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死ぬなという残酷な言葉

こんばんは。私のノートを開いてくれてありがとうございます。


私は自ら命を絶つことが生きる気力に繋がっていた時期がある。(今日はこういった内容です。これ以降、読むのは自己責任でよろしくお願いします。)

いつ実行するかを決め、それまでに大学をやめて身辺整理をしていた。身の回りを片付ければ片付けるほど、もうすぐ終えられる実感が湧いて胸が高鳴っていた。

もちろん、残される家族のことも考えた。でもこの頃の少し前まで私は反抗期で、母とは喧嘩ばかりしていた。たくさん嫌な思いをさせてしまった。姉と弟はいるが、この2人は特に仲が良くて、仲間外れにされていたわけではなかったが、疎外感を感じていた。姉には「どうせ学校で私の悪口言ってるんだろ」と言われたりして喧嘩をした。でも実際私は姉の悪口など言ったことはなく、むしろ私が言われていた。姉と友達でもあった私の先輩から、姉が言っていた私の悪口が流れ込んできて、それも口実にもなり、その先輩たちからもいじめのようなものを受けていてた。姉は、友達のいる前で私と会えば、馴れ馴れしく手を振ってきたり絡んでくるから、学校では仲のいい姉妹だと言われていた。だが、家に帰ればイライラをぶつけられたり、物に当たって大きな音をたてたり、大げさに私を避ける仕草をしたりと、本当に苦しかった。(私もここで姉の悪口を言ってしまっているからお互い様だな、、笑)その上、父は、「ねえちゃん、今大変な時だから、あんまり混乱させないでやって」と姉の味方をした。だから高校生の頃から、部活でも学校でも、家でも、私の居場所はないように感じた。それがとても辛かった。
でも、人生を終えることに目を輝かせるような思考になる頃には、私はいない方がいいに決まっている、そんなことを考えてくよくよすらしなくなり、とにかくもう終わらせたい、その一心だった。家族のことも顧みず自分のことを優先するという勝手さに、自己嫌悪に陥ることもあったが、終わってしまえばそんな自己嫌悪も関係なくなる。

そして実行する日。天気は曇り、生ぬるい風が吹いていた。ようやく、ようやく終えられる。ああ長かった。ふと、嫌な思い出で頭がいっぱいになる。いつもはイヤホンを耳にさし外に音が漏れるほどの大音量で音楽を流し、布団にくるまって、考えが止まることを待っていた。でも今日は違う。もういいんだ、もうこれ以上考えたって、このあとすぐ終わらせるんだから。そう思うと、どんな嫌な思い出も威力を衰退させた。自分でも驚いた。そして終わらせることはなんて素敵なことなんだろうと思った。

それなのに、いざとなると突然怖くなった。割と悩みやすい性格の母親はどうなる?喧嘩ばかりだったから母は自分のことを責めてしまうだろうか。弟はこれから高校生になるのに、姉は就職したばかりでこれからなのに。もう吹っ切れたと思っていたのに、今になって家族のことばかり頭に浮かんできた。情けなかった。誰しも生きていれば苦しい思いをしているのに、私には自分の持つ辛さに耐えるだけの根性がない。それなのに、終わらせる覚悟も足りていなかった。これで生きても、今着てる服以外はもうないし、また買いに行くなんて嫌だし、部屋の物だってほとんどのものは捨てちゃったし、大学も辞めちゃったし、もう何も残ってないんだから。何より、また嫌な思い出で苦しみながら生きないといけないんだ。早く終わらせないと。そう思っているのに、どうしても手が動かなかった。何時間も何もせずその場に座っていた。もう少しで日が沈む。日が沈んだらやろう。そう思っていると、後ろから知らない人に話しかけられた。人と関わるのは嫌だったけど、話しかけられてしまえばもうあとはない。いい印象の人と思われるようにいい人の皮をかぶる。この期に及んでも周りの目を気にする自分がとにかく情けないと思った。

「どこから来たんですか?」

そう聞かれただけなのに言葉につまり泣き出してしまった。何となく、その人は自〇する人がいないか見回っている人だと分かっていた。だから絶対勘づかれてはいけないと思っていたのに。いきなり泣き出した私を見て、その人は驚かなかった。やっぱりそうだ。私をそういう人だと思ったから話しかけてきたんだ。その後の会話はよく覚えていないが言われるがまま、手を引かれてその人の事務所に連れられて行った。その人の手はすごく温かくて、いつの間にか冷たくなっていた風で自分の体が冷えていたことにその時ようやく気がついた。


もう計画は失敗に終わってしまった。もうどうでもよくなって、その事務所にいた人に話を聞かれてこれまでの経緯を話した。自分の悩んでいたことを誰かに話したのはこの時が初めてだった。するとその人に言われた言葉は、死んじゃダメ、という言葉だった。以前の私なら、死なないで、死んではダメ、その言葉は当たり前のことで嫌な言葉だと思わなかっただろう。でもその時、残酷な言葉に思えた。この言葉が残酷に感じる時が来るなんて思いもしなかった。
自分の人生は自分で生きるしかない。生きていくなら今自分が持っている問題と向き合っていかなければいけない。誰かに任せられることではない。最後は自分しか解決できない。誰かに解決してもらおうなんてことも思わない。
だけど、死んじゃダメなんて言われてしまったら、生きるのは私なのに。あなたは私の問題を代わりに解決してくれる訳では無いのに。死んじゃダメと言うばかりで、結局、あなたはあなたの人生を生きる。私の人生を代わりに背負うなんてできない。このしんどいのを抱えて、自分を責めることしか出来ない、この中でまだ生きないとだめなのか。そう思ってしまった。本当は感謝するべきなのに、こう思ってしまう自分がもっと嫌になった。そもそもこう思うなら早く実行すれば良かったのに。実行する直前は怖くなって動けなかったくせに、計画が失敗したとなった途端、手を差し伸べてくれた人に感謝すらしないとは。どこまでも卑怯で臆病で歪んだ性格だなと再確認した。

未だに、この話をいい方向にもっていって、終わらせなくてよかったとか、一般的にいい感じに締めることはできない。私の中では未だに、終わらせることがいい感じの結末だ。ただ、あの時の人達にお世話になったことは紛れもない事実だから、1度でもしっかり感謝できたらいいな、というかいつかはちゃんと感謝しないとと思っている。こんな義務感すら無くなって心から感謝できればもっといいのかもしれないが。いつかそんな時が来るだろうか。来ればいいなという思いと、来なくてもいいという矛盾した思いがある。でも、来ればいいなと少しでも思えている今は、あの頃よりはいい状況なのだろうか。いいのか悪いのか、今の私にはわからない。

最後まで読んでくれてありがとうございます。
今日は特にセンシティブめが強いな内容で、、。
間違ってもこんなことは身近な人には話せないので、ここに吐き出させてもらいました。いつもの事ながら本当にありがとうございます。

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