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和気清麻呂と稲盛和夫の共通点

歴史に詳しい人なら、和気清麻呂と聞くと
すぐにどんな人かはピンとくるだろう。
銅像が、皇居のお堀端、気象庁前のところに
立っている。
大変に立派な銅像である。

皇居に立っているのは、当然ながら
確固とした理由がある。
「勤王の忠臣」
故である。

清麻呂が生きたのは、奈良時代から平安時代に
差し掛かる頃。
道鏡が、偽の神託を使って皇位簒奪を図った
際に、神託の真偽を確認すべく宇佐八幡宮に
派遣されたのが清麻呂だった。

天皇に対する忠義の篤い清麻呂は、
道鏡から「吉報をもたらせば官位を上げてやる」
という持ちかけに応じず、
宇佐八幡宮の真のご宣託「道鏡を掃い除くべし」
を持ち帰って報告。

激怒した道鏡から、「清」を「穢(きたな)」に
変えた「穢麻呂」に改名させられ、
流罪にされるという汚辱を受けたが、
程なく天皇が崩御、後ろ盾を失った道鏡が失脚、
皇統の断絶という国家の危機を救った英雄
して、朝廷に戻ってきたのである。

天皇に取り入って、権力を盾に我が物顔に
振舞っていた道鏡。
逆らえば、自分の命も危ういという状況を
清麻呂は十分に理解していただろう。

それでも、「何が正しいか」を踏まえて
勇気ある態度を貫き通したところ、
脅しに屈せずに皇統の危機を救った
忠臣としての行動に、背筋が伸びる思いだ。

ゴールデンウィーク中に、稲盛和夫さんの
『心と生き方』という本を輪読する勉強会に
可能な限り参加して来たのだが、
今日出てきたエピソードが、正に清麻呂を
彷彿とさせるものであったことに後から
気が付いた。

彼が鹿児島から京都に出て来てサラリーマンを
やっていた頃、労働組合ともめにもめたという
エピソードである。

不景気で大赤字の会社なのに、みんな2時間位
残業を付けて平気でいる。
そんなに仕事がないはずなのに、である。
「生意気」だった彼は「残業禁止」を言い出して
まわりの社員から総スカンを食らい、
組合にも目を付けられて「人民裁判」なるものを
受けさせられたという。

丁度自分が開発していた試作品がうまく行きそう
なところで、開発コストを少しでも抑えたい、
そのためには残業代が少ない方が良い。
そんな、会社全体のことを考えたら当たり前の
ことを主張しただけ
なのだが、誰もがぬるま湯に
浸かっていて、余計なことを言わずに遣り過ごし
たいという環境にあって、稲盛さんは完全なる
「異分子」だったのだ。

それでも、彼はどんなに大変であっても正しい
ことをする
んだと言ってきかない。
妥協しない。
そんな自分の姿勢のことを、目的に向かって
真っ直ぐ行くために断崖絶壁があるならば、
そこを「垂直登攀」してでも超えて、目的に
たどり着くのだ、という表現をしている。
京セラでは、この「垂直登攀」という言葉は
キーワードとしてよく使われているらしい。


正しいこと、道理に適っていること、
それを貫き通すだけの精神的なタフさが、
経営者には求められる。

清麻呂と稲盛さんのエピソードから、
そんなことに改めて思いを馳せたのだった。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。