こんなタイミングでアイドルを見つけてしまった話 ①どん底の1年間

最近、ぴろーさんの様子がおかしい。

昨年末からデカマクラプロジェクトを進め、着実に7月10日に向けてイベントを大きくしてきたオーガナイザーとは思えない限界ツイートの数々。
なぜこんなことになってしまったのか?本人も全く想像していなかったこの1ヶ月間をここで振り返っていきつつ、ついでに推しの宣伝をするらしい。

ちなみに相当字数が長いので当然のように記事分割しています。

初回は現場に入るまでの前提的な話。ほぼ自分語りだけど、この先の内容を語るうえで絶対に必要な部分なので正直に書きました。


・2019年以降の現場離れについて

詳細はこちらを読んでいただきたい。

抽象的に書いている部分もあるので、内容の補足を追記する。

2019年9月20日に現場から離れた段階で、WUGFinalを経験した私はもうオタク現場に一定の満足感と納得を得ていた。
4年間追いかけた声優ユニットが紆余曲折を経てSSAで解散ライブ。これ以上の感動を追いかけるには、相当な時間と、お金と、何より運が必要だと思った。

つまり、これ以降は二匹目のどじょうを狙うようなもの。当てられるかどうかは分からないし、その確率は相当低いと思っていた。

ここで大きく話は逸れるが、私が高校生の時に3年間特進クラスの担任を持ち続けた生物の先生がいた。私の高校を卒業して出戻って教鞭をとっており、母校愛が深く面倒見も良くて、生徒からの人気も高かった。そんな先生が、私の代の卒業と同時に教師を辞めた。理由は「これ以上の経験を教師人生でできる気がしなかったから」というもの。
私の代は確かに超が付くほどの曲者揃いというかタレント豊富な代で、濃密な3年間だったし、進学実績も平成に入ってから最高記録という校史に残る実績を出した。その3年間を経験したことで、先生はこれ以上がないと判断した。

教師を続けていてもそれなりに楽しかったはずだろうが、一度きりの人生、それよりも新しい場所の挑戦に活路を求めた。
この「引き際の美学」は、聡明なこの先生らしい素晴らしい判断だったと思う。

私はこの出来事から学び、WUGSSAを本質的にオタク第一期の引き際とした。以降はもう特定の演者やコンテンツをしがみつくように追いかけることはないだろうと、当時そう思っていたし、実際に今の推しおよびアイドルプロジェクトに出会うまでは2年半以上そうだった。


・挫折と、絶望がもたらしたもの

私にとって2021年は人生最悪の1年だった。

以前の記事では東京五輪で叶える夢を諦めたことを書いた。

しかしそれだけではなく、2021年には
 ・推し(踊ってみた界隈)が1名蒸発
 ・別の推し(踊ってみた界隈)と疎遠に
 ・結婚資金を貯めるために始めた株取引で100万円以上の損失
 ・結婚を無理に押し通そうとした過程で親と言い争う
 ・3年間交際してきた女性と別れる

と、どこまで落ちればいいのかというほどの不幸が重なった。

こんな毎日を過ごす中で、心は枯れていった。夏から秋は、思い出すだけでもしんどいし、実際に2021年の自分の体は常にどこか不調で、今思い返すと病院に行くレベルだったと思う。コロナを理由に行かなかったけども。

コロナ禍の期間、私は仕事がなくなることもリモートワークもなかった。給料も普通に出た。一方で周りには仕事がなくなった人もいた。
自分は恵まれている。こんな状況でも五輪という夢を追いかけられるのはむしろ幸せな部類だ。ずっとそう、自分に言い聞かせてきた。

だけど終わってみれば、私はこのコロナ禍で仕事以外の全てを失った。

もっと早くに、誰かに助けを求めるべきだったのに、自分を不幸だと一度も思わなかった。


空っぽになってしまった自分を埋めるための日々が秋から始まった。
そこで始まったのが、デカマクラプロジェクトだった。

ある男との他愛のない会話でできた約束を果たすために、無謀ともいえる挑戦を始めた。
少しずつ、心が回復していく足音を聞き取れる自分がいた。
そして、様々な制約によりコロナ慎重派だった私も、感染によって失うものがなくなったことで2年ぶりに現場に戻ってきた。

現存する残った推し2人のステージを見た。

みゆちぃには、2021年の報告をした。
ほぼ、予想通りの反応だった。

彼女の哲学は「人生は続く」ということと「意味のないことなんてない」というものだ。

彼女自身が挫折を経験し、紆余曲折を経て今の場所にたどり着いている。

「(色々あったけど)それはぴろーが納得して決めた選択だよね?」
この言葉に、彼女の考えが全て集約されている。

いつも通り、広い心でぼろぼろになった私を受け入れてくれた。

みにゃみは、相変わらず口からCD音源で、会場をかわいいの暴力で一点突破していた。そして推してくれるオタクと目線が合わないのも相変わらず笑

推し始めた頃は新人声優と呼ばれていた彼女も、もう中堅からベテランになりつつあり、アイマスもラブライブもバンドリもウマ娘も担当していない声優として異例のフォロワー12万。もう、彼女の仕事がなくなることはまずない。

これからも、暇なときに二人を見に行くことはあるだろう。ある時は唐津へ、ある時は熊本へ、ある時は仙台へ、ある時は札幌へ。飯を食って酒飲んでオタクとしゃべって帰る。肩の力も張らずに、適当に。もう、彼女たちは一流なのだから。それだけでいい。

こうして書くと私にとって「アイドル」や「推し」の存在はもはやいらないように見える。私も、そのはずだった。


この半年間は簡単なものではなかった。
デカマクラの運営は現在進行形で多忙を極めているし、イベント運営をする中で今もなおこの選択が正しかったとはまだ100%の気持ちで言い切れない。不要な争いを生んだし、辛辣な意見は頂いたし、スケジュール管理が甘くて予定通り物事を進められなかったし。そのたびに心が折れそうになった。
この時期に私はとある飲み屋に通うようになったのだが、年長者でありながら度重なる泥酔を繰り返し、相変わらず睡眠リズムは崩れるし、コロナにかからず欠勤も一度もなかったのが不思議なくらいの荒れっぷりだった。
ここを読んでいる当時の関係者の人はいないと思うが、あの時は本当に申し訳なかったと思うし、必要な崩壊だったとは口が裂けても言えないが、あそこでさらけ出した自分の悪い所を受け入れてくれた皆様には本当に頭が上がらない。


そんなある時、とある知り合いからLINEが来た。

「ぴろー、うちの推しとゼロプロを見に来てくれないか」


次回↓


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