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いじわるな子

わたしにはひとつ年下の弟と、4歳下の妹がいる。

弟は生まれつき体が弱く、当時は「寝たきりの子どもになる」と医者から言われたらしい。ミルクを飲んでは吐き、泣いてはひきつけを起こした。ちなみに今は痛風を抱えた、お腹の出たおじさんである。

弟が生まれた時にまだオムツをしていたわたしは、弟の存在を受け入れられなかった。よく父親の膝の上を弟と取り合いしたことを覚えている。そういう時は必ず言われた。「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」。好きでお姉ちゃんになったわけではないのに、お姉ちゃんになると、随分と制限が多くなった。

訳もなく弟が憎くて、弟の泣き顔を見るとスッとした。だから、わたしは弟をよくいじめ、泣かせた。母にそうされるように、弟を何度も叩いた。でも泣くと呼吸が止まりそうになる弟に細心の注意を払っていた母は、弟を泣かすわたしを悲鳴のように怒鳴り、殴った。「なんで○○くんを泣かすの?!」理由はない。憎いのだ。

やめられない弟いじめを父、母、祖母から非難され、「なんでこの子はこんなに意地悪いんや」「ほんとに意地の悪い子や」「いじわる」と毎日のように言われた。大人3人から「いじわる」認定されたのだから、わたしは本物の意地悪だ。相当の悪だ。

やがて妹が生まれた。末っ子は少し余裕を持って育てられたらしく、天真爛漫な子だった。よく笑う赤ちゃんを弟はとても可愛がり、弟をいじめるわたしと比較して「○○くんは優しい子」と呼ばれた。優しい弟と、「いじわる」なわたし。たまには呼び方を交換して欲しかったけど、どんなに弟や妹を可愛がっているつもりでも、それは「優しい」という大人からの評価には結びつかなかった。妹は「面白い子」「ひょうきんな子」と呼ばれた。

家庭内で「優しい子」と言われなかったわたしは、幼稚園や小学校に入って、「優しい子」と言われることを心ひそかに自分の目標にした。人にやさしく。人に意地悪をしない。でも、本来の意地悪さは体の内側にべったりとくっついていて、わたしは友達と派手に喧嘩をすることが多かった。腹が立つと手が出た。そのことに違和感を持っていなかった。だから、「いじわる」からは卒業できなかった。

それでも小学校を転校した2年生の頃には友達に手を上げることはなくなった。友達には。1年生の弟が誰かにいじめられている場面に遭遇すると、飛んでいって相手を殴りつけて泣かせた。弟を助けた自分は「優しい」と自画自賛していたが、「○○くんのお姉ちゃんは怖い」と噂が立ってしまった。弟の結婚式での友人スピーチでもネタにされたくらいだ。

中学生になると、弟や妹を殴ることをやめた。単純に弟の腕力に勝てなくなったからだ。ひそかにわたしの「優しい人になる」計画はまだ続いていたが、家庭の中で大人に「優しい子」と言われることは、やはりなかった。

大人になって、心を病んだ時に、母に聞いたことがある。「わたしはいじわるい子?優しい子になれないのかな?」と。母は「優しい子。十分優しい子」と、答えた。やっと言われた。長かった。

でもきっと自分の本性はやはり「いじわるな子」で、誰かに優しくする自分は偽善なのではないかと思う。だから、今でも誰かに「優しいですね」と言われると素直に受け入れられない。「いえいえ、こんなに悪魔みたいな自分が心の中でトグロを巻いてますよ」と内心思っている。

「優しい人」になるのは難しい。きっとわたしの一生の課題だ。




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