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ちょっと待て!(落ち着け!)

何度もお蔵入りにしたテーマが有ります。

何度も、何度も。

でも、私の選んだタイムラインが3次元なのかと思う程、個人的にはよろしくない方向に進んでいる部分が有ります。

書かない方が良いのか、書いた方が良いのか。


古い記事でも書いてきましたが、自身の「直感」に従ってください。


この先はネガティブにならない様に書き進めますので、安心して読み進めてください。

闇の勢力達が「広告塔」に選ぶ芸能人のレベルが下がって来ているのと同じで、「小さな派閥」も「攻撃対象」になって来ています。

ちょっと大きめのコミュニティなら、「攻撃」の対象になっても不思議では有りません。

あの人もあの人も、途中から「中の人」が変わってしまいました。

あの人もあの人も、途中から「闇の手下」になりました。

あの人達も途中から路線変更がはなはだしいです。

あの人も、途中から守銭奴に成り下がりました。

でも、だからと言って完全否定するのは止めた方が良いと、個人的には思います。

どの人も一定量の良い情報は発信しています。

「大事な所」は有料だったりはしますけどね。

バカ高いセッションも有ります。

でも、それでも良いと思いませんか?

お金を払いたい人が居るなら、それが「魂の計画」かも知れないですよ。

少なくともその人が知らない何かを得たり、お先真っ暗の中で希望を得たかも知れません。

最近の「離脱者」の特徴ですが、
「スピリチュアルは殆ど嘘で全ての情報は闇から与えられている。」
「アシュターやなんかも、司令官と言う意味だから特定の人物では無い。」
・・・

ようは「絶望」して諦めちゃってます。

それこそが、奴らの狙っている「一部の状態」です。

殆どの人達が闇に騙され、自己を否定し、もしくは、他人の決めた「上限」からはみ出す事さえできていないのに、少なくとも目覚めた人達は自身の「夢物語」を追いかけようとしているのです。

良いでは無いですか?


「奇跡が有るのなら、自分で起こせば良い。」
「自分は愛と光の世界を目指す。」

本人の自由です。

ビジネススピの人が「自分の価値」を設定して、それにお金を払う人が居て、双方の利益が成り立っていると思う人達がいる間は良いのです。

勿論、確信犯で人をだましているとしたらそれは罪です。


闇の連中は情報を操作し、みんなが混乱したり、萎え落ちするように必死で動いています。

海外の「体力」さんも少し前に発信していました。
アシュタールの誰かさんも発信していました。

ここまで来たのだから、挫けてはいけないと。
今こそ改めて光に生きる事を決意してくださいと。

考えて見てください。

何が嘘でも、真実なんか無かったとしても、「愛に溢れた世界」を目指す事に何か理由が必要ですか?

闇じゃ無い人全員にアンケートを取って見たらどうなりますか?

「あなたは愛に満ち溢れた世界と、
 そうで無い世界のどちらを望みますか?」

結果は明らかだと思います。

それだけでも良いでは無いですか。


「攻撃」を受けている人達だとは思いますが、名指しで否定しあってる人が増えている様に感じます。

私も過去にかなり品の無い攻撃を受けた事が有りますが、原因は単純で私の素直な「感想」が相当気に入らなかったらしく、しばらく攻撃されてました。

私が完全に無視していたので、攻撃は止みました。

私の記事を読んで下さっている方々はご存じかと思いますが、「内観」は大切です。

例えば、自分の記事が「否定」されたとして腹が立ったとします。

何に腹を立てているのかしっかりと見つめたほうが良いです。

「正しい情報を発信しているのに、なぜ否定されなければなならないのか?」

ってレベルじゃぁ足りないですよ。

私は正しい。
相手は否定する。
根本的な立ち位置が違うのか?
相手の習熟度が足りないのか?
今、不幸なのかな?
ただの遊びなのかな?
もしかして先天的に障害を抱えているのかな?
自分が理解していないだけなのかな?
・・・

無限と言って良い程に考える事は沢山有ります。

私は常々部下に言っていますが、
「髪の毛が抜ける程悩まなければ難しい知識や
 スキルの本質には迫れないよ。」

内観も同じだと思います。

だから、
アル中と言われようが、詐欺師と言われようが、運営に報告したと言われようが、放置して真剣に考えました。

私を攻撃した人達は他人をあざけて誹謗中傷するような替え歌をアップするような人達でした。

否定の仕方や歌詞は面白かったんですが、歌唱力に難が有ったのでそこを私が指摘してしまったんですよ。

まあ、音程すら合っていなかったので歌唱力が足りないというのは事実です。

でもその人とその取り巻きはムカついたんでしょうね。

そして彼らはスピリチュアルに生きようともしていないし、3次元的に生きていたい人達だったんですよね。

この時点で私からのアクションは必要ないですね。

反論する必要も、教えてあげる事も、関わってあげる事も、全てが必要ないんですよ。

ただ一つ言ってあげられる事は、
「好きでやっているのなら、楽しいのなら、続けてくださいね。
 でも、練習すれば歌が上手くなる事は有るので練習してみたら
 どうですか?
 上手に歌えたら、もっと楽しいですよ。
 例え歌詞がタヒね!タヒね!の繰り返しでもね。」
です。


売れない画家でも、売れない歌手でも、作られた常識から外れていても・・・

同じじゃないかなと思います。

愛だってそうですよね?

人によって解釈が変わりますよね?

例えば西部開拓時代に愛馬が足に重傷を負ってしまった時です。

まあ、もともとその時代は「馬が死んだとしても自分の鞍だけは死んでも背負って行け。」
ってな言葉が有ったぐらいですが、それでも自分の馬を愛していた人は大勢いたはずです。

古い西部劇なんかでは、馬が重症を負った場合は「安楽死」させる場面が結構あったんです。

残酷ですか?
愛ですか?
施しですか?
情けですか?

人間が生きて行くのもかなり難しい荒野で歩けない程のケガをした馬を置き去りにするとかなり最悪な最後を遂げると言うのは多くの人に理解できると思います。

寝たきりの馬は傷口から感染し、床ずれした腹部からも壊死が始まり、生きたまま腐っていくんです。

早めにコヨーテなんかに見つかって捕食される方がましなくらいに悲惨な目に会います。

愛していたら「安楽死」を選択するのも無理は無いと思います。

それとも、その馬と共に死を選びますか?

遠くに家族を残してきているかも知れないのに。


人間の身勝手ですか?

動物と人は違う!

ですか?

私も実際そういった目には合っていませんが、もしもそんな状況になったら、「本人の希望」を出来るだけ感じ取ってあげる努力をしたいですね。

人でも、動物でも。

会話が出来るなら会話して、目をしっかりと見て、全てのセンサーをマックス稼働して、どうするべきかを真剣に考えてあげたいですね。

みんなが、「愛を基準」にして、「考える時間が十分」になる時代に戻って・・・

正しいかどうかでは無く、自由に施行できる時代が来れば良いですね。

今は時間も豊かさも、職も、健康も、知識も、自由も、権利も食も・・・

全部闇に奪われ終わってますからね。

今私達に残っている自由はとても少ないんです。

意識くらいしか残っていないと思います。

思考すら、異端として否定されます。


だから、敢えて言いたくなります。

みんな!落ち着け!



はい。最後まで読んでくれた方、有難う御座います。
少しでも何かの足しになれば幸いです。

きれいごとだ!
てめぇは余裕が有るんだ!

って言っても良いですよ。

安心してください。
私が最初に生きて行く必要性を見失ったのは中学生の頃です。

どうしようもなく孤独だったんですよねぇ。

めちゃくちゃ古い記事にも書いた気がしますが、本当にすべてを終わらせる気になった時、何も変える必要が無くなったんですよねぇ。

だって、本当に全てを捨てて、いやな事をする奴らを全員屠ったら、親にも申し訳ないし、その先も自分の望む自分にはなれませんからね。

その時の私の結論は武器を持って全員の家にピンポンして、相手のご両親に理由を伝えた上で全員屠れば良いだけじゃん!
理解の無い親も屠れば良いだけじゃん!

でしたからね。

そんなの無理!

って思いますよね?

いやあ、自分が五体満足じゃなくなっても平気だし、途中で命が尽きても平気だと気付いたんですよ。
だって、どの道生きる事の必要性は無くなってましたからね。

そしてそれはいつでも実行に移す事が出来るんです。

何時しか、「全員札束ではたいたろ!」って気持ちに変わったんですよ。

社会に出て、屠ろうとした人達の現状を知った時に、次の気付きが合ったんですよ。

はぁ?貧乏人かわいそ!

年齢の割に羽振りの良かった私にへりくだってくるんですよ。

何だったんだ?俺の苦悩は!

でした。

随分年を取った今、中学、高校時代の全ての関わりのある人達は、私の事を悪く言ったり、否定する人は一人もいなくなりました。

今ではすっかり闇抜けもしたし、資産も無いし稼ぎも多くは有りません。

でもね、みな口をそろえて、

お前賢かった。
お前何でもできた。
お前モテた。
・・・

まあ、そういう事だったんですよ。

みなさん。


では。

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