光函原画2b

光函

花束

いちめんのハルシオンの花を刈取り小さな花束をつくった。それを静かに夜の中において私は瞑目したのだった。  
それまでのお話。

 わたしの散歩する道は街の小さな川に沿っている。川は岸も底もコンクリートで固められている。道から見た川向こうはぎりぎりまで家が立ち並んでいた。そのなかに、夫婦で営んでいる誂え紳士服の店があった。そこは川側が、嵌めごろしの大きなガラス窓3枚の壁になっていて、店内の趣味の良い生地が整然と並んだ棚や、作業をするテーブルとそこで仕事に没頭している主人の姿がつぶさに見えた。
 その嵌めごろしの窓とコンクリートの川の壁とのわずかな隙間には、煉瓦で仕切られた ちいさな花壇があった。そこには真赤なゼラニュームがいっぱいに植えられている。わたしが散歩をはじめてからずっと見ているので、かなり前に植えられたのだろう。ゼラニュームはよく手入れされていて、花をつけるとグレイのコンクリート壁と茶の煉瓦、緑の茎、赤い花、と色が重なり、そのコントラストに眼を楽しませていたのだった。
 ある日、ふと気になった。 あのゼラニュームはどうやって植えたのか。そして、手入れはどうやってしているのか。と、いうこと。
 店からは花壇に手が出せない。川側へ出る扉もない。川の横は隙間なく家が繋がっていて、かりに紳士服店の主人なり妻が手入れをしようとするなら、10mほど下流の橋から川の中を歩いて行かねばならない。まして、川は「蓋の飛んだ箱」型にきっちりとコンクリートで固められている。高さ3mほどの垂直の壁があり、さらにその上の4段ほどの
煉瓦づみの中にゼラニュームは育っているのだ。
 ふいに気になりだしたきっかけは、今朝だった。 昨日まで咲き誇っていたゼラニュームが見事に剪定されていたからである。川のこちら側を歩いていても一目でわかるほど切り口が見えていた。
 その時、家の中で裁ち鋏を握り仕事をしていた主人が顔を上げ、わたしと眼があった。たぶん、わたしの目が丸くなっていたのだろう。主人は、はっきりわたしにむかって、にやりと笑って軽く会釈をした。そして、ふたたび仕事にかかる、ほんの僅かの間に生地の棚の傍らにいる妻を見た。彼の視線を追って妻を見ると、妻のいる生地の棚の上に小さな硝子の瓶があり、そこには真赤なゼラニュームの束が活けてあったのだ。思わず頷いたりでもしたのだろうか、妻がけげんそうにこちらを見ているのに気づいた。
 慌てて先を急いだ。

 それからだ。それから考えが散り出したのだ。
 こんなふうに思った。 ある夜。川沿いの街灯に照らされて川の中を、長い梯子を担いで歩く主人がいた。 梯子を自分の家の窓の下に向かって立てかける。すると、店に灯りがつき、窓に妻が現れる。主人はナップサックを背負って、梯子を昇る。上につくとザックの中から剪定バサミやら肥料やら薬剤を取り出す。
 主人はゼラニュームの状態をチェックし、不要な枝や伸びすぎた部分を剪定し、置き肥を並べる。必要とあれば薬剤も散布する。花が満開になっていれば綺麗に切り取り花束にすると、慎重にザックにいれる。
そうしてまた梯子を抱えて川を下るのだ。おそらく妻はそのあいだ店内から身振り手振りで指示を送っているだろう。
 ちょっとした無言劇みたいに。
 だがその日の昼下がりにこうも思った。 でもまてよ、ゼラニュームだけのためにそこまでするかな。丹精こめるなら玄関側で育てないか。その時、想像の視野に隣の家の植栽が浮かんできた。そこには老人が一人で住んでいるはずだった。
 あの花壇は紳士服店の夫婦ではなくてあの老人が管理しているのではないのかな。  (その家の川側には小さな扉がついていて、老人も小さな鉢で植栽をしていた。)そうだ。老人の家からなら、家との間に仕切りがなければゼラニュームの管理もきちんとできる。
 わたしはひそかに自信を持ち、その仮説を携えて、次の日の朝、川の横を歩いていった。 老人の家を観察してみた。ゼラニュームの世話をすべく隣へ歩けるようになっているかどうか。
 見ているうちに戸惑いと不安が心を覆い始めた。
 隣とはきっちり白い壁で仕切られていた。しかも扉を開けた形跡がない。そう見えるほど老人の家の川側のスペースは荒れていた。白い小さなプラスチックの鉢で栽培されていた植物はあるいは枯れ、あるいはだらしない徒長を続けていた。
 そしておびただしい雑草。
 そのことが指し示しているのは老人の「長期の不在」だった。毎日歩いていながら紳士服店のゼラニュームにばかり目が行き、まったく隣に目をやっていなかった自分に気がついた。
 人間の見ているものなんてそんな程度なのだという諦めよりも、見えていなかったことに、わたしは揺さぶられたのだった。
 老人がここにはいないことを確認するのはたやすかった。下流の橋を渡り、玄関側の通りを歩いてみた。

  すでに老人の家は全てのライフラインが止まっていて、新しい管理会社の看板が玄関にはりつけられていた。
 しばらくして彼の「不在」が永遠であること、そしてその旅立ちは誰にも知られることなく1ヶ月ののちに「確認」されたという事を知った。

 ある朝のことだった。散歩をしていると紳士服店の窓際がえらく賑やかだった。 「いやー,精がでますなぁ」こちら側から川の中に向かって声がかかった 「手を入れないとねェ」 川の中にはしごを立てかけ、そこから紳士服店の主人がにこやかに応えていたのだった。
 手にはステンレスの美しいショベルが輝いていた。主人と目があった。 「おはようございます」「おはようございます」 朗々とした声だった。

 輝きに目をしかめながら彼のほうを見た。すると彼を透かしてむこうの荒れ放題の老人の植栽たちが見えた。そこにはどこから種が飛んできたのか、ハルシオンが根づき白い花を一面に咲かせていた。
『花束』

 その言葉が頭を掠めていったのはその時だった。

                        (了)


ふたたびの花

-カンボジア伝統舞踊チュンパーニエッテに供える-

生き残ったものの記憶を一身に縫い合わせた娘が
ゆっくりと舞い始めた
指はそりかえり天を逃がさないように
からだは波となり 想いの形を洗っていくように
絹糸を引くような視線を追えば
   花は
人々の手の透明な供物


微かに声明が始まり
木の打つポリリズムとともに
なにものかを呼びにいく

祝福される美神
この世ならぬ空の間から
  花が
帰ってきた


すべてのみえない あなたに届きますように
すべての蕾が開きますように
すべての殺された魂に撫ぜられて
娘のからだが 光を放つ
  花が
咲いていく
ふたたびの

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