光函
光池
午前5時、老犬ジャンがめずらしく散歩をせがんだ。いつもは日が昇るまでぐうっと寝ているのだが、フロアに立ちあがり尻尾を振っている。若い頃を彷彿とさせるような散歩のねだり方だ。それでなくても普段あまり歩かなくなったので、「その気」のある時はこちらがどんなに忙しくても全部放り出して散歩にでていくようにはしていたのだが、こんな早朝に、いったいどうしたというのだろう。
我が家は毎日早起きである。2年前から野良猫7匹の面倒を見ているからだ。野良猫の朝は早くて、時間が遅くなると勝手口の外で大合唱が始まる。だから、それまでに朝食をセットしなければならないのだ。ジャンが起きだしてきた時も、ちょうど彼らの食事をアルミのお皿に盛り付けていたところだった。
ジャンの様子がただならないことに気がついたぼくは、大急ぎでお皿を持って外に出た。外では出てくる気配を察した野良猫たちが右往左往して場所とりをしていた。
猫たちは一斉に食べ出した。みんな元気だ。
部屋に戻ると、ジャンがはっきり不満を顔に出して地団駄を踏んでいる。急がなきゃ。寒いけれど支度の準備の時間ももったいない。老齢のジャンは立ちつづけている事が辛いのだ。歩くか寝るかのタイミングが迫っていた。とにかくウィンドブレーカーを着こんでキャップをかぶって、素足にテニスシューズを履いて玄関に立つと、横でうれしそうに尻尾を振っている。リードをつけているともう一匹、ジャンの長年の相棒、ハナが二階から飛ぶように降りてきた。柴犬系の雑種のハナは歩く事が大好きなのだ。いつもよりずっと早い散歩の始まりでも元気溌剌。ぼくらをリードするように玄関の扉の前に立った。
そうしてぼくらは、転がるようにして夜明け前の空気の中に出たのだった。
外は寒かった。音もない。闇は白みはじめたぐらいだった。白い長毛を揺らしてジャンが歩く。足はなめらかではなくぎくしゃくしているけれど、顔は嬉しそうだ。冷たい空気が身体の中に入っていくのが気持ちいいのかもしれない。
ちょうど朝が始まったところだった。
まず闇から薄墨の旗のように雲のかたちが浮き彫りになった。つぎに東の山のシルエットがほんの少しの色相の差で見えはじめた。
ぼくらはそのころ、ケヤキとイチョウの落ち葉を踏みしめて歩いていて、紅葉の前に散ってしまったケヤキの葉の茶色とイチョウの黄色がゆっくりと灰色の中から浮かび上がるのを見ていた。
鳥はまだ眠っていて、梢はしんとしたままだった。
次にお寺の境内の森の大きな楠の林冠が姿を見せた。空はどんどん闇を薄め、置いていかれた夜が山や樹の影にうずくまっていく。そろそろと伽藍のシルエットが現れはじめた。
ぼくらは大きなお寺の横の、土の塀沿いに歩いていた。何種類もの蔓と栗の樹のある塀の外れで犬たちが立ち止まった。匂いを調べている。
空を見上げると、西のふかい藍色の空にはまだ星が輝いていて、オリオンも南西の山際にたどり着いたところだった。その横のとても明るいのは人工衛星。火星もまだ見えた。金星も。だけど秒単位で星は消えていく。犬を見て、そして空を見ると、もういくつかは消えていた。
夜が終わる。
見上げると、天頂には半月。 煌煌と輝いていた。
冬の星座は一年でいちばんにぎやかだ。南の空に1等星が七つもあらわれる。ほんとうは8つなのだけれど、地平すれすれだから海にでも行かなければ、その星は見ることがきない。よく見えるのはカシオペアの「W」、オリオンの「三ツ星」、オリオンの横のプレアデス、つまり「すばる」だ。「すばる」は特別だ。「統星」と書く。「統べる星」というんだからすごい。
ハナとジャンが次の繁みに向かって動き出したとき、「すばる」が音もなく消えた。
夏の間、ほとんど歩かなかったジャンは、毎晩現れる冬の星座を待っていたかのように歩くことを再開したのだった。しかしそれにしても今朝は早い。それに歩く距離が若い頃のように長い。後ろ足が柔らかく曲がらないので、腰が大きく上下する。口は大きく開き、舌は垂れて、はぁはぁと大きな息の音がする。時々、ハナが横に回りこんで心配そうに顔を覗きこむのだが、前を見据えて懸命に歩く。たまりかねて「ジャン、もういいよ」といっても、全然聞いているそぶりすらみせない。
これ以上歩いたら帰りが大変になると思い始めた頃、昔、よく来た住宅地の中にぽつんと取り残された畑の周りの土の道に出た。とたんにジャンの歩きかたが変わった。
土の柔らかさなのだろう、足がしなやかに回り始めたのだ。ふっと立ち止まると、顔を上げてこちらを見る。
…あ、そうか。
しばらく道を歩いて気づいた。霜が降りているのだ。
初霜である。
ぐす、ぐすっと霜を踏む音が楽しそうだ。休耕の畑の黒土に白が滲むようにびっしりと覆っていた。犬たちは畔の草を食みはじめていた。
ふいにそこへ斜めの低い角度から鋭い橙の線が一筋刺さった。
ぴん、と霜が光った。
すると次から次と光の線が降り始めた。見る間にあたり一面が光の池になっていった。
日の出だ。
どれぐらい立っていたのだろう。ジャンの後ろ足が震えていた。ハナが小さなくしゃみを一つ。ぼくの足はたぶん真っ赤になっているにちがいない。
「帰ろうか」
ジャンとハナの頭がぼくの脚をなんどもこすった。
光の池からぼくらはゆっくりと歩き始めた。全員で光を背負って。
(了)
あとがき
2004年のあとがき
「光函」という作品集ができました。
「光」というテーマを中心に据えようと思ったのは、作品「光の函」にある、鹿王院の庭での経験からです。「めにみえないもの」だけれども感覚としてはっきり実感できる「光」とは、という問いから書くことが進んでいきました。
本を開き、光を感じていただければ幸いです。
「函」とは自分が世界を感じ、文章を書いているいる場所としての「はこ」、そして読者の皆様に作品一つ一つが「手紙」として届き、その手紙の収まった「はこ」という二つの意味で使っています。
次の方たちに感謝いたします。
素晴らしい表紙絵の制作を快諾してくださった竹林柚宇子さんに。
本の企画、編集をしていただき、優れたアドバイスもいただいたインターネット出版局ゴザンス編集部の杉本さんに。
そして、本の出版に際して強く背中を押していただいた上津裕さんに。
ありがとうございました。
2004年 西原 正
2012年、電子書籍版「光函」のあとがき
電子書籍版「光 函」をお読みいただきありがとうございました。ゴザンスのネット画面上に作品を投稿することから始まり、そこから作品をチョイスし紙の本として発刊する。その作業から8年の月日が流れました。
2012年、Pubooの作成画面に原稿を流し込みながら作品を読み返していると感慨ぶかいものがありました。
作品に何度も登場してきた愛犬のジャンとハナは天国に召されました。
作品制作を励ましていただいた上津裕さんも亡くなりました。
みなさんの助けがなければこの本はできなかったと改めて思い、あらためて感謝いたします。
そして紙の本となった作品たちが再び「ホーム」といえるネットに戻ってきました。
Pubooを通じてネットでできること、つまり紙の制約でできなかった画像も入れました。
オリジナルの本に対してもう一度誤字脱字を直し、一部書き直しも施しています。
本全体が「光函」という作品です。光を感じていただければ幸いです。
続編の「音函」「街函」もよろしければどうぞお読みになってください。 2012年 西原 正
2019年 note版「光函」のあとがき
2019年11月でPubooの閉鎖が決まり、「光函」の引っ越しとなりました。この7年間では私自身の大病の経験がいちばん大きな出来事となりました。
さいわいにもこうやってパソコンに向かえる状態は維持していますし、身体の状態も今のところ不具合はありません。
今回も若干の手をいれたところがあります。そのようにこの作品集は生涯にわたって増殖を続けていくものという認識を深めています。
「街函」「音函」「区区函」にも、まさに投函する形で作品を増やしていこうと考えています。
どうかよろしくおつきあいください。
2019年5月 西原 正
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