オタク経歴的な

以前ツイフィールというものが流行ってTwitterのリンクに貼っている人が多かったんだけど、自分の場合
・推しが少ない
・経歴が特殊
・どっちかというとオタクぴろーの生き様を見てほしい
・作るのがめんどい

だいたいこういう理由で作ってませんでした。

ただ、ここ最近新規フォロワーの人が増えているということと、DJとして流す曲との意味付け(私が流すから価値のある曲ってありますよね)を知ってほしいということで、ここにまとめてみました。
時系列順にまとめつつ、コンテンツごとにまとめていく感じです。

1992年7月10日生まれ(デカマクラのイベント性質上ばれています)
大阪出身
現在は千葉在住

アニメに疎いわけでなかったが、いわゆる深夜アニメは全く見ていなかった。中高の頃はどっちかというとテレ東系列の夜番組(焼きたて!!ジャぱん,ケロロ軍曹)を見ていた

この影響で、この時代の頃のオタクの共通項(けいおんハルヒらきすた)は一切見ていません


2013年 インターネットへの入り口

インターネットが生活に溶け込もうとしていたこの時代、「インターネットの世界に落ちるやつは人生諦めたやつ」と謎のプライドを持っていた私は高校、大学とずっとインターネットから目を背けてきたのだが、ここで転機が。

春 ボカロにはまる
当時はカゲプロとKEMM BOXXの全盛期。ただどっちかというと古典曲(ニコニコ黎明期~全盛期)をよく聞いていた
→音ゲーマーになりProjectDiva erになる源流がここ

秋 サークルを満期引退
ここで時間ができて、音ゲーを始める+アニメを見る
最初に見たのは咲
当時から先輩と麻雀を打っていた+2014冬クールで全国編が放送されるということで、とっつきやすかったので
1週間ほどで長野編と阿知賀編を完走、2014冬クールからニコニコでアニメ視聴を始める


2014年 全ての始まり

夏クール ハナヤマタに出会う
原点にして頂点。全ての根源。
このクールは記憶では15本くらい見てたと思う。どの作品も総じて面白かったけど((未だに2014夏を超えるクールはないと言い続けている))ハナヤマタは初見で9話以降ずっとボロ泣きしてしまった。
当時プレミアム会員でもなかったのに動画公開の30分が待ち切れず超クソ画質のニコ生でリアタイしたのはいい思い出。
その後、1年くらいは色々アニメを見る。アニオタとしてのピークはここで終了。


2015年 ロストハナヤマタ+現場オタクの年

ハナヤマタ放送終了後はロス現象に陥ってしまい、関連動画とかニコ生を漁る日々。
冬にハナヤマタ一番くじが発売されてオールコンプリート。ここで金銭感覚がバグる。
春にある動画がきっかけで田中美海さんに落ちる。これが声優オタクの始まり。
※大学卒業やら卒論やらで時期的にしょうがなかったが、この時第1回田中美海ソロイベに行けてないのがぴろー3大病み抱えエピソード

その後どうしても行こうと思ったハナヤマタ 花彩よさこい祭り2組目(4月)で現場デビュー。
この時チケ取引したオタクが信じられないほどのガチ勢だったため、ほどなくしてガチ勢のコミュニティに取り込まれる。

WUGは悪い噂しか聞かない時期だったが、田中美海さんを知る以上避けては通れないという気持ちでWUG2ndツアーに参戦(7月)。これが少女交響曲初披露の場で、めでたくワグナーになる。終演後数時間で福岡行きの新幹線とチケットを確保というスピードっぷり。

秋、田中美海1st写真集「らすとてぃーんさまー」のサイン会に参加。おまいつたちに見守られながら初接近。順調にオタクとしての階段を昇る。


2016年 現実と戦いながらオタクとしての地位を伸ばす

就活+修論の年。オタ活は制限。収入も少なかったので遠征は月1までと決めて関西を中心に活動。WUG3rdツアーも一部公演に絞る。
2015年にまいた種が花開き、若手期待のワグナーとして地位を伸ばしていった。
一方で、今の会社の内定が決まるまでにごたごたがあった+修論にかかる時間とストレスで現場離れからの推し離れが起きる。
本気出したかった灼熱の卓球娘(※ぴろーは大のスポーツ好き)の放送もろくに見れないような感じだった。


2017年 アイドルとの出会い オタク成熟期へ

修論提出後、望月みゆを知る。推し経歴で唯一の即堕ち(写真1枚)。ここまでハナヤマタ+田中美海+WUGの専任オタクだった自分にとっての転換点。これをきっかけに様々な現場に飛び出し、知見を得ようとする。

4月、就職。使えるお金が増えたため現場通いはピークに。仲の良かったオタクの推してる地下現場とか、雑に声優ユニット見に行ったりとか活動は多岐にわたった。
オタク歴2年になり勝手が分かった+アイドル現場を通過したことで厄介行為に寛容になった時期。

現場ダイジェスト
3月、望月みゆに初めて会う(リリイベ)
5月、新木場studio coastでバンもん初ライブ
6月~10月 バンもんライブハウスツアー7公演を回りながらWUG4th全会場通。毎週のように遠征する。
度重なる移動トラブルが話題となり、ミスター遅延の称号ができる

2017年秋にWUG新章が放送され、内容に対するタカ派とハト派でオタクが大分断。もうWUGはいいかな…と思い始めた時期だった。


2018年 WUG解散発表、オタクとしては充実期へ

2人推し体制を継続しながら、引き続き多数の現場へ。推し方のスタンスも決まり、充実した毎日を送る。

3月、車を買う。移動の幅が広がる
5月、WUG解散発表。現場優先度をWUGにシフト。以降ライブはほぼ全通。12都市33公演全通+ファンミ+アニサマ+FinalSSAを走り抜ける。
5月 初めて買った馬券(日本ダービー)で的中。競馬沼に。
7月 加賀温泉郷フェス(個人的に5本の指に入るベスト現場)、ナナシス武道館
7月~ WUG解散ツアースタート。


2019年 オタクぴろー第1期の完結

解散興行を経る中で、2020年東京五輪でスポーツ業界関係の仕事(自分の夢)に専念するためにオタク現場を離れる決断。
3/8、WUGFinalSSA。
オタク人生に後悔しないように、以降9月まで各地域(ゾンサガ、バンもんツアーなど)を回りながら旅行する。
9/20、バンもん仙台MACANA公演でオタク第1期終了。推しに一時の別れを告げ、以降望月みゆとは2年間会わなくなる。


・踊ってみた関係について
2017年5月、ワグナーの祭典(同人発表イベント)。MUG(Make Up, Girls!)にハマる。元々オタ友だった子が推しになる。
2019年夏、新メンバーが加入。推し増し。
2019~21年 推し2名が組んだユニットがコロナ禍でも動画投稿を続け、辛い時期の心の支えになる
2021年初頭 推し、蒸発。ユニット解散。もう一人の推しとも疎遠に。2022年3月MUGも解散したので、閉じる予定。


・アニクラ/DJについて
アニクラは不定期に通っていたが、友人の出演を見に行くのみだった。
主な箱は大阪圏だと梅田アッシュ(関東で言うところのよもだ)。東京はよもだと中野雷神。雷神との縁は2018年ごろから。
2019年8月、ゆるますの発起により所属イベント「アニクラ集落」が開始。機材を当日初めて触るという超初心者プレイでDJデビューし、レギュラーメンバーとなる。
2020年5月、コロナ禍でやることがないのでDDJ-400を購入し、在宅集落2より本格的に活動開始。
2021年10月、主催イベント「デカマクラ」立ち上げ。2022年7月10日「デカマクラ Part.M(秋葉原MOGRA)」に向けて日々尽力中。
プレイスタイルはアニソンに準拠しながら、アンセム寄りのスタイル。低速から高速まで柔軟にこなし、時にストーリー性やネタに走ることもあり、オールラウンダータイプ。好きなmixのラインは低速EDMと電子音系。


・最近のトレンド(2021年以降)
東京五輪の夢をコロナ禍の影響で諦めることになり、また度重なる不幸に見舞われたことで失意のどん底に。2021年以降のテーマを「Rebuild(再構築)」と定め、過去の様々な関係を解消し、デカマクラプロジェクトを筆頭にオタク生活のライフスタイルを全面見直し中。
その過程で、最近推しができたらしい。詳細はいずれ別の記事で。


・コンテンツに対する考え方・視点
メジャーコンテンツに斜構ぎみ。古典作品だけでなく、アイマスラブライブバンドリなども通ってない。たぶん相当異質。
アニメの視聴量も多かった時期が限定されるので、DJ中に「その曲のアニメ見てますか」って言われると結構つらいです…w
アイドルは対バンで知ってた平成のグループに詳しいけど、最近のは全然分からないです…虹コン武道館行ったら主現場以外はもう行かないかもな…
主現場以外で評価高いのはずっとナナシスだったんですが、最近大丈夫ですか


まとめ

結構異質なオタクだと思う。弱いジャンルはかなり弱いです。最近だとVも全然分からないし。
あと推し基準が結構厳しく、推しになると感情が重いので軽率に推し増ししないタイプかなと。最初の2年間単推し、最初から4年で3人。そうなると、最近増えた人との間に何があったの???となるわけですがそれは今後のnoteで。

自分の現場オタクとしての成熟期は過ぎたので、また気軽に旅行できる世の中になったら、適当に地方現場行って飯食って酒飲んで帰る人になるんだろうなと思っています(2019年がそんな感じだった)。
こんな自分でも、歩んできた歴史はDJに反映できると思うので、自分らしいプレイをできたらなと思います。


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