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ヒコロヒーさんの褒めかた

褒められた時に素直に喜べるときと喜べないときがあるのはなんでだろう。

私たちは週末にドラマをみることを楽しみにしている。“ただ、情熱はある”という南海キャンディーズの山里さんとオードリーの若林さんの芸人としての苦悩や情熱について描かれるストーリーである。どんなことでも、山里さんのことを褒めてくれるお母さん役のヒコロヒーさん。ドラマを見始めた時、このお母さんの褒め方に違和感を感じた。何か核心をついていない褒め方で「胡散臭い褒め方やなあ」と思った。
しかしだ。ストーリーを見ていくうちに、どんどん山里さんの苦悩や考えが自分の中に入っていくうちに、お母さんからの褒め言葉がすんっと受け入れるようになっていった。お母さんの褒め方は変わりない。ただ、こちら側が山里さんの過程を知るば知るほど、褒め言葉が沁みてくるのだ。
ストーリーに感情移入していく、そんな週末が楽しみになっている。


話は私の中学時代に戻る。

私が中学生のとき、母親がジャニーズ事務所のKAT-TUNの大ファンだった。母親と車にのり、いつも通りKAT-TUNのCDをかけドライブに出かける。私はKAT-TUNの曲名の一曲にある“ANGEL”という歌をすごく好んだ。何か理由があったかは覚えてない。ただ曲名のスペルを母親のCDを借りて覚えようとしていたことがあった。その覚えようとする姿をみて母親から「なんでも学ぼうとしてるのえらいなあ」と褒められた。

今となっては、そんなスペルぐらい覚えるものでもないと思うだろう。しかし、その当時の出来事は鮮明に覚えている。なにか親に認められたくてしたわけでもない。ただ取り組んだ姿をみて、その過程を褒められたのである。私はそれが素直に嬉しかった。



やはり大事なのは、褒め方ではなく、褒める前の過程の“観察”なのかもしれない。確かに今の時代、科学的に理解された法則で短時間で最大効果を求めている。確かにそれも大切である。しかしだ。それでいて私の心は暖かさを感じるのだろうか。

じーっと観察し続けて何も起こらないのも感じるべきなのかもしれない。


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