西原 正

京都在住。 詩と掌編小説を主にネットで発表してきました。 詳しくはhttps://no…

西原 正

京都在住。 詩と掌編小説を主にネットで発表してきました。 詳しくはhttps://note.mu/pipilulu/n/ncbcf2463f0a6 twitterはhttps://twitter.com/pipilulu

マガジン

  • 区区函

    「まちまちはこ」と読みます。 どの詩集にもいれてこなかった作品や日々生成する作品をランダムに載せていきます。 「まちまち」の更新です。

  • 葉子、と。

    葉子と亨の生活。近所の人たちや友人たちと日々は淡々と何事もなく過ぎていくようです。…本当に何も起きていない? Pubooで発表したものです。

  • Beyond the light

    光の彼方へ。いろいろな意味で。それを念頭に置いた作品集。

  • 街函

    ●2008年に自費出版した作品集の電子書籍化したもの。 ●京都の町に暮らす中で生まれた短い物語をまとめています。 ●同時に当時、投稿を続けていた詩も併せて収録。 ●「函」とは、作品集が読者の方への手紙を詰めた「はこ」であると想定したことによります。 ●noteで順次、公開していきます。

  • 光函

    ●2004年 ゴザンスより発刊。現在絶版。

最近の記事

街函

蛍 六月。夏至前の夕暮れは深い群青からゆっくりと闇の帳が降りていく。だからだろうか、彼が歩いている龍安寺商店街を行く人たちの影はなかなか闇に溶けていかなかった。  仕事を終えての帰路、彼は同じ路地に住む老婦人から聞いた蛍のことを思い出していた。   思い出しながら彼は何度も何度も腕時計を覗き込んだ。蛍のあかりが見られるかどうか、人の時間を当てにしてもしかたのないことなのに。  彼がこの町に住んで12年になる。以前住んでいた町には、梅雨直前の暑い日が続く頃、 蛍が舞う小川が

    • #2 「ぼくはきみに話しかけたかった」のか。(2)

       (その1)で吉行淳之介さんの現代詩への言葉があったと書いた。それは次のようなもの。  この言葉が書かれたのが1960年。僕がこの短い文章を読んだのは詩を書き出して、投稿をもう始めていた頃。吉行さんの小説が好きで、新潮社の全集がまだ出る前に、短文をおさめていた自選集を古書店で購入したのだった。そしてこの文章を読んだ影響がいまだに続いている。  「脂汗」である。  一方、河津聖恵さんの「吐息」では、幼少期を過ぎる頃『何かを言うための『喉』を探して』いて、大学進学後は学生運動

      • #2「ぼくはきみに話しかけたかった」のか。(1)

        #2 「ぼくはきみに話しかけたかった」のか。(1)  ふいに「自分が一人で、生まれて初めて、書店で買い求めた詩集」のことを書こうと思った。たまたま読んでいた詩人・河津聖恵さんが『吐息』というエッセイ(詩作品の『吐息』とは違う)でその事を書かれていて、その文章に反射的に共鳴を起こしたから。  それは、その時の少し高揚した気分を思い出したからなのか。それとも二度と訪れない「初めて」という機会だったと、今、気がついたからか。わからないけれども。  アマチュアの、詩を読み、書き

        • 葉子、と。

          うつくしい日  日曜日はとびきり美しい朝焼けから始まった。陽が昇るにつれて抜けるような青空がひろがり、空気は澄み切っている。  天候も気温も風も快適で、体の細胞すべてが「はしゃいでいる」ように葉子は感じていた。  こんな日に遭遇するたびに葉子は「今日は今年のビューティフルデイ・ベスト10に入る日やわ」と昔から亨に呟いていた。それはたいてい夕食の時に「発表」されるのだが、今日はもうこの時点で葉子の中では「ベスト10入り」が確定したようなものだった。  結婚当初の頃、亨はその数

        マガジン

        • 区区函
          西原 正
        • 葉子、と。
          西原 正
        • Beyond the light
          西原 正
        • 街函
          西原 正
        • 光函
          西原 正
        • 音函
          西原 正

        記事

          葉子、と。

          発芽  とても幸いな事に京都には恵の雨だけをもたらして台風が去った後、季節が急に動き出したように葉子は感じていた。   ベランダのハーブたちもなんとか猛暑を乗り越えたようだ。  パセリ、セージ、ローズマリー、タイム。タイムが少し弱っているくらい。  今年はその鉢たちに並んで、バジルとニガヨモギの鉢が置かれている。バジルは料理のために、ニガヨモギは「自家製殺虫剤」をつくるために植えたのだった。  葉子も大宅さんも、また路地で植物を栽培している主婦の誰もが市販の園芸用殺虫剤(化

          葉子、と。

          葉子、と。

          お祭りの日に  雨上がりの御池通を亨と風呂敷包みを抱えた葉子が並んで歩いていた。  すると、まだ少し濡れているアスファルトの上で何かが輝いている。 「亨さん、あれなんやろ」  二人はそっと近づいて行きました。 「黄金虫」と、亨。  二人の視線が鈍く光を反射している背中で結ばれた瞬間、黄金虫が飛び立った。  風が一陣、後を追っていく。 「気持ちのいい風やね。町もとても静か」 「平日の昼間は会社やお店があるからまあまあ賑やかやけど夜はもっと静かや思うよ。この辺も人口が減ってる

          葉子、と。

          葉子、と。

          よく晴れた4月25日に  4月25日、日曜日午前10時過ぎ。快晴。  もうすぐ五月だというのに昨日まで何日も冷たい雨が降った。今朝も霜が降りるほど冷え込んだのだけれど、天気予報によれば霜を置きみやげにして、雨と寒気団は去っていくという。  烏丸通りの北の突き当たり、烏丸通り北大路の交差点からから少し西へいったところにあるスターバックスで尚美は本を読んでいた。  この店には窓際に長いカウンターがあって、そのいちばん奧が尚美のお気に入りの席。ここで本を読むしレポートも書く。

          葉子、と。

          葉子、と。

          濁  卵白のように白い布に塗りたくられた緑色の砒素   押し潰されたイチゴ! さあ眼を楽しませよう                「美術 一九一〇」・エズラ・パウンド  毎朝のシャワーの最後に波多野は軽石で両踵をこする。踵がすぐに白く角質化するマサルの、欠かせない日課なのだ。出しっぱなしの38℃のシャワーが背中一面にあたってひろがっていく。その感触も、毎日、踵を更新しているような気分もマサルは好きだった。  左足、そして右足…。  チノパンと桃色のセーターに着替えたマサ

          葉子、と。

          葉子、と。

          兆し   節分の次の日。葉子は家の土地を借りているお寺に毎月の地代の支払いに行った。空は晴れ上がり空気は冷え切っていて、道には昨晩、「鬼」めがけて投げつけられた豆がいくつも転がっていた。  葉子は一年で一番寒いのはこの頃だと思っている。だけれどそれは春が近いということだとも。例えば大宅さんの庭で水仙の花が咲いていたり、天神さんで梅がほころび始めたように。そうそう澤田さんも退院して家に戻ってきているし。    お寺の広い板張りの廊下の端で、葉子は管長さんが支払いの事務手続きを

          葉子、と。

          葉子、と。

          その70円について 「ああ気持ちいい天気」   幸子のよく通る声に、路地の静かな空気が微かに揺れているようだった。 「ほんとうに」  玄関の鍵を締めた葉子が幸子の後ろから応える。二人の少し前には花田俊之介と亨が並んで歩いていた。  十二月最初の日曜日、今日は花田一家が勢揃いした。俊之介と幸子が嵐山の紅葉を見た帰りに息子夫婦(亨と葉子)の家に立ち寄り、これから四人全員で俊之介の大好きな京都駅前のビアホールへでかけるのだ。  毎年、紅葉の季節になると家族全員で食事をとることが

          葉子、と。

          葉子、と。

          Cherry Sage,Purple Sage  秋がゆっくりと深まっていく。気の早い桜葉には紅葉を前に散り始めるものもあり、街で、たぶん一番先に黄葉する桂の葉にはその兆しが浮かび始めていた。  葉子が毎日手入れしをているベランダのキッチンガーデンには、小さな鉢植えのハーブたちが、右からパセリ、セージ、ローズマリー、タイムの順で並んでいる。葉子の母が小さい頃からよくハミングしていた歌の歌詞どおりに並べているのだけれど、(母は今でもこの歌をよくハミングする)この並びを見てその

          葉子、と。

          葉子、と。

          の、あいだに。  お彼岸の朝、葉子はシャワーを浴びていた。  半分開けた浴室の窓からは紺碧の空が覗けて、雲が速度を上げあげて滑っていく。  雲を急かしている風は、どうやら小笠原諸島を通過した台風を中心とした直径千㎞の円弧にそって北から流れ落ちて来ているもの。(夜明けの天気予報で聞いたのだった)その俯瞰図を葉子は脳裏に描いてみる。…その風でグライダーしている鳥がいたりして…などと。  くびすじを洗いながら顎をあげた葉子の視界を、紅色した萩の花がよぎっていった。  …そうか植

          葉子、と。

          葉子、と。

          ぎゃあてえぎゃあてえはらぎゃあてえ  普段、町内ではあまり聴くことのない大声が葉子の耳に聞こえてきた。声の主はどうやら四軒隣の土生さんのようである。路地で立ち話をしている脇を何度か通り抜けたことがあるので、その声には聞き覚えがあった。ベランダで洗濯物を干す手をちょっと止めて耳を澄ますと、「いやそやから土生さんに…」という声が聞こえた。それは間違いなく大宅さんの声。 「わしはいやや ゆうてんねん わからん人やな」  土生さんの激しい声でその会話は突然断ち切られた。戸をぱちん

          葉子、と。

          葉子、と。

          夏の終わり  八月中旬、兵庫県で多数の犠牲者を出した豪雨が、その凶悪な雲を引き連れて京都までやってきた夜、花村家の月下美人は11個もの花を咲かせた。部屋中というよりも家中が甘い香りでむせかえるほどになり、亨と葉子はたまらず鉢をベランダに戻したぐらいだった。  雨の飛沫を浴びながらゆっくりと花は閉じてゆき、今年の月下美人は終わった。  次の日の朝、花骸を捨てたあとも月下美人の薫りが残るベランダに、乾いた涼しい西風が吹いてきた。葉子はしばらくその風を浴びていた。久しぶりの優し

          葉子、と。

          葉子、と。

          スワロウ・テイル  2009年7月22日、日本の陸上で46年ぶりに皆既日食が観測された。もっとも皆既日蝕を完全に観測できたのは硫黄島で、他の地域は部分日蝕となった。もっとも曇り空か雨で見えないところがほとんどだったけれど。  京都では8割程度の日食が予測がされていた。  前日から続く梅雨末期の雨は降ったり止んだりを繰り返し、朝の空は一分の隙もなく灰色に覆われていた。葉子と亨はいつものように朝の準備をし、食事を摂り、いつものようにその日を駆動させていく。机の上には今日のため

          葉子、と。

          葉子、と。

          雨にぬれても  梅雨の只中だった。亨は洛西ニュータウンの現場に向かってミニバンを走らせていた。大規模な団地ではなく、その区画のすぐ隣、戸建ての住宅のアンテナ修理である。  今日も墨を撒いたような空からじくじくと雨が降り出した。亨はフロントに雨粒を確認するときゅっと気持ちを引き締めた。今年は普通の雨降りではないからだ。これまで亨はその異常さに何度か遭遇していたのである。たぶん自分と同じように現場で仕事をしている人たちも敏感に感じとっているだろう、とすれ違う営業車たちがワイパーを

          葉子、と。