光函原画2b

光函

夕暮れFantom


空に傷がない
濁った色がないよ
瑠璃色の夕暮れ
まっしろな琺瑯のランプシェードと電球
湯気の舞う あげものやさん
視線に傷がない 濁ったまなざしがないよ

新聞紙を折る音
脂で揚げる音
みじかな挨拶
真っ黒な脂のついた壁に響く
傷のない夕暮れの街の音

もう少しで夜が始まるよ
帰ってくる人の影が長く伸びて ご本人より先に到着
まるでFantom
影に向かってみんなのあたまが いっせいに振り向いた。
誰かが  くすくす
冬の夕暮れ
みんな  くすくすくす


夜の声

辻は石畳
月あかりの真夜中は
宙に浮かぶ
飛びの石

浮かれは飛び
消えていく人影
小走りの女
闇が影を包む

月光を反射する
瓦と猫の眼と

しずかな声
猫と瓦に降る銀粉が揺れた

飛び石が静かに浮きあがる
ふたりでひとつの影をのせ
此の世の彼方へ舞っていく

まばたきの中に
白いかかとが消えて
夜は 終わりを
見失う


アイロン

祖母に外泊の許可が下りた。春先に重い病気が見つかって、ずっと入院していたのだ。何度も申請をしたのだけれど、その日になって炎症反応が出たり、血量が少なかったりで帰れなかったのだ。
 母が叔母の車で慌しく朝9時に病院に向かった。父は相変わらず仕事が忙しくて深夜にならないと帰れないという。
 祖母はすっかり瘠せて小さくなっていたけれど、とても可愛らしく微笑んでいて、なんだかほっとした。祖母の好物の食事を済ませ、女三人がかりで祖母をお風呂に入れた。実は祖母が一番帰りたかった理由はこれだった。病院では、くつろいでの入浴ができなかったのだ。
 それが終わると私は祖母の洗濯物にとりかかった。かわかして、たたむころには夜も更けていた。
 祖母の病気は血量が減少していくという厄介な病気だったから、明日、水曜の朝には必ず病院に帰らなければならない。週に2度は輸血が必要なのだ。

 音に気がついたのは夜中の2時だった。居間でさーっという音が繰り返されていた。
 父だった。父が祖母のシーツに、ネクタイをはずしただけの恰好で真剣にアイロンがけをしていた。見た事のない表情にあっけにとられていると、横をすり抜けて母が部屋に入っていった。細長いアイロン台に乗りきらないところを母が持って、二人は黙ってアイロンがけを続けた。
 なんだか嬉しかった。
 翌朝、父はさっさと会社に行った。父と祖母は話ができたのだろうか。祖母はシーツのことを知っているのかな。ずっとそれが気がかりだった。
 学校から帰ると母がきちんとお化粧をしていた。祖母は病院へ戻ったという。顔色がとてもよかったという。


「葉子、悪いけれど今晩、ちょっと御願ね」
「どうしたの」
「ふふ、夕食だけのデート」「えっ」
「お父さんが誘ったんだよ。たまには、ね」
 映画館の前で父が待っているという。それは二人が結婚前から逢っていた場所だった。祖母が昔、あの笑顔で私に教えてくれてた場所でもあったのだった。
 いってらっしゃい。
                                                               (了)

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