見出し画像

拒食症になって思ったこと

食べることって何だろう

ー食べることって一日においての流れ作業のひとつですー

これは入院中に医師からしつこいくらいに言われていたことです。頭から離れない言葉の一つ。

眠ったり歩いたりトイレに行ったり話したり…そんな日常においてのたったひとつの流れ作業なのです。その流れ作業が難しくなってしまうのがこの摂食障害という病気なんです。

摂食障害というのは難病指定されているのはご存知でしょうか。私は自分がこうなるまでは全く知らなかったし、簡単に治るものだと甘くみていました。実際に治療は食べていくしか方法がなくその食べる行為がかなり辛いのにそれしかないのが現状です。

食べる行為自体が治療なんて”普通の人”からすれば「なんて楽な治療」「すぐに回復する病気」「自堕落な病気」ってなると思う。それが”普通の人”の意見であることが”普通”だし”当たり前”だと思う。

でもそれが一番つらい。なんてたって理解が得られないのだから。担当の医者ですら理解していないことも多かった。それがこの摂食障害という病気の一番つらかったことである。しかも理解せてくれるであろう、同じ病気の人ですら意見が合わないことの多い病気なのだ。

食べることにおいて、前向きな私にとっては『食べたくない』っていう拒食症の人とは関わりたくないし、過食嘔吐な人とも意見は合わない気がする。

それは私の拒食症になった原因がいわゆるダイエットではなく、妊娠糖尿病での糖質制限によるものだったからかもしれない。

妊娠してから毎日の糖質量は多くても50ℊほどだった。出産後もなるべく糖質を避けい息が5歳になってもそれは続いていた。それが引き金になっているのは間違いない。だからと言って妊娠して息子産んだことは0.00000000000ミクロンも思っていない。息子を産んでから幸せとしか思っていない。

全て自分が招いたことだから。


話は反れたけれど、食べることって本当に流れ作業である。毎日なんとなーく食べてなんとなーく食べたいときに食べれればよかったよ。何にも気にしないときは。それが栄養素や原材料を気にし始めてからはガラッとかわった。糖質や炭水化物が少ないものを探し始めると本当に食べられるものは限られた。スーパーや、コンビニに行くとサラダやタンパク源しか買えず、外食でもサラダのみということが続いていった。普段の食事でも家族と違うものを食べることも当たり前で、主人や息子にも迷惑かけていた。それでもそれが『私の当たり前』になってしまった。

それがやはり5年続いた2021年。働いていた託児所つきのクリーニング工場のパートが急に忙しくなった。息子の通っていた幼稚園で少しいざこざがあった。主人の帰りも遅くなって休みもなくなった。そしたら体重がみるみる落ちていった。

それになぜか喜びを感じてしまい私は

拒食症にのまれていった

何も食べられない食べたらチューイングしてしまうことも増えた。大好きなカフェラテも半分でリバースもしくは捨てる。どんどん悪化した。

体調面では耳が聞こえなくってしまう『耳管開放症』、筋肉がなくなり階段も昇れない。なのに1日一万歩以上歩かないと気がすまないと色々抱え込んでました。体重は最低で23.5キロ。ちなみに息子は17キロだった。

すごいダメな親だった

正しい判断も出来ず、何もする気力もなくなったけど食べることに関しては意固地になっていた。こだわりが強かった

それで入院して今に至る。

入院のことは書こうとしたけどまとまらないので 今は書かないことにしました。質問があれば質問は受け付けます。

 そして今は息子とハンバーガーも食べられるし、息子と追いかけっこができるし踊れるし歌えるし、テレビを見て『楽しい』って思えるし、コーヒーも全部飲めるし、何よりご飯が美味しいって思える。

それが何よりも楽しい。


そして食べることってなんだろうってタイトルにしたけど、食べることって敢えて考えることでもないよね。楽しく、美味しくそして息子を笑顔にしてもらえればそれでいいよね。生きていくには食べることは必須。そして楽しく幸せであることが必須なんだよね。

そう思います。


画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?