「日本人」というアイデンティティを初めて感じた
私は生まれも育ちもオールジャパンで、かれこれ20年間以上日本で暮らしてきた。
しかし、10代頃から思考回路・生活規範・日常・行動などが合わないと感じてきて、私には「日本人」の感覚が欠如しているとずっと思っていた。
しかし、フィジーでオーストラリアの歌とダンスを披露しないといけないことになったおかげ(せい?)で、私が「日本人」であることは変えられないアイデンティティなのだと自覚するとは思わなかった。
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大学のフィールドワークで、7月の上旬にフィジーに行った。
そこで、村を訪れて様々な現場を視察したり、Savusavuという伝統的な儀式に参加したり、村の子どもたちと遊んだり、厚くもてなしてもらった。
フィジーでは歌や踊りは、社会・文化的側面で大きな役割を担っている。
そこで今までの歓迎のお礼に、滞在最終日に私たちも歌と踊りを披露しようという話になった。
オーストラリアで有名らしい "Riptide" という歌とオーストラリアのダンスを披露するために、練習が始まった。
元々、この村に来てから日本と似ている風景にホームシックになりかけていたり、本当は嫌いな英語にずっと浸かっていた日々に漢字が恋しくなっていたり、洋楽が好きじゃない私の趣味嗜好もあり、3度目くらいの歌の練習のとき拒絶心がぶわっと出てきた。
海沿いの村で踊るなら、ソーラン節の方がかっこよくて合っているし、
歌だって海の声の方がバックグラウンドのさざ波と合っているじゃないか。
何より "I am from Japan" なのだから、お礼をするなら半年しか住んでいないオーストラリアではなくて日本の歌と踊りを披露するべき。なんでよくわからない歌とダンスをやらないといけないの???
と、まるで小学生の嫌々期が到来したかのような感情が押し寄せてきた。
オーストラリアに来てから、今までの違和感だらけの日常ともおさらば。
日本食や日本語で表現することは懐かしくなることもあったけど、まさかここまで違う!!という感情が心の中から湧き上がってくるとは思わなかった。
そこからは毎日、日本での日々がたくさんよみがえってきた。
ここの砂浜でスイカ割りしたら楽しいんだろうな~。みんなと花火したい。夏祭りでキュウリの浅漬けと綿あめとしょっぱいもん食べたい。
カラオケ、駄菓子、風鈴、破れた障子、縁側、すべてが揃う池袋。
日本食はもちろんだけど、近所の商店街のフルーツ屋さんと山形からの産直で買える、甘くておいしいフルーツと野菜が食べたい。
東京に帰りたくない気持ちは出国した日と全く変わってないんだけど、
日本語が一番、心地よく、適切に、自分を表現できる手段で、五感に由来する趣味嗜好と体に染み付いた癖(おじぎやいただきます)は、日本で育ってきた証拠として、紛れもなく私に刻み込まれている感覚なのだと自覚できるようになった。
今まで、「日本人としてどう思う?」と聞かれることが嫌だった。
なぜなら、私には「日本人らしい」感覚がなく、その質問に答えるには "uncomfortable" な感覚に自分を寄せていかなければいけないと思っていたから。
でも、今度同じ質問をされたら、自分が素直に思ったことを口に出せばそれでいいんだとわかった。
大衆の意見に自分を当てはめる必要はなくて、
もっと奥深くの非認知能力のようなレイヤーで醸造された私の意見の中に、自然と「日本人」としての感覚が反映されているはずだから。
もし、私がいろいろな国で幼少期を過ごしていたら、どんなアイデンティティを育んだのだろうか。
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