【25日目】家族ゲーム

 こんばんは。赤いきつねとソドムとゴモラです。ダジャレで失礼し末世。
 さて、ホームコメディの名作、家族ゲームを観ました。

ストーリー
できのいい兄とは反対に問題児である中学3年の弟・沼田茂之。高校受験を控えた茂之のもとに、3流大学の7年生・吉本勝という奇妙な男が家庭教師としてやってくる。暴力的な吉本は勉強だけでなく喧嘩のやり方まで教え、茂之の成績は徐々に上がり始めるが…。

 原作は兄の視点で描かれている小説ですが、本作では弟を中心に描かれています。まずそこが痺れます。

 さて、この「家族ゲーム」というタイトルについて考えていきましょう。この映画では家庭教師が家あるいは家族という関係性に闖入することで、日常が変異していきます。となるとどちらが正しいかはさておき、次のような解釈が可能です。闖入以前、家族のひとりひとりが家族制度というゲームをしていた、あるいは闖入以後、家庭教師も含め仮の家族であるというゲームになった。
 この映画は1983年の映画です。となると1979〜1980年代にかけて全国に広がった口裂け女事件の後に制作されたものです。原作は1981年に発表されてますしね。「なぜ、急に口裂け女?」と思ったかもしれませんが、口裂け女のバックボーンには、高度経済成長があり、塾通いする子供の存在があり、それを嫌がる子供による噂の流布が隠されています。ついでに言えば、深夜ラジオの口裂け女の大喜利コーナーもこれの拡散に一役買っていたり。つまり、口裂け女というイチ現象には、塾または深夜に及ぶ勉強などの受験戦争が隠されているんですね。
 原作では優秀な兄が突如、優等生を演じることをやめます。本作は受験を乗り切る弟にスポットライトを当てている。だから、やはりこの映画のテーマは受験戦争でしょう。

 戦争にも多くの種類があります。例えば冷戦。これは冷たい戦争の略だと考えて良いでしょう。代理戦争。これは当事者同士で争うのではなく、どこかの国に仮託して、イデオロギーの優劣を武力で証明する戦争のことです。今作において、この受験戦争は、家族の軋轢を家庭教師に丸投げした代理戦争だと考えていいでしょう。進路相談において、親でも当事者でもなく、家庭教師が弟の進路を担任に述べるシーンがありますが、本来は親や当事者が行うものです。こうしたことからも、家庭教師は代理戦争に巻き込まれていると言えるのではないでしょうか。受験合格後、家庭教師と一家で食事をする名シーンがありますが、左に両親、右にふたりの息子、間に家庭教師という配置はこのことを裏付けているような画作りです。

 こうした代理戦争という当時の現代性とは別に、今作は脈略と続く闖入者の系譜の作品としても観ることができます。この系譜では、基本的に家庭内に闖入者が現れることで、以前の関係性が無茶苦茶になり、闖入者に所有物を略奪されるものが多いです。そう考えると、この映画は家族が好意的に闖入者を受け入れた変奏であるとも言えます。実際に、家庭教師は家族関係を一時的に崩壊させ、合法的に金をもらって家を後にしている。

 代理戦争では家族制度の限界が、闖入者では家族制度の脆弱さが露呈する。これをゲーム的な軽さで観せている、というのがこの映画の肝要な点だと感じました。なんかうまくまとまらんかった。

 この映画はいいセリフが多いので、それを羅列して終わりましょう。まず、冒頭のナレーション。

 「家中がピリピリ鳴っててすごくうるさいんだ」

 実に小説的なナレーションで引きこまれます。家庭教師と弟の会話。

 弟「趣味はなんですか、先生」
 家「勉強を教えることだよ」
 弟「嫌な性格ですね」

 エスプリっていうやつですね。反抗期は困ったもので、弟は母に生理の話を急にふっかけて

 「怒りっぽくならないけど、訓練したの?」

 なんかも気味が悪い。母も母で、喧嘩してボロボロになった家庭教師にこんなことを言う。教家庭教も家庭教師で、

 母「喧嘩して鼻血を出し切ったみたいなんです」
 家「喧嘩して負けたんですね。わかりました」

 最後はなんてことない一言を。この映画はなぜか横一列に並んで、食事をするシーンがとても印象的なんですが、同じマンションに住む女がとある日中、家を訪ねてきます。その女も母と一列に並んでいるんですけど、

 「ちょっとこの体制嫌いなんで、椅子をずらさせてもらっていいですか」

 と言います。家庭のガラパゴス感を蹴散らす一言。これが妙に印象に残るセリフでした。いやあ、面白かった。

 今日はこのへんで。グッバイ、グバイ河原。

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