光函原画2b

光函


月光


遠くで悲鳴が響く水田と
同じような灰色の家たち
二階から響く知らない人の声
からだの芯に沈めた魂を
こっそりひきあげにいくんだ

円をつくる指のなかの月あかり
発火する日々の思い
燃え跡にあらわれる魂は
椿の種に似て

いったい何万年眠っていたのだろう
黒く月に輝いて
あなたがわたしを生きているのか
わたしがあなたを生きているのか
花をなんども
結び結ばれ




光の函  鹿王院客殿前


光がひとり 三月の庭で踊っていた
翳が縁側に座り 持ち主のない胸が 光の中に言葉をくべていた
椿の蕾は満身でひらこうとしていた 漆喰は硬い冷風のなかしっとりと立っていた
苔は瞑目したまま枯れ果てて生きていた

冬が 崩れる

覗き窓から西の日の火
ほどけてしまった望みなど すべて燃やし尽くす
ここは冬をおりたたむ 光の函
言葉が どんどん  燃え消えていく
肉と息が こそり 
いったい なにをしゃべって 生きてきたのか
生きることだけをみつめる
函にいた


便り

 まるで瑠璃硝子のよう。指で弾くと、ぱりんと割れてしまいそうだ。電車からそんな夕暮れの空をを仰ぎ見ながら帰路についた。
 家に着くころにはすっかり日は落ちて、ポストから夕刊と郵便物を抜き取り、真っ暗な家に入った。
 着替えをすませ、居間のテーブルに置いた郵便物をひとつづつ見ていった。何枚か「喪中葉書」があった。どれも『喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮したいます…』という定型パターンの文章が続く。もう年末が始まっているのだ。わたしもそろそろ出す準備をしなければならない。
 父が亡くなって、もう一月が過ぎた。父は治癒の見込みの無い難病に罹り、長期にわたる入院を余儀なくされた。それはまるで、父を失うことで受ける、わたしのショックを和らげる「配慮」のように続いた。だからだろうか、父が静かに息をひきとった時も、それにつづく葬儀の間もわたしは一度も泣くことはなかった。
 我が家の喪中葉書の段取りを考えながら郵便物を仕分けていくと、また喪中葉書が出てきた。ほかのものと様子が少し違う。定型の文章と少し違う。おや、と思い読んでいくうちに手が震え出した。ひょっとしたら息も止まっていたかもしれない。
 それは生前の父から送られた喪中葉書だったのだ。

    謹んで年末年始のご挨拶をご辞退申し上げます。
 私儀、植村孝治は病のため、新年を皆様と迎えることができません。まったくもって残念至極でございます。身体の治癒の見込みの無いことがわかってから、ひたすらに心の治癒に専念し、そのことをなんとか達成してからあの世へ参りたいと思っております。死者からの便りだと、さぞ胆を冷やされましたかな。で、あるのなら失礼をお許しください。
自らの寿命がはっきりと見えた時、わたしは自分の最後の始末までを自分でやり遂げたいと思いついた次第です。最後のわがまま、お許しください。
  みなさまのご健康とご多幸を祈りつつ、 お別れでございます。
                                   植村孝治

 手紙を何度も読んだ。たぶん、自らの関係先にこの葉書が送られているはずである。なんてことだろう。そう思うやいなや、そんな感情を吹き飛ばすように、なにか得たいの知れない感情の波がわたしを飲みこんでしまった。そして、わたしは葉書を持ったまま、父の部屋へ走っていた。何かがわたしを後から突き動かしていた。
 遺品の整理もまだ手付かずの父の部屋。亡くなる一ヶ月前から、父は家に帰ってきていた。父はこの部屋でこの葉書の原稿を書いたのだろうか。きちんと整理整頓の行き届いた机を見た。引きだしを開けた。文具は全て冷たくしん、としていて使われた形跡はまったくない。ベッドを見た。ここでお見舞にきた友人の誰かに葉書のことを頼んだに違いない。父が最期を迎えたベッドのサイドボードの引き出しが目に入った。開けて見た。小さな引き出し一杯に紙が詰まっていたので、開けたとたんにベッドの上に紙が散らかった。紙は全て父の字で埋まっていた。
 紙を掴んでベッドにしゃがみこんだ。何枚も何枚も父はこのベッドで下書きをしていたのだ。ベッドサイドの灯りをつけ、一枚、一枚読んでいった。何枚めかに下書きではなく、走り書きのメモのように書かれた文章があった。
     『人間、死ぬ間際に ありがとう と言う余裕があるのだろうか…。   ……長い間本当にありがとう』
 父の自筆の言葉を読んだ瞬間、わたしは泣いた。とうとう泣いてしまった。

あたり一面、橙の光をいっぱいに溶かし。

                                                           (了)



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