光函原画2b

光函


猫と南風


むかし猫の手品を見た
南風に波打つ河原の緑を
輝く黒猫が裁ち切って歩いていた
切り取り線上で不意に止まり 沈み 消えた
二月ごろ必ず春のような日が 突然 数日だけ訪れる
春の予告の南風
殴り書きの手紙のような
その日 暴風はなかなか終わらない
淀んだ冬の澱が空の果てへ飛ばされるまで続く
松葉が舞う サザンカの花びらが飛ぶ
隠れていた杉の枯れ枝が落ちてくる 地面は
しいのはしいのはしいのはしいのはくりのはくりのはくりのは
猫は風に翻弄される植物を見ている
澄んだ瞳は透明な地球儀のようだ
ふいに出窓から飛び降りると
台所の洗い桶をずらす音が響いてくる
容器の水には目もくれず
閉じた蛇口から水を吸い出している
柔らかな首 光を含む毛
猫の坐っていた跡に顔を置いて外を見ると
猫の形をした桃色の雲が
雪崩れてゆくところだった



 橋

 ぼくの育った街を訪れた人は皆、迷路のようだという。不揃いな通りがでたらめに網をはっている錆色の街だ。鉄工所が多いからか街は鉄粉まみれになっていたのだ。
 通りがあまりに狭いのと機械があまりに煩いから、ゆっくりと話をするのも、運河の橋の上で、それも立ちっぱなしでだった。朝から晩まで、順番に街の誰かが誰かと欄干にひじ乗せて話してた。
 ぼくと君は午後4時から30分ぐらいの間だったな。ぼくらより早い時間は中学生、ぼくらの後はおばさんたちだった。ときには橋の上に三組ぐらいいた。
 つまらないことも大事なことも話した。
 誰も冷やかしなんかしない。みんな、この橋の大事さを知っていたから。

 父はいつも独りで無口だった。一度、灰色の背広を着た父が顔を空に向けて、橋の上に立っているのを見たことがある。背広が風にはためいていて、父は胸を張っていた。待ち合わせなのか、何かを見とれていたのか。わからないけれど背中が美しい、と感じたのだった。
 ぼくは小学校の下校途中で、橋の手前で立ち止まり、なぜだか見とれてしまった。動悸までした。
 その事をいったら、君は口の端を歪めて黙ってちいさく笑っていた。
 それから、夏の夜の橋の上に 君とずっと、いたこともあった。
 なにをしていたんだろう。熱い砂みたいな手をしてた。

 みんなまるで時に擦音をたてるようにして生きていった。ぼくは父の仕事の転勤でこの町を去った。今日5年ぶりに、ぼくは君に逢いに帰ってきた。君はずっとこの街に残っていたから。
 街は騒音も錆もすっかり消えて、厚く盛り上がった雲ばかりが目立つ空の下にあった。
 迷路の街であることには変わりはなかった。迷った「ふり」さえ「ふり」にみえない。
 ぼくらの街。
 午後2時、橋の上で川面に反射する光を体に溜めながら、君を待っていた。 灰色の背広を着て、顔を上げて。
 父を想いながら。                      (了)





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