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「鶏口」「牛後」があるなら「牛口」「鶏後」もある

鶏口となるも牛後となるなかれ

座右の銘と呼んでもいい位、
好きなことわざのうちの一つだ。

大きな集団の中に入って、お尻の方で
ヒィヒィやっていくよりも、
小さな集団で、トップに立ってグイグイ
引っ張っていけ。
概ねそんな意味合いだ。

もちろん、「牛口」になれたら、
それが一番良いのかもしれない。
大きな集団の中にあっても、才覚を
発揮して指導的地位に登り詰める。

とはいえ、誰でもそんな風にうまく
行くわけではないのは自明。
大多数は、「牛後」とまでは言わずとも、
「牛中」にとどまる。
(私の勝手な造語だが、意味は通じる
だろう。)

牛をあきらめて鶏で行こうとなっても、
「鶏口」になれるのはこれまたわずか。
「牛口」「牛中」よりは簡単なのかも
しれないが、
「鶏中」「鶏後」だって存在するわけで、
油断は禁物だろう。

結局のところ、自分自身が「牛」で
力を出せるタイプなのか、それとも
「鶏」で力を出せるタイプなのか、
見極めることが重要
である。

知らず知らずのうちに身に付いた、
あるいは意図して身に付けた、
自分自身の強みや得意技、
あるいは性格や特質。

これらを活かすことで、組織にとって
ポジティブな成果を出せるかどうか。
貢献をなし得るかどうか。

しっくりこないのならば、
無理することはない。
無理が過ぎれば、
どこかでひずみが生じる。

他方で、「石の上にも三年」という
ことわざもある。
石にかじりついてでも、我慢強く
トコトンやり抜くことで、
自分を開花させる場合もある。

どちらが正しいのか?
そんなことは、一概には言えない。
ケースバイケースだ。
その人の置かれている状況によって、
評価がガラッと変わるだろう。

ただ、何より大切だと思うのは、
自分自身の心の持ちよう
だ。
最後はそこだ。
人に言われて、仕方なく
「せめて三年は我慢するかー」
では宜しくない。

あくまでも、自分自身が納得して、
決断して、「自責」の下で三年は
頑張る!と決めること。
あるいは、三年などという期間に
こだわることなく、自分に合った
「居場所」を探すと決めること。

いずれにしても、自分自身の
コミットメント(≒「自責」)
重要なのである。
そんなことを思う、5月の最終日。

「指を自分に向ける」
伝説のメンターとも呼ばれる、
大久保寛治さんの言葉を思い出す。
全ては自分の選択。
今日も背筋を正して、前を向いて
進んで行こう。



己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。