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七転び八起き

公演が飛んだ。なんとも言えない気持ちになる。立場は違えど二度も公演がなくなるのを目の当たりにすると、動き出すのが妙に怖くなる。なんなら普通に公演なり稽古しようと思って動こうに
(はて、まずはどうするのだったか)
と考え込んでしまう。

まぁ、そんなごくごく近況はさておき。
気付けば年が変わっている。今更過ぎるかもしれないが、あまり気に留めてなかった。留めてる暇がなかったのかも……
ナメクジのような速度で去年上演できなかった「ちいさな沼のほとりで」(新作)を改訂しています。
時間を置けばまぁ冷静になるもので、ほんとに身も蓋もない、嵩増ししてるだけで作品を広げられてない無駄な場面をごっそり削ったり。人物の登場タイミング、そもそもの登場人物の構成を改めてみたりする。
最近は物語の起承転結で構成するのをやめ、序破急で考えるのがしっくり来ている。だから、台本は三幕、そこからさらにいくつか稽古しやすいよう場数を区切っている。
ようやく全体の1/3。土台が組み上がったところ。もうちょっとだらし無い2幕の頭終わりからそれ以降の改訂である。物語の後半は変に構成を触らなくても良いだろうと思ってはいるから、なんとなーく改訂作業も佳境に差し掛かってるのだと思う。

そんな執筆の傍らで稽古をしたり、知り合いの宣伝で食指をそそられる公演を観たり、お手伝いにいかせてもらったりした。
去年からなんとなくは感覚にあってボンヤリ自覚はしていたのだが、作品の内容やあらすじを重要視していない。それよりは企画の成り立ちとか意図がどんなものかを気にしている。公立運営の場所や集まりであるなら、地域への還元とかの部分。たとえば見せ物だから消費するだけのその場限りの娯楽としてではなく、企画や題材を元に単に作品の良し悪しだけでなく、下地とした古典にも関心を広げさせてくれる。レパートリー公演として続けてきた中で過去に縛られ過ぎずに、今と向き合い作品どう壊して変化させていくのかとか。単純に面白いものを上演する以外のことを多分に扱っていたのを目撃できた。数は多く無いが今年触れたものはそういうのがあって刺激があった。

公演がなくなってしまったから、なんとも言えない気持ちには多少なりなっているのだが、それで病んでる暇もないなぁと。
これだけ書くと心のない鬼とでも思われそうだが、そうじゃない。あ、言葉を重ねるとうさんくさくなる。
悲嘆に暮れて同情買ってヨシヨシされても、別に進展ない……いや、違うドツボだ。
あの、前向きに生きてます。興味深いものに遭遇出来たし、次の企画が決まりそうなんで。それに向けて書類作らないといけないし!ポジティブに生きてます!

生きる糧となります。喫茶のお茶代……ひいてはアレです、執筆のために頂戴いたします。つまり、ふへへへカフェインだ