【質問する】という恐ろしさ。




突然ですが、皆様は自分が分からないことや
知りたいと思った時にまずどうされますか?


知っている人に質問する


これがごく自然な回答なのではないでしょうか。

実際私もそうします。

分からないことは理解したいですし
知らないことは知りたいと思い聞くと思います。


ですが、この『質問する』ということの重要性や
質問をするということが実は自分の教養は勿論、
性格や価値観までも暴かれるということに
一体何人の方が気付いておられるでしょうか?

分かりやすくパソコンの授業を例に解説します。

先生!ココが分かりません!

ある方が声を大にして質問しました。
先生はその生徒の所へ行きます。するとその生徒は

「【ちゃ】ってどう打つのですか?」


?!?!

いやいや待て。待ってください。
目の前には大きくポスターに貼り出された
ローマ字表が見えるではありませんか。

オマケに手元にも同じプリントがあります。


先生も堪らず「ここを見ましょうね?」とのこと。


人それぞれ性格や価値観が違います。
出来ることだったり一度に学習出来る量も違う。

けど【見たら分かる】という当たり前のことは
聞くべきではないのです。


それは何故か。


その質問をすることで


☑︎自分でやろうという意識がない

☑︎この程度のことでお手上げ


ということが露呈されてしまうのです。


一つ一つ詳しく解説していきます。

まず一つ目。自分でやろうという意識がない


まず大前提にこのパソコンの授業を受ける人は
最終目標はそれぞれ違えど
【パソコンをある程度使いこなすようになる】
という目標はあるはずです。
でないと、何故パソコンの授業を受けた?という
ことになるから。

なので一つひとつ段階を果てやっていきます。
ですので文字を打つスピードはそれぞれ違えど
完成するものは皆同じ。それでいいのです。

だから焦ることなく着実にやっていくだけ。

ボタンがどこに何があるか分からない。
ローマ字がイマイチ分からない。

最初はそれでいいのです。皆最初はそうだから。

でも、何でもかんでも他人に聞いているようでは
いつまで経っても身にならないです。
まずはやってみる。すると成功か失敗のどちらかが
見えてきて成功したら次のステージだし
失敗したら何故失敗したのか考え直し、やる。
それを成功するまで続ける。ただそれだけなのです。

そのサイクルを放棄しているようでは
いつまで経っても上達などしないし、何より

この人、向上心も無ければチャレンジ精神もない

周囲に言っているようなもの。

このような人が今後質問しても
最初は解答して下さるかもしれないけど
結局『自分で確認してください』と
切り捨てられるのがオチです。



二つ目は、この程度のことでお手上げ


正直申しにくいのですが、この方は
私一人だとこの程度のことも出来ません。と
言っているようなものなのです。

『頼まれごとは試されごと』

という言葉があるように練習でも先生や
周りの生徒は人がどれくらい出来るのか気になるもの。

ある意味『試されてる』ということになります。

最初は出来なくて当然。
ですが最低ラインというものがあります。

別に早くしないといけない訳ではないです。

ですがこの場合ですと向上心やチャレンジ精神は無いどころか
することさえも放棄している始末。


このような人、どこの企業が欲しがるでしょうか。

少なくとも私は要りません。


ですので私がお伝えしたいことはまず

本当にそれは人に聞かないといけないことか

ということを考えて欲しいということです。


そんなことはググれ●ス!!!

とならないよう祈っております。


では、失礼します。

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