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美味しいと思える幅の広さは幸せよ!!

長所ってなんだろう、と考えると友達や家族の良いところ好きなところはポンポンでてくるのに、私自身の売り出しポイント?ってどこかなと常々考える。
飲みの場のトークテーマだしてと言われたのでじゃあ自分のセールスポイントは何かと聞いたら答えた1人に対して満場一致で君のいいところはそれだね!羨ましい!わかる!となっていたのだが、私のターンで振られた時に、
ご飯を何でも美味しいと思えるところかな
と言ったらかなり弱かったらしい。
悔しい。
これに関して話し始めると長くなるのであまり他人に話したことがないけれど、久々に美味しい食べ物の幅の広さは幸せの幅の広さに直結すると思っている節があるのでこれを書こうと思った。

自分が心掛けていることがそれぞれあると思うけれど、
ご飯を食べている時に(対人と)マズイを共有しない
という事を本当に心掛けているというか身体に染み込んでいる。
小さい時から特に父親に擦り込まれた。
君がマズイと言ったせいで俺も今不味くなった。誰かは美味しいと感じているからこうやって出てきているのでそれを共有する事をしてはいけない。
と。
物分かりがいい子供だったのでそれを強く気をつけて、好きじゃない食べ物だった時は
苦手だとか、私は好きじゃなかった、とか。
マズイ
の三文字を人生でほぼ食事に対して使った事がない気がする。
擦り込まれているので特に気をつけて言っているわけではない。
でも他人がマズイとか言ってるのを見聞きするのはあまり好きじゃない。
全てのものに言えるけれど、例えば、自分が可愛いと思って使っている服を可愛くないと言われたら嫌だし、家族や恋人の悪口を聞く事は嫌だし、少し違うけれど大きな括りにするとご飯の美味しいマズイはそういう事だと思っている。
自分の中の宝物の悪口を言われたら嫌な気持ちになるのは一緒だけど宝物の程度の問題かもしれない。
居酒屋やレストランで食べた時の美味しいの感情って宝物にするには程度が低いのかもしれない。それと私が美味しい食べ物に対して宝物にできる心のキャパが広すぎるのもあるのかもしれない。

友達が連れてってくれた居酒屋で焼き鳥とお酒を楽しんでいた時に友達から、
ピンクと水色ちゃんってここ美味しいねって言いながら食べてくれるからそういうとこすごく好き
と言われた。
自分が小さい頃気をつけていた事をこうやって褒めてくれた人は初めてだったし、気づいてくれた事が本当に嬉しかった。
言ったその子は覚えてないかもしれないけれど私の心の中ではずっと覚えてる。
その子は心の友だと強く思っていて、恋愛コラムを読んで泣いていた私に
そんなものはおじさんが書いている嘘だから信じるな。
と言ってくれた。おじさんが書いてるから信じるなって笑えた。泣いてる自分にバカバカしくなってそれ以来恋愛コラムを読むのをやめた。そんな大好きな友達に気づいてもらえた事が嬉しくて、私を見てくれているんだと。

という事を思い出したので、セールスポイントとして激弱と言われたが気にしない事にした。私の良さに気づく事が出来ない人がアホウなのだから。アホウは言いすぎましたすみません。

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