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途中経過=哲学?


自分がどうにも物事を複雑に考えがちで、色々調べていたら哲学にたどり着いてしまって頭抱えてる。哲学って自分の言葉で説明できますか?
誰かに「それって哲学的~!」と言ったり言われたり。でも何となくで使ってる人が多い印象。自分の周りには少なくとも哲学を熟考した人は居ない。

哲学という分野?学問?を調べて解釈を突き詰めたら、おそらく終始の無いまたま不明確な、経過の分野だった。

人とは?と考え深めて行くのが根本にあるとの事で。人にまつわる根源というものを掘り下げ、理解していく。
それがもうおかしい話じゃないかって思ったわけでして。

例えば人類の起源というテーマで考えた時に、人類学の視点で考えると進化論なんかが有名。猿から進化した。科学の視点で見ると水からの化学変化により、まず微生物が誕生して~って話になる。

結果というアンサーにはたどり着けるが、起源というものを確定させられるかってなると、ほぼ無理。
物理学になるのかわからないが、生命の根源で考えだしたら地球は宇宙で何が起きて出来たのか?そもそも宇宙はどうやって出来たの?と考えていかないといけないとなると、哲学的視点での生命の根源という問いへのアンサーは無理では?というか生命に限れば出来るだろうが、どこからを生命とすべき?地球は物質と定義つけて考えるなら、物質上の化学変化で生命爆誕!なわけですが・・・(困惑)となっていくと宇宙ってどうやってできたのかも射程範囲になってしまう。哲学エグいて。

同じように地球外生命体の存在を仮定できるデータが有る現状、宇宙はどこまであって宇宙の端の先は?第二の宇宙が大きな宇宙の外側にあるの?とまさに無限の存在を認識できない自分的に圧倒的な恐怖を覚える思考をしていかないといけない。(無限が恐怖です。実存証明も想像もできないから。)

誰も目撃できていない事実の証明をしようとしている学問って解釈で合っているなら、「答え無いね」と言うそもそも論になってしまう。宗教学では地球も人間も神が作ったとなっているが、神の証明は出来ない。こちらもまた大変な学問だ。(最近世界三大一神教の違いを知り、感激した。世界的に見たら無宗教であることのマジョリティを痛感。)

哲学という分野の内容で言えば、常に考えることだと思う。〇〇思考や●●論的なパターン化をひたすら製造してしまう分野かもしれない。そのパターンを言語化するのが、哲学の専門家のしていることなんだと言う所に落ち着いた。
根源という答えが出ようがない分野だが、スタートとゴールの道案内が出来て、その道がなかったり近道したい時にそれらを作り出すのが哲学なんだと今は認識してる。ちなみにゴールしたその先は、各学問や分野へ移行する模様。なのである意味ゴールはあるのかも。

道という過程が無いから作るが、スタートとゴールもない。ゴールしてもスタートがないので、道をまた作り出す。そもそも哲学というレースに意味があるのかもわからない。そのレースに意味はあるが、スタートが永遠に無い以上ゴールという終わりに行けてもレース自体は無くならない。このレースが哲学なんだと思う。と一つのアンサーが出せたので、考えてみてスッキリした。

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