです。

ツアー1

この結果ではプロツアーの賞金だけで、もちろん生活できるわけがなく「ダーツの個人レッスン」もしながら生活しております。

また、YouTube「ぴろきのダーツ上達道場」も、2018年から細々と続けており、何とか収益化しておりますが月に1万円程度です。

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幼少期~現在、そして

私は、佐賀県佐賀市で生まれました。

佐賀県はというと

「 S A G A 佐 賀 っ ♪」で有名となった自然あふれる場所です(笑)

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実家も「みかん農家」でそこで私は自然からも両親からも愛され、何不自由のない生活をしていました。

自然が好きで、小学生の頃の将来の夢は「考古学者」か「天文学者」でした。

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野球との出会い ~

しかし、中学生になり「部活」という強制イベントがあり、初めて自分の人生に「競技スポーツ」というものがスパイスされました。そこでの最初の選択は「バレーボール」部でした。

本当は、野球をやりたかったのですが、その当時の野球部が「坊主頭」と「ヤンキー」文化で、どうしてもそれを選択できませんでした(笑)

野球をやりたいという思いは中学3年間で消える事はなく、思いは積もるばかりで高校で念願の「野球部」に入部しました。

しかし高校から野球をやるという現実は厳しいもので、3年間で練習試合を含め打席に立ったのはたった4回だけ(全て代打)という悔しい結果でした。一応「がばい旋風」で有名になった佐賀北高校でした。

がばい旋風

高校卒業後は、一浪して「福岡大学」に入学しました。そこでも私は野球部を選択しました。それは・・・

「大学野球で大活躍しプロ野球選手になる!!!」

という夢を叶えるため。

福岡大学は強豪大学で部員が100人以上、推薦入学者が8割いる環境。

入学当時はおそらく一番下手でした。部員全体の中で最下位でした。

本当に練習しました。死ぬほど練習しました。でも、

野球が出来る喜び!!上手くなる喜び!!

それが私の原動力となりましたが、現実はそう甘いものではありませんでした。

結局、25人の1軍選手になれず、2軍で5番レフトという最終結果でした。

ここでも、思い描いた夢を叶えることが出来ませんでした。

野球との別れ、ダーツとの出会い ~

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大学野球の後、四国の独立リーグのトライアウトを受けることも考えましたが、両親を安心させるため地元の大手企業に就職するという選択をしました。

大学野球を春で引退し、生活から「競技スポーツ」という彩りがなくなり、ぽっかりと気持ちに穴が開きました。

その時に出会ったのが「ソフトダーツ」でした。

いままで注いでいた情熱が今度はダーツに変わりました。

ダーツで初めてハウストーナメントに出た時、あのバッターボックスに立った時の以上の興奮を感じることが出来ました。

リーグ戦ではチームを支えるエースという経験も出来ました

今まで競技スポーツの中で陽の目を浴びない人生でしたが、初めてスポットライトを浴びました。

ダーツプロへの挑戦 ~

佐賀県で就職しましたが紆余曲折あり上京しました。埼玉にある「国立障害者リハビリテーションセンター学院」という所で2年間「リハビリテーション・スポーツ」というものを学びました。

野球に明け暮れていた時

「普通の人と同じ事をやっては絶対に追いつけない」

という所が原点で、スポーツ科学というものに興味を持ち、そこから人体のメカニズムにも興味を持っていたこともあり、それが仕事に出来ればと。

そこから東京で就職しました。

東京は本当に色んな人がいて、たくさんの刺激を受けました。

この頃から、ダーツが「インコイン制」から「投げ放題」へと変革している最中で、今まで以上にダーツを投げる環境が良くなりました。

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今まで以上にダーツにのめり込み

「 強 く な り た い 」

と考えるようになりました。

その当時(2014年)は、今よりもプロに挑戦するハードルが高くありました。

そのハードルの内容は

「結果も出せていない人間が挑戦する」

というものでした。簡単に言うと

「バカにされる」

というものでした。

でも

親友が私の挑戦を心から後押ししてくれ

から合格を喜んでくれました

頂点を目指して ~

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2020年現在(2020年4月)、現代の人類が味わったことがない未曾有の経験をしています。

世界からスポーツが消えてしまいました。

12歳からスポーツにずーっっと携わっている人間として、スポーツの魅力は誰よりも知っています。

また、その可能性も



プロダーツツアーが再開されたときに、たくさんの人を笑顔に出来るプロダーツ選手としてありたいと思っています。

なにより

「 家 族 の 笑 顔 」

をつくるために

ツアー初優勝

年間チャンピオン

という夢を叶えます。


最後までお読みいただきありがとうございます。

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