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八十神高校から考える秀尽高校

八十稲羽・秀尽高考


steamでP4Gが発売され、多くの方が八十稲羽ライフを満喫し、そろそろ八十稲羽で起こった事件の真相に辿り着いた人もいそうなので。
P4とP5に通じるもの、刷新されたもの、あえてウケを狙わなかったものなどを語っていきたいと思います。

この記事はP4・P5の途中までのネタバレを含んでいますが、「致命的な」ネタバレは避けています。
誰が犯人だったか、黒幕だったかは公式が伏せるように通達しているためですね。

まずP4・P5の概略をなぞっていきます。

Persona4

舞台は日本の地方都市、八十稲羽(やそいなば)。
作品の大きなテーマは「真実」。

「主人公が八十稲羽、八十神高校に転校してくるより少し前。
 雨の日の午前0時に運命の人が映るマヨナカテレビの噂が広がり。
 そして同時期に発生した謎の連続殺人事件。
 二つの事象に関連性があるとにらんだ花村陽介の頼みからテレビの中の異世界に行き、ペルソナ能力を発現させ、真実へと近づいていく。」


これがメインストーリーの筋で、そこにP3からのコミュシステムの人間模様、学生生活の青春模様をサブにゲームは進んでいきます。


Persona5

舞台は日本の大都市、東京。
作品の大きなテーマは「更生」。

「暴漢から見知らぬ人を助けるも、逆に暴行罪で起訴され保護観察処分を受けた主人公。
 彼はいつの間にか入れられていた『イセカイナビ』というアプリによって、ひょんなことから欲望が生み出す異世界へと迷い込み、そこでペルソナ能力を発現させる。
 主人公と同じように社会からつまはじきにされ、あるいは抑圧された少年少女たちは怪盗団を結成し、悪人の歪んだ心を盗むことで世直しを行うことを決意する。」


同じく、これがメインストーリーの筋です。コミュシステムはコープシステムと名前を変え、学生生活も怪盗らしく一筋縄ではいかないと言った模様。

P5のテーマはP4のコミュシステムの続編である。


P4を遊んだ方はP5をプレイした際、「今回、なんだかギスギスしてないか?」と感じたと思います。
高校の周辺、中を歩けばひそひそ話で悪口を言われ、問題を間違えたら「あいつはヤバいやつだから」「やっぱり言ってた通りなんだよ……」と。
ストーリーの中でもレッテルを貼られ、「せいぜい悪さを起こすなよ」と初対面の人からは釘を刺されます。
学内、周辺。そして初期のルブラン。全てが監視されているんですね。保護観察中だから保護者の佐倉惣治郎に関しては仕方ないにしろ、です。


この閉塞感、似てません?
P4のコミュで求められているレッテルに!

小西尚紀に対しては「被害者の弟はこうあるべき」というロールを求められ、監視されていています。
巽完二に関しては「やっぱりこいつは悪い奴だ」というレッテルを貼られ、彼自身もコミュの中で変わろうとしていました。

他のコミュでも「こうあるべき」、「やっぱりこの人は」というロールを求められること、レッテル貼りはありました。

P4のコミュニティは大なり小なりレッテル、求められるロール、そういうものと付き合っていき、答えを導き出していくものでした。

そのハイブリッドがP5のレッテル貼りと監視による、都会にいるのに閉塞感を感じる居場所のなさ。

そして主人公とその仲間たちは「社会のレッテルなんかに付き合ってられない」と反逆を始めるのです。
P4のコミュは自分が変わって、折り合いをつけて答えを見つけて終わりました。

P5の主人公たちは最初に「反逆」という答えを得て、物語を始めるのです。

つまり、これはP4のコミュシステムが抱えていたテーマの続きであり、P5はペルソナシリーズの正統ナンバリングタイトルであるという証明だと考えます。

このテーマについてはもうちょっと語るべき点があるのですが、それはまた後で。


P4とP5の共通点「大衆」

P4の閉塞感と監視社会、それは移ろいやすく愚かな人々という形でP5に引き継がれています。
マヨナカテレビという虚像に翻弄される人々、マスコミ・各界の大物・怪盗団・ネットに翻弄される人々。
規模とモノが違えど、その本質は同じではないでしょうか。

「真実」に向かわず、見たいものだけを見る。
「レッテル」を貼り、実像を虚像へと張り替える。
「ロール」を他人に求め、責任を自分で取らない。

両作とも同じものを描いています。
ただし、その規模が違います。

それは世界を変えてしまうようなものになりうるほど、巨大なものなのがP5の大衆の民意でした。

その移ろいやすく愚かな民衆が生み出す熱気に怪盗団が飲まれることもあるほどに、「反逆」しないことは、「真実」を追い求めないことは楽なのだと作中で語られています。

P5では大衆というものを意図的に露悪的に描いているため、二学期の最後(P5の最後、P5Rの二学期の最後)ではプレイヤーは嫌悪感を抱いた人もいるかと思われます。

移ろいやすく、愚かでどうしようもないかもしれない。
自分たちは特殊な力を得た幼年期を終えないといけない。
つまり、そんな大人たちに後を託してもいいと言えるようになるまでを描いたことがP5なのだと愚考します。


作品テーマ、「更生」

P5のテーマは更生と言われています。
更生の意味は大きく二つ。「蘇ること」「好ましくないものが改まること」です。
理由は詳しくお話しませんが、今回は更生の意味を主に「蘇ること」としてとらえます。

何故か。
P5の主人公は「暴漢から女性を助けたことがきっかけで逆に暴行罪で起訴されてしまい、保護観察処分を受けて」います。
果たしてこれは「好ましくないもの」でしょうか。
主人公にも「あの時の選択は間違っていない」という旨の選択肢もありました。(記憶違いありましたら申し訳ありません)
であるならば、「正義をなしたはずなのに抑圧され、死んだように生きている」状態から「蘇る」ことこそ「更生」なのではないでしょうか。

抑圧から「反逆」したことによって「更生」の第一歩を踏み出し、そして人として「蘇っていく」のがP5だと私は思うのです。

自分磨きやコープ(取引)を通じて主人公はようやく「人として蘇っていく」のではないのでしょうか。

そして「反逆」。
物語の序盤、時系列では冬頃。主人公は警察に捕えられ、公安の男に「やったことには責任が伴う」と言葉を吐きかけられます。
これを序盤に持ってきたのは「主人公たちは自分たちの行動に責任を取れるようになる」という、大人のスキルを身に着ける予定であることを伝えていたのでしょう。

つまり、途中までは「責任の取り方なんて分からない、自分たちに都合のいい反逆」でしかないということも示唆されるわけです。
実際に主人公たちは序盤から中盤は「やられそうになるからやる」、中盤の終わりごろは「大衆に惑わされる」と後のことを考えられない、考えない集団だったのです。
この場合は「未熟な正義」がより良いものへとなる意味で「更生」されるともとれますね。

「反逆」はアイデンティティが確立すれば必要とされなくなります。
それが物語の終わりであり、P5の二学期の終わりだったのでしょう。

疑似家族

P4でウケにウケた要素、それが疑似家族だと思っております。
家に帰ったら可愛い妹がいて、たまに家事にだらしないけど頼れる父親が帰っている。
イベントではこの疑似家族要素が押し出され、堂島菜々子はP4プレイヤーの多くから愛されるキャラクターとなり、それゆえにP4のストーリー中盤の終わりごろは多大な訴求力を持ち得ました。
多分怒りに任せてバッドエンドに行った人もいるはず。

幼いけれど幼過ぎず、人見知りだけど打ち解けてくると甘える、好意はストレートに伝える、年齢にしては利発な子。
まあ人気でるなーという造形ですね。
私が読み解けていないだけでまだ計算されていると思います。

P4では充実した学校生活、ひとつの家族になっていく体験、異世界を探索して謎に迫っていくミステリー。
その三位一体によってとても明るく楽しめる作品になったのでしょう。

おかげで苦しかったアトラスも明るくなり、番長も減価償却が終わっても働かされることになりました。やったね。


打って変わってP5。
疑似家族要素は自分からコープを進めない限りほぼゼロです。
それは作品の構造上、ウケる要素だとしてもウケを外さなくてはならなかったからでしょう。

以下、推論を説明します。


堂島遼太郎と佐倉惣治郎の違い。

バッサリいきましょう。

作品の構造上、堂島家に求められていた先ほど述べていた通り家族としての役割です。
そこに共感や関心を得られるような作りであればあるほどストーリー内での「選択」が意味を持ち始めるからです。
稲羽市の真相の一部に関わるので言及は控えますが。

対して、佐倉惣治郎に求められていたのは真実の理解者であり、隠れ家の提供者です。
佐倉惣治郎は当初は主人公に対して厄介者が来たという態度を崩しません。しかし彼の孤独、絶望を真に理解している節が言動にありました。
P5主人公は途中、佐倉惣治郎に怪盗団であることがバレますが、「双葉を助けてくれた」という理由と「認知訶学について存在を知っている」というバックグラウンドによって彼をかくまうことを決めます。
これによってルブランは正式に怪盗団の本拠地になるわけですね。
そして佐倉惣治郎も身を挺して主人公を庇う理解者になる。

「最初から家族にしちゃ駄目なの?」と思う方もいるかもしれません。
アトラスさんが物凄く頑張ればできなくはないと思います。
ただ、人間はギャップというものにすごく弱い。
ふとした時に見せてくれる顔にものすごく弱い。

ビビりの味方が最終戦では誰よりも頼もしい味方になっている。
普段はツンケンした美少女が二人きりになったら甘えてくる。
学生として活動している美少女が夜は武器を持って化物を退治している。
例を上げれば枚挙にいとまがありません。

つまり、計算として「ここで主人公を助ければ株が上がる」とやっているわけです。

ちなみにその逆をやったのが堂島遼太郎です。
彼は「主人公がテレビの世界で捜査活動をしている真実」を与太話として処理し、最悪のタイミングで警察署内に閉じ込めてしまいます。
おそらく、その反省が「肝心な時に主人公を助ける保護者」なのでしょう。

そしてプレイヤーに与える感情を計算した際に、「最初から疑似家族だと無理だ」となったと思われます。

イベントの中立性から出番制に。

P4の青春イベントでは基本的に主人公にあからさまな好意を抱いているような女性の仲間はいません。

――久慈川りせ一人を除いて。

久慈川りせ登場前まではアピールポイントを数点残しながらも基本的には「友達」として接している女子メンバーたち。

コミュシステムの都合上、あからさまに異性として好意を抱いている描写をすると信頼が生まれていないのに好意的な関係になります。
それはそれでいいのですが。

それを知ったことではないとぶち壊しに来たのが久慈川りせという特出しモンスター。
主人公に好意を隠さない! ぶつける! 捕食しにくる!

アトラスで人気投票があったかは不明ですが、美味しい出番としては彼女がかなり食べてしまったのでは、と思います。
なお一番おいしいところは白鐘直斗が持って行った模様。

P5を作る際、「P4みたいに割を食うキャラがいたら駄目だよね……?」となって、それぞれに出番を与えていったのでしょう。
そのキャラの美味しそうなところをストーリーで見せて、それ以上はコープを進めてくださいね、という作り。

なお、P5Rになって芳澤氏が完璧なまでに正ヒロインの言動をし始めたのでP5にも反省があったのということでしょうね。


総括

おおざっぱにまとめると、
・P5はP4の反省点をもとに作られている。
・P4のコミュテーマの続きをP5で描いた。

というのが私の感想です。

お付き合いいただき、ありがとうございます。

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