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このままで生きていけるのだろうか

私にはトラウマがある。それは私の高校時代3年間を注いだ部活だ。
引退してからもう既に3年経っているというのに、その部活を表す具体的な文字や音、映像が見聞きできない。特にこの時期はその部活が風物詩となる時期なものだから、見聞きしなくとも私にとっては地獄のような季節だ。毎日現役時代の記憶が頭をよぎり、その部活のテーマソングが脳内再生される。

「音楽止まれ!止まれ止まれ止まれ!」
「うるさいうるさい!」

私の脳みそは、私という主のこんなにも切実な願いを一切聞いてくれない。頭の中がぐちゃぐちゃになって、頭が熱を帯びたように感じる。髪の毛を鷲掴みにして引きちぎりたくなる。皮膚の下からじりじり、そわそわするような気持ちの悪い感覚が絶え間なく湧き出してきて落ち着かない。
一緒に暮らす家族は、そんな私のために、その話題を出さないように気をつかってくれている。世間ではそこかしこでその事が話題になっているし、父や弟も好きな話題だから、相当苦労させている。

こんなに拒絶反応が出ているのに、実は何が嫌でこうなっているのか、私はよく分かっていない。いや、本当は分かっているのかも。でもそれがものすごく自分勝手で人として終わっているから認めたくないのだろう。しかもそれがとてつもなく私らしいような気がするものだから、尚更目をそらしたくなる。
自分にとって都合が悪いから。そんな最低な人間だと認めたくないから。そんな所も本当に私らしくて情けない。こんな自分本位な悩みで、家族をも巻き込んでいる。救いようのない最低さだ。
こんなにも最低なのに、周囲には、優しくて真面目な人に見えているようで、なんだか騙しているような気分だ。そう思いつつ、周りにはよく思われたいから、猫の皮をかぶり続ける。
どうしようもない性格に我ながら批判が止まらない。私は私が大嫌いだ。
小学校時代、自分のことが大好きな友人がいた。ある日の授業で、大好きな人のことを思い浮かべてみましょう、ということがあった。ほとんどの人がお母さんお父さんと答える中、その子だけは

「僕!僕は僕が好き!」

そうまっすぐ答えていた。私も含めて周りのみんなは、自分のことが大好きなんて変だよ、と笑っていた。それでもその子は自信たっぷりの表情をしていたことをよく覚えている。
これまでとは比にならないほど自分のことが嫌いになった今、自分のことを好きなることがどれだけ難しいことで、どれだけ大切なことなのかようやく分かった。笑っていたことが恥ずかしく思えた。そして何よりその子がとても眩しく思えた。

中途半端だけど、今回はここまでにしようかな。
読んでくれた人本当にありがとうございます。皆さんをネガティブにさせてしまっただろうか。その日のうちにそんなネガティブ感情がどこかへ行きますように。

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