【これさえ抑えとけ!】クリムト展を100倍楽しむための2分間の予習講座 なぜクリムトの作品はエロいのか?
現在、東京都美術館で開かれているクリムト展
優しいジャックニコルソンことクリムト。
【基本情報】を簡単に説明すると、
本名:グスタフ・クリムト(ドイツ語: Gustav Klimt)
1862年7月14日 - 1918年2月6日まで55歳まで生きた人です。
さて本題ですが、
美術館に行く前に、何を勉強しておけばいいのか?
それは以下の3つの質問をさえ抑えておけば、100倍楽しく見れます。
① クリムトが生きた時代はどんな時代だったのか?
② クリムトの作品はその時代の画家と比べて何が特異点だったのか?
③ なぜクリムトの作品は、エロいのか?
では早速、この三つの質問にお答えさせていただきましょう。
① クリムトが生きた時代はどんな時代だったのか?
クリムトが活躍したのは19世紀末から20世紀初期のウィーンでした
「世紀の移り変わり」=すなわちヒャッハー世紀末だったのですね。
振り返ってみれば、日本でも1999年から2000年に移り変わる際、未来への大きな期待と興奮を抱く一方で、
メディアではどちらかといえば、大きな不安を煽っていた印象です。
やれ、「2000年問題」やら「ノストラダムスの大予言」など。
このように期待と不安は表裏一体でやってくるものなのです。
そしてたいていの場合、不安は期待より伝染していくのが常です。
不安は、人を内向的にし、現実逃避させていきます。
クリムトが生きた時代は、まさにそのような時代でした。
また、世間は保守的で、「エロ」はご法度でした。
② クリムトの作品はその時代の画家と比べて何が特異点だったのか?
同時代に同じようなテーマを扱った画家にエゴン・シーレが挙げられます。
同時代の作家として、適切な比較対象なので、彼の作品と比べながら、クリムトの特異点を解説していきます。
まずエゴンシーレの作品の特徴は、以下の絵画に見られるように
モデルの内面を如実に描いている点です。それも、人間誰もが抱える孤独や不安、性的コンプレックスなどが痛いほどに伝わってきます。
抱き合っている二人男女の抱擁姿には、熱情ある愛というよりは不思議と儚さと絶望を感じさせます。これは二人の姿の周辺の背景色が我々にそのような感想を持たせています。
一方クリムトの作品は同じ「エロス」でもクリムトは、男女の姿に、「妖艶な美」と一瞬ではありますが「輝かしい愛」を表現しています。
この違いの一番の理由は、クリムト自身の「嫉妬」にあると思います。
クリムトは自分を絵画作品の対象にすることがありませんでしたし、
自分の外見が劣っていることも自覚していました。
一方シーレは、割と外見もよく、自信がモデルになることもありました。
おそらくその違いから、クリムト自身がある種、羨望のまなざしで対象を認知しており、このような違いが出たと考えます。
③ なぜクリムトの作品は、エロいのか?
さて、最後に、クリムトがエロ=しかも通俗的なセックスのエロをなぜ描いたのか?
その真相を簡単に説明していきます。
一言で表現すると、クリムトの抵抗としての表現がエロスだったといえます。
※大前提として、変態という面があったことは否めません。
冒頭の方にも記載しましたが、当時のオーストリアは保守的でした。
具体的には、1894年にウィーン大学から依頼を受けて、大講堂の天井に描いた「法学」「医学」「哲学」という三枚の作品を完成させました。
しかし、大学からは
「大学のイメージとそぐわない」
と猛批判を浴びます。
確かに、これらの作品は普通の画家と比べると、スキャンダラスな作風として認識されるかもしれませんが、クリムト後期の作品と比べれば、女性の露出度も低く、宗教画のような倫理観さえ感じるものになっています。
その後、一向に修正をしないことから、大論争に発展します。
この事件以来、クリムトは当時の保守性に嫌気がさし、より反発していきます。
また、そのエロ差に拍車をかけたのが、日本の琳派作品でした。特に尾形光琳から多大な影響を受けています。
要するにベースにあったエロさが「当時の社会への反発心」と「日本の琳派との出会い」という二つのトリガーで、クリムトの作品はより、通俗的なエロさをテーマとしながらも、妖艶で芸術性が増したものになったということです。
さて、今回はここまで!
これを読んで少しでもクリムト展を楽しんでいただけると本当に本当に嬉しいです。
ちなみに、クリムトの作品がここまで集まる日本って凄いな。と思い、日本に生まれたことを感謝する毎日です。
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