こんなタイミングでアイドルを見つけてしまった話 ⑤交錯する物語と、「推し基準」の話

前回↓

ご無沙汰です。
実に4ヶ月以上空けてしまいましたね…当初の予定通り5月登竜門までの話は書ききりたいと思っているのでぼちぼち進めていきます。



キャサリンの再始動

卒業後のキャサリンは、しばらく一般人として活動を続けていた。
原田ゆきかの時間は少しずつ配信頻度を減らし、やがて元々の配信媒体だった17LIVEに主戦を移していった。
それでも私は仕事中も欠かさずチェックし、全ての配信に顔を出した。その中で、キャサリンが「またアイドルを始めようと思う」と話し始めたのは3月に入ってから。
詳しく聞くと、既にそこそこの規模のグループの研修生?のようなものに入っていて、夏のデビューを目指す。ゼロプロの卒業生もメンバーにいるという話を聞いた。

後半の話にもつながるが、同時期にデカマクラやDJの件が進行中で、オタク現場に戻ってきたばかりの自分にとって、もう究極の単推しを貫くつもりは一切なかった。必要な時に必要な量だけ色々な人を雑に応援すればいい。そう思っていた私は、この事実を知って夏までの遊び場を探すことにした。夏にデビューした時に、2月に後悔した分だけ思いっきり推そう。それまでは、リハビリだ。2年遠ざかっていた現場の味を思い出さないといけない。そんなことを考えていた。


「4Aを超える?やってみな!」


一方で、私はこんな子も見つけていた。
数多くのアイドルの配信を見るようになったこの時期、1期生だけのTwitterスペースに突如コラボ相手として上がってきたのが当時のゼロプロ2期生、姉川とろろ(現・ピコリフ宮内こころ)だった。

大阪府出身、showroomも舌足らずでわちゃわちゃしてて面白い、そして何より、全体的な見た目の雰囲気が、消えてしまったぴろー4人目の推しにどことなく似ていた。

4人目の推しについてはここで多くを語らないが、それはそれは悲惨な別れ方をした。
実績を買われてニコニコ超踊ってみたフェスにまなこのバックダンサーとして出演するなど、前途は明るかった。本当に期待をしていたからこそ消えた時はショックだったし、結果的に2021年の崩壊の序章を告げる出来事になってしまった。

1期生だけのスペースに入ってくるだけ先輩に好かれていてパイプも持っている、なおかつ、自分が興味を持つポイントが多かっただけでなく、自分のshowroomでこう語った。

「私は、中野先輩のいた4Aパワフルを超える。今は遠くても、追いつくんじゃなくて超えたい」

とろろは3月からZ4に昇格し、Z4-A3に所属していた。そう、2月まで中野が所属していたチーム番号だ。以前にも触れたゼロプロ屈指の名チームに、追いつくのではなく超える。当時から中野を強く慕っていたとろろの熱い決意表明に、こちらも心を動かされた。
「だったら、やってみな?初代4Aの壁はとてつもなく厚いぞ」
配信に5~6回は行っていた私は、早いうちに現場に行かねばと思っていた。その心意気、見せてもらおうか。


厳格な「Tier制度」

と、こんな要領で私は様々なアイドルに触れ、様々な物語の続きを見始めるようになった。これだけでも、前年からすれば驚くほどの変化であるのだが、2年現場を空けたが故に改めて自分の推し活の基準であるマイルールを見直すことになった。

私のオタ活のスタンスは、非常にシステマティックだと思っている。
こう言うと、いやお前は結構好き勝手やってるよとは言われるのだが、特にいくつかの大原則がある。

学生時代からオタ活を始めた私は、お金や時間が有限であることをよく知っている。その中で、どうやって楽しめる環境を最大効率化できるかを最初から常に念頭に置いてきた。
例えば最初の現場(WUG)ではブロマイドを無限に積む人がいたりもしたが、そんなことが自分にできるわけもない。
そこで、自分の第一原理として、人の必要な現場に確実に行くこと、すなわちライブ優先の考えがまず出発点となった。
武道館やSSAに行くことは、石油王が一人いてもそれだけではできない。数千人と足を運ぶ人がいて初めて成立する。そこに座ってくれる人がいないと意味がない。そのための一人でありたいという意識を最初から持っていた。
それにライブは楽しい。たまに途中のクソ企画で萎える以外は基本外れがないことも大きかった。
この辺は、地下アイドルの動員と同じ考えで、地上のオタクをしながらも必要な知識を無意識に身につけていったことが今の自分に繋がっている。

さて、この考えに立った時に、私はその日現場に行くかどうかをどう判断づけるべきであろうか?そこで形成されていったのが「Tier制度」という考え方だ。Tier1~Tier4まで演者が格付けされ、そのグレードに応じた判断をベースとして、ここにその日一緒に行くオタク、会場との距離、移動方法、巨大イベなどの副次的な部分を加味しながら決定していく。

Tier4から順に見ていくと

Tier4…認識している演者。とりあえず評価はしている。対バンなどでたくさんいるとちょっとポイント上がる。無数にいる。

Tier3…かなり評価している演者。好意的。友人などいた場合でタイミングが噛み合うと現場に行く。そこそこいる。

Tier2…狭義の「推し」。グループ内で言うと一択もしくは強調されるので、推しはと聞かれるとその人を答える存在。ただし公式的な推しとしては宣言しない。3との昇降格あり。場合によっては自発的に一人で見に行くこともある。時期によって増減して平均10人程度。

Tier1…広義の「推し」。誰に聞かれてもはっきり推しと答える存在。Twitterの通知が入る。全てを投げ打って活動する。自発的な遠征、大量の時間とお金を使って推し活する。Tier2入り後、決定的な事象があった場合にのみ入る。原則、一度入ると落ちない。過去、オタク第1期のうちに4人。5人目が楠あんず。

理系というのはめんどくさい生き物で、一つの興味対象ができると突っ走ってしまう。特に私のような性格の人間は。Tier1とは、そこまでさせた存在ということだ。過去の記事を読んだ人は分かると思うが、田中美海(2015.1~現在、殿堂入り)、望月みゆ(2017.2~現在、殿堂入り)、A子さん(仮名、2017.5~2021.3、疎遠になる)、B子さん(仮名、2019.7~2021.1、蒸発)がこの4人に当たる。後の2名に関してはこれからも記事に登場はするが名前は出さない。昔からの付き合いの人はあーあの子ねと思ってください。

遠征を厭わず、それでいて社会生活を維持しながら時には道中で笑いを生み出しアクティブに活動する現場オタク「ぴろー」のスタイルはこれで確立されたと言っていい。


さて、ここまで長く説明してきたのはこのTier制度の見直しを説明するためだ。
3月当時、私はTier1の推しを作ることを放棄していた。その代わり、Tier1の入り口~2~3の上位層の基準と境界線を緩くしよう、もっと雑にいろんな人の現場に行くようにしよう、こういうことを考えていた。

そして、2月から3月上旬までを経て、キャサリン(アイドル復活まで待機)、とろろ(成長見守り枠)と、次々とTier2演者が誕生していった。ところが、ゼロプロ新Z3には、それにあたる人がいなかった。

別にZ3に推しを作るつもりすらもなかった。そもそも中野、キャサリンのいない今、Z3に義理なんてない。
3月当時は、春分の日の3連休でDJイベントの見学がぎっしり、3/4にデカマクラ4(配信主催)、3/10に雷神でDJ発表会、3/13にデカマクラ5(現場主催)、Origami宴開催日(3/25)もデカマクラ6(配信主催)と予定がぎっしり。正直次の現場いつになるの?レベルで予定が詰まっていた。

オタクに会いに行くのにたまには行こうかな。いつの現場があるかもよく分かってないし、そんなもんでいいはずだった。

多忙を極めるDJ活動


私と長い付き合いの人はご存知だと思うが、私は無茶をよくやる。しかもその無茶を結構強引に乗り切る。強引に乗り切るときに追い込まれたタイミングでいいアイデアが出るもんだからやめられなくなってる。

生粋のアイデアマンである私は、デカマクラでも趣向を凝らした配信画面や企画を次々と打ち出していた。もちろん、7月10日にMOGRAでDJブースに立つために、プレイの鍛錬にも余念がなかった。その結果、
3/4(金) デカマクラ4(配信主催)
3/10(木) 秋葉原雷神DJ講習成果発表会(出演)
3/13(日) デカマクラ5(初の現場主催イベ+自分のプレイ)
と、乱暴な日程を立てていた。社会人にこの日程は辛く、この1週間は半徹の毎日が続いていた。メンバーの配信を聞きながらセトリやイベ企画を組み続ける。狂気の沙汰ではなかったが、この無茶は大型イベの直前にこの後も何度も繰り返すことになる。

というのも、デカマクラの運営は私一人のみだった。
このイベントは「主催の誕生日を祝うイベント」である以上、自分が開催して、自分が責任を持てばいい。できる限り他の人を巻き込みたくないと思っていたため、しんどいと分かっていながらあえて他の運営してくれる人をつけなかった。
私はこういう自分で抱え込む悪い癖がある。デカマクラについても、これが出てしまった。初めてのアニクラ主催に箱レンタル。もう少しいろいろな人に相談すればよかったのに、ほとんど自分の思考だけで手綱を捌いた。

さらにこの時期猛威を振るっていたオミクロン株が邪魔をする。3月3日、私の直属の上司がコロナ陽性。私が陽性か濃厚接触者になった場合、イベントが飛ぶことが確定。急遽、裏で様々な確認作業を行うことになった。

そして、3月10日。
予定していた10日の発表会は、出演者のコロナ陽性によって飛んだ。
このために週の前半をセトリ組みに当てていた私はどうにもできない結果に愕然としながらも、残り少ない日数で13日のイベント成功に向けて自分のセトリ組みと運営業務を進めていた。

この頃には、会社で新たな感染者が出なかったため、イベントの開催をようやく決行できることに。
果たして、3月13日に人は来るのか?本当にこのイベントは、MOGRAにたどり着けるのか?不安に思っていたこの時、思わぬところからオレンジ色の沼が顔を出したのだ。

3月11日。沼に片足を突っ込むまで、あと、2日。


次回↓


ここから先は

0字

¥ 300

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?