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驚きの可愛さ

息子が旅立った直後に妹たちが贈ってくれたウェイトベア。最初は近所の店で買ったベビー服を着せていたのだけど、店員さんに「何ヶ月のお子さんですか?」などと話しかけられるのが嫌になったので自分で作ることにした。バンTリメイクしてロンパースにしたり、ひざ掛けからスリーパーを作ったり。息子代理として、わたしのお世話したい欲を受け止めてくれている。

※息子は空に還ったけれど、息子との時間を記録しておきたくて、振り返りながら書いています

写真ではそれなりにむっちりしているように見えた息子だったが、PICUのベッドにいるととても小さく見えた。手のひらに収まる小さな頭を何度も撫でる。後頭部で絡まった髪、浮腫んだ丸い頬、全部可愛い。仕事柄見慣れているとはいえ我が子が管まみれなのは辛いものがあるんじゃないかと思っていたが、この可愛さの前にはなにも関係ない。夫は「目にあたっちゃう」「チューブ外れたらどうするんだ」などとオロオロそわそわしていた。そう簡単に外れるものじゃないの知ってるでしょ。

ひととおり撫でまわしたところで別室に案内され、改めて小児科主治医から説明を受けた。息子はありとあらゆる薬と人工呼吸器で、ひとまず小康状態を保っている。ただしそう遠くないうちに破綻するのは明らかなので、本人の状態や手術室の空き具合などの状況を考慮しつつ、翌日か翌々日の朝から手術をする。左心低形成に対する第一段階目であるNorwood手術と、三尖弁閉鎖不全に対する弁形成手術。手術を待つ間に急変した場合、夜間などの緊急手術になることもあり得る。

生きていくのに不利な身体で生まれた息子が、この世界で生きていくための第一段階。不安がなかったわけじゃないが、楽しみな気持ちのほうがずっと大きかった。少し不自由で、でもとても楽しい毎日が待っていると信じていた。

最後に息子をもうひと撫でして、この日の面会は終了。病棟に戻ると看護師さんが「息子さん、初乳飲めたそうですよ」と教えてくれた。鎮静剤で眠っているので経鼻胃管から、しかも直接投与したのはわたしではなくPICUの看護師さんだが、それでも授乳は授乳。わたしお母さんになったんだ、と嬉しくなった。

一方、夫は病院を出たその足で地元の役所に向かっていた。出生届は住所地でなくても、たとえば大学病院がある自治体の役所で出しても良いのだが、そうすると住民票や戸籍への反映に数週間かかってしまう。世間は年末、正月休みに入る前に息子の保険証を申請するためには、1日でも早く住民票を手に入れる必要があった。

夕方、夫から一枚の画像が送られてきた。母子手帳の証明欄に、確かに息子の名前が記入されている。正式に、わたしたちの家族になったのだ。我が家へようこそ。

さて、わたしの方はというと。まず血糖値はするっと下がった。妊娠糖尿病の産後はスケール対応といって、毎回の食前に血糖値を測って基準値を超えたときだけ数値に合わせた量のインスリンを打つ対応が取られていた。入院前は必死で食事管理してやっとこさ正常ギリギリからやや高めに収まっていたのに、産後は普通の食事を完食しても余裕の数値、なんなら低すぎて看護師さんに心配されることもあった。妊娠糖尿病は胎児に栄養を届けるための仕組みが働きすぎた結果起こるもの、と理解していたのだけれど、生まれた瞬間あっさり下がるその仕組みがなんだか面白かった。人体面白い。

そして、股がとにかく痛かった。肩甲難産で会陰切開したところの痛みだった。寝ても覚めても痛いが座った時が一番痛い。なるべく座りたくないが食事の時はそうもいかないので、タオルを丸めた上に坐禅を組むような格好で食べていた。なにをしているんだろうわたしは。こんなに痛くて大丈夫なのかと不安になったが、シャワーで恐る恐る傷を触ってみると、腫れてはいるが化膿はしていない様子。おそらく、表皮から粘膜まで一気に切って、何層かに分けて中も外も縫ったから、腫れが強く出ているのだろう。消炎鎮痛剤をしばらく続けて飲んだ方がよさそうだ。頓服の痛み止めが処方されていたので、我慢せずきっちり飲むことにした。

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