3月8日


今年も、この日が来た。

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あの日のことは一生忘れることはない。
だが、一方で私はもうそこまでWUGの話をしない。
あの物語は、あの日そこにいた人か、新しく気づいた人だけが知っていればいいと思っている。


私と古くからの付き合いのあるワグナーは、みんな新しい場所に旅立っていった。
もうWUGの話をしている人はほとんどいない。
まさに「上手に忘れて」いるのだと思っている。
私の方が、未だに擦っているくらいだろう。
自分の主催アニクラにこんな公募枠を設けたくらいだから。

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ただ、私は3月8日をただの美談にするつもりはない。
あそこに至るまでのストーリーは壮絶なものだった。

ワグナーが一枚岩なんて、そんなわけがない。
どれだけ監督のことで言い争った?
どれだけ新章のことで言い争った?
どれだけ現場のことで言い争った?
どれだけ売り出し方で言い争った?


3月8日は、その延長線上に明確な「終わり」という線引きと、彼女たちの想い、ワグナーの想い、当時の声優ユニット全体を取り巻く環境、周囲の関係者のご厚意、そのほか色々なファクターが効いた結果の奇跡に近い着地点だと思っている。
もっと凄惨な終わり方はいくらでも考えられた中で、望むべきほぼ最良の結果を得られたというのが私の正直な感想だ。
あの10ヶ月間を再現するのは、近年のオタクコンテンツではほぼ不可能だと思っている。

私自身も、ファイナルツアーを駆け抜ける中で以上のような考えを固めて、後腐れなく第2章へと動き出した。


誰でも読める場所にぴろー名義で公開するのはこれが初めてだが、私は趣味の延長としてプロのスポーツライターをやっている。
担当しているスポーツは夏季五輪採用種目。

率直に言えば、2020東京五輪、私は現場の中に入り、選手に取材できるチャンスがあった。
自分の力で世界中に発信するまたとない機会。
平時では考えられない一生に一度の経験ができるはずだった。

その機会は、2020年3月を境にするすると手から離れていった。
五輪が2021年に延期となった後も様々な可能性を模索していたが、開催前のデルタ株の広まりによってそれは決定的なものになってしまった。


この先の人生の全てを捨てる覚悟で向き合えば、現地にいる未来もあったかもしれない。
ただ、それは負わなくてもいいリスクを背負うことになる。何度も何度も気持ちは揺れ動いたが、落ち着く場所はいつも諦める方向だった。
なぜ諦めなければいけないのか。天災に近い避けようのない事態によって、私の夢は消えた。
それだけでなく、皮肉にもこの1年で多くのものを失った。
今までやってきたことが、全て無駄だったかのように。


失意の闇の中から、デカマクラプロジェクトは始まった。
それでも、希望はあると。

どれだけの絶望を見せられてからも這い上がってきた存在を知っているから。
3月8日は、別れの日ではなく、それぞれの決意の日。


1度目の「あの日」は、拡がっていく疫病と時代の変化に絶望するばかりだった。
2度目の「あの日」は、抗えない力によって決意を潰される恐怖との戦いだった。
3度目の「あの日」は違う。


今度こそ、自分の夢を叶える。
今の夢は、自分の誕生日イベントで、MOGRAを満員にすること。


創設1年未満のイベントがバックグラウンドも持たずに掲げる集客目標ではない。はっきり言って無謀に近い。
心の支えになっているのは、同じく「SSAを埋めるのは無謀」と言われた3年前、不可能を可能にした存在。

どうか、イベントの名前だけでも覚えてほしいし、この物語に加わるのはまだ遅くないと力説しておきたい。
3年前を経験したある男が、新しい物語を生み出そうとしている。
これは、激動の20代を上手に忘れるための、お祭りと、挑戦。

デカマクラの成否はここから先にかかっている。
箱に飛び出す勝負の3月。イベント日時をこの週末に設定したのも、少なからず影響している。


WUGちゃんから受け取ったものは、自分の心の中に轟轟と燃え盛っている。
その「聖火」を宿して、MOGRAまで走り続ける。

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