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9月


ピンク雲が毎日のように見れた夏の終わり☁️

素直になるぞと決めて感情のままに行動し続けたら恐れていたことは起こらず嬉しい楽しい気持ちよい☁️

しつこく出過ぎる捻くれ顔をねじ伏せるのに始めは労力がいったけど、素直子の出番が増えるにつれて段々大人しくなっていった。

素直に動いて恐れていた事が起きるよりも、恐れから逃げるために湧き出る感情の流れを止め続ける方がずっと苦しいと思った。

捻くれ直ちゃん長い間お疲れさんよく働いたねこの機会にゆっくり休んでねん!



久しぶりにとある本を手に取ると、はじめて読んだ時感銘を受けたパートがやっぱり大好きで毎晩読み返した。
抜粋しながら話す!


◯人間は、自分自身をあわれなものだと認めることによって、その偉大さがあらわれるほど、それほど偉大である◯


この一節だけ読むと、あわれさを認めることが偉大?そうか?と疑問が浮かぶが、読み進めていくうちに早とちりだったと気付く。


◯僕たちは人間として生きてゆく途中で、子供は子供なりに、また大人は大人なりに、いろいろ悲しいことや、つらいことや苦しいことに出会う。出会うおかげで、僕たちは、本来人間がどういうものであるのか、ということを知るんだ。

心に感じる苦しみや痛さだけではない。からだにじかに感じる痛さや苦しさというものが、やはり同じような意味をもっている。

からだの痛みによって、からだに故障の生じたことを知り、同時にまた、人間のからだが本来どういう状態にあるのが本当か、そのことをもはっきりと知る。

同じように、心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを僕たちに知らせてくれるものだ。

では、苦痛の中でも、人間だけが感じる人間らしい苦痛とは、どんなものだろうか。

一番深く僕たちの心に突き入り、僕たちの目から一番つらい涙をしぼり出すものは、自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまったという意識だ。

悔恨の思いに打たれるというのは、自分はそうでなく行動することもできたのにー、それだけの能力が自分にあったのにー、と考えるからだ。正しい理性の声に従って行動するだけの力が、もし僕たちにないのだったら、何で悔恨の苦しみなんか味わうことがあろう◯


わたしたちには、苦しみや悲しみから発して、睡眠から目醒めるように、誤りから真理へと向かう力がある。
その内に人間の偉大さを見出すことが出来ると言う。

これは、人間への絶望が絶えなかったであろう戦争の時代に出版が禁止された「君たちはどう生きるか」という、吉野源三郎が未来の子どもたちに残した希望の書である。


人間は過りを犯す生きものだ。
弱点を克服していくことが人の生きる道だ。
大切なのは、心に感じた苦痛を誤魔化さないことだ。
でもそれが難しいのだ。
目を背けていることにさえ目を背けている始末だ。
苦しみが苦しみを呼ぶだけなのにだ。
たいへんだな!


今は素直でいれてると思っているけど先のわたしが今を振り返って苦痛なんて微塵もなかったと思えるかどうかは知らんがな、先の自分より今を信頼すべきなのは確かだ。信じ疑い苦痛をうまいうまいと味わいながら死ぬまで今の精一杯を素直子で生きたいな!



PEACE♡



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