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周りの事象は我が心の反映

日本人は無宗教の人が多い
などということがよく言われる。
実際、ヨーロッパやアメリカにありがちな
「日曜日に教会へ行く」こと、あるいは
それに類する習慣を持たない家庭は
比較的多そうだ。

とはいえ、正月は神社仏閣に初詣に出かけ、
神棚や仏壇を備え付けている家も多く、
クリスマスなどの宗教行事も独特の進化を
遂げて根付いている。
自然崇拝が日本人の根っこにあるのも
見逃せないところだ。

それらを思えば、「無宗教」というよりは
「雑宗教」
、あるいは「無差別宗教」
でも呼ぶのがふさわしいのかもしれない。
いずれにせよ、昔から日本人は信心深い
国民性を育んできたことには違いないと
思うのである。

最近お亡くなりになった稲盛和夫さんも、
非常に信心深い人であった。

実際、臨済宗のお寺で修行されて、
得度されていらっしゃる。
また、「生長の家」の創始者、谷口雅春氏の
著書にかなり影響を受けたという話も聞く。

「経営の神様」とまで呼ばれ、「稲盛教」を
作ることも出来たのではないか
と思える程に
彼の教えに心酔したビジネスパーソンは
数多くいる。

数ある著書の中で、何度も何度もしつこい
位に繰り返し説かれている教えというのは、
そんな彼の「教義」と呼んでも良いのかも
しれない。

そういった「教義」の中に、
「周りの事象は我が心の反映」
というものがある。

自分の身の周りに起こることは、すべからく
自分自身の心が反映しているのであって、
良いことも悪いことも自分に原因がある
考えるのだ。

パッと聞くと、いかにも新興宗教的で、
怪しい匂いが立ち込めて来る気にもなるが、
そこはバリバリ理系の稲盛さん、
きちんと筋の通った理屈がある。

視覚情報から網膜が受け取る情報の
占める割合
というのは、
たったの3%しかないそうなのだ。
残りの97%は、他の意味情報に過ぎない。
即ち、網膜が受け取る情報に、自分の心が
後付けで色々と意味を付加している
ことに
なるのだ。

であるならば、確かに「周りの事象は
我が心の反映」と言い切っても、
全くもって嘘ではないどころか、
かなり真実に近いと言えるだろう。

我が心を、常に清く正しく美しく保って
おくことこそ、自分の人生を良い方向へ
導くための最強の戦略
だということを、
改めて強く思った次第だ。

このような議論を、週末日曜日の朝に、
稲盛さんの『燃える闘魂』を輪読する
読書勉強会
で行っていた。

友人であり、かつ人生の先輩でもある
主宰者の方は、元京セラグループで
経営陣の一角を担っていただけあって、
行間に書かれていることをあれやこれやと
追加で解説
してくれる。

読書勉強会という場は、ただでさえ
他のメンバーの視点による解釈を聞く
ことを通じて、独りで読むよりかなり
広くて深い読み方ができる
ところ、
より一層の広さと深さを以て理解できる
「おまけ」が漏れなく付いてくるのだ。

次の日曜日で、この『燃える闘魂』も
最後まで読み終える予定である。
少々名残惜しさを感じつつも、
次はどんな素敵な本と出会えるか、
早くも楽しみだ。

己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。