【10日目】ドント・ブリーズ
こんばんは。9回裏3アウト残塁です。諦めてここで試合終了。
さて、前回の「クワイエット・プレイス」に続き、「ドント・ブリーズ」を観ました。
こうした理由から圧倒的に「沈黙もの」の「映画」としての出来はこちらが良いと感じた。理由のわからなさでグダグダ引っ張るのが好きな人は「ホラー映画」として「クワイエット・プレイス」が好きなのかもしれないですね。
人物を描いているという点では、こんなセリフが劇中に出てきます。
「不公平でも変えられないことってあるの」
逃走資金が必要で、ヤバ爺宅に入り込むことになるロッキーのセリフ。先日、「パラサイト 半地下の家族」を観たこともあって、妙に印象に残る。というのも、この逃走資金は、貧困な家庭に生まれ育ち、間接的な母親の支配から脱出するために必要なものであり、この間接的な支配をロッキーの子供で断ち切るという決意から犯行に及んだからである。そこで飛び出すこのセリフ。少し前のトレンドでいうと「親ガチャ」だろうし、それだからこそ自分はハズレの「親ガチャ」にならないために犯罪に手を染めるわけだ。この地獄から這い上がるには、多少イリーガルな手段を用いなければならないということが、端的に現れたセリフだと私は思う。
さて、ヤバ爺について。いいですね、彼。彼にも過去がある。狂ってしまった理由がある。映画中〜後半、彼の家の地下のシーンは特に最高だ。手法は狂っているが、この狂気は誰しもが持つもので、「目には目を、歯には歯を」のハンムラビ法典的な復讐から生じたものである。
殺されるものは時折、神に祈るものだ。そうでなくても、日本人はうんこが漏れそうな時に、トイレが空いているように祈ったりする。それはさておき、祈り=人間的な大いなるものへの畏怖・憧憬に接した人間に対して、多くの戦場を潜り抜けてきた彼がこう言い放つ。そのセリフでお別れしようと思う。
「神の不在を受け入れれば、人はなんでもできる」
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