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2019/12/22 ミイラ-「永遠の命」を求めて-展@国立科学博物館

10月に「風景と科学」展のために国立科学博物館を訪ねた際、このミイラ展の予告を見て機会があれば観たいと思っていた。

科博には、常設で江戸時代の女性のミイラが展示されている。「彼女」を展示するにあたって、研究過程と成果だけではなく、研究対象の「彼女」の尊厳を損なわない配慮も同時に行われていることに感心した。だから、科博の展示であれば見たいと思った。

昔神戸市立博物館に何度かエジプト展を見に行った。そのときに見たミイラに対して人間の生々しさを感じなかった。何千年も昔の亡骸が現代まで残っていることへの驚異は感じるものの、たくさんの博物の中のひとつといった印象だった。

しかし、科博の常設展示の「彼女」からは確かに「江戸でかつて生きていた人」であることを強く感じた。だからこそ、科博の展覧会を見ることは、「人間」を知ることになるのではないかと思ったのだ。

今回の特別展では、世界各地のミイラ43体が、発見された地域ごとに展示されている。自然にミイラになったもの、人工的に作られたもの、両者ともある。分からないことは分からないとしながらも、同じ「人間」でありながら、様々な歴史と文化、環境、それらに根差した死生観があるのだと改めて教えられた。

また、現代の研究・技術の進歩によって、ミイラから得られる情報がとても多くなっていることにも驚かされた。新たな解析の技術と、従来の考古学・歴史学などの研究とが結びつくことで、新たな発見が続いているという。

研究は点のものではなく、点と点とを繋いでゆくものであり、現時点での精一杯が来たるべき未来の点の手掛かりとなる。だからこそ、発見された資料は人類の宝として大切に保管されるべきなのだ。

展示順路の最後に見た、日本の本草学者のミイラが印象に残る。「彼」は自分自身が学問的探究の果てにミイラになることを望み、遺族に埋葬の手筈を細かく指示したそうだ。その上で、自らの研究成果を確かめるために、「後世に機会があれば掘り出してみよ」と言い伝えていたという。実際、第2次世界大戦後、墓地移転の際に、子孫の方の立会いのもと掘り起こすと、脳は縮んでしまっていたものの、脳が残った状態でミイラ化することに成功していた。死の直前に大量の柿の種子を腹に収めていたとか、謎が多いけれど、「彼」の研究は正しかったというのは、なんともすごい。後の時代に託せるのもすごい。わたしならば、自分の目で成果を見たいと思ってしまう。

目の前にある「彼ら」に圧倒された。宗教との関わりや文化史的な位置づけなど、知りたいことはたくさんできた。「彼ら」からいいきっかけをもらった。

会期は2020年2月24日(月)まで。熊本・福岡・新潟・富山での巡回展あり。





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