命日
今日でおっとが亡くなって1年。
10年くらい長かったような気もするし
最後にあったのはこないだだったんじゃないかというような気もする
良くも悪くも、忘れてしまっていることもあって
最近は、
あの時は自分なりによくやったんじゃないか、とようやく思えてきている。
コロナのせいで思うような看護はできなかったし、寂しく孤独な闘病生活をさせてしまった、心の十字架はあるけれど。
じゃあおっとは、悲しくさみしい人生だったか、というと
きっとそうではないんじゃないかと。
わたしはおっとがだーいすきだったし
今も変わらずだいすきだし
おっともわたしのことだいすきだったし。
少なくともおっとは
私の愛の中で一生の最期を終えた。
わたしはおっとといれた時間がとても幸せで、
おっともそうだといいなぁと思った。
おっとと出会わせてくれてありがとう。
辛い思いもしたけれど
でもやっぱり、おつりがくるくらい、
幸せだった。
死んでもなお、いろんな人の向こう側におっとがいて、その人を通して、おっとに会うことができてるような感覚になる。
優しさを感じると、おっとといた時のような
胸がじわっとあたたかくなるかんじがする。
あぁ、生きてる。
おっとは、生き続けてるんだなぁ。
今日は、なんてことない日常を送った。
寝ぼけ眼で仕事に行って
毎月恒例の弔いカレーをたべて。
夜は、わたしのことを支えてくれた職場の同僚と、ご飯を食べた。
看取りをするために、あけた仕事の穴を、
嫌な顔もせず埋めてくれた大事な人たち。
私の帰りを、ひたすら待ってくれた人。
くだらない話をして、たくさん笑った。
一年後、こーんなに笑ってる未亡人、おらんのちゃうかなぁ。
おっとの穴は埋まることはないけれど。
穴ごと、かかえて、生きていきたいなぁ。
今はそう思う。
それはわたしとおっとの生きた証。
埋めなくていい。
埋まらなくていい。
一年、ほんとによくがんばったね。
今日はたくさんたくさん、自分を褒めたいなぁ。
2024.1.22
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