思い出は砂の城のように

小田急線新百合ヶ丘駅の改札を通り抜けてすぐのエスカレーターを登ると左側のところにタリーズコーヒーがある。4年前の9月、秋の始まり。人生で一番悲しかった日。僕はそこで声を上げて泣いた。たぶん親や兄弟が死ぬ時より辛かったと思う。

彼女とは約2年付き合った。出会いは飲み会。僕は基本的にいきなり異性を(恋愛対象として)好きになることはない。なんか気が合いそうだな、ぐらいのノリで軽く飲みに誘ったのが始まりだった。

予想通り気が合った。酒が好きで、酒が強くて、秋田出身の黒髪の色白で、スピッツが好きで、両耳にはピアスの穴が合わせて8個開いていた。年は7個下でシーシャが好きだった。店で吸うだけでなく、同棲していた家でもたまにシーシャを焚いて一緒に吸った。ブルーベリーの香りとキャスターマイルドの煙が充満する部屋で朝までセックスをして、昼過ぎまで寝て彼女の作った料理を食べて、酒を飲んで、Netflixで映画を観て、また朝までセックスをした。

彼女はゴリゴリのサブカル系のくせに料理が上手かった。なんであんなに鶏肉をホロホロに崩れるくらい柔らかく作れるのだろう。なぜあんなに旨味が凝縮された煮物を作れるのだろう。セックスの云々よりもそのことを強く覚えている。料理って天性だと思う。下手な人はマジで下手。努力で誤魔化しきれない。別れる前にレシピを聞いておけばよかったな。だから今でも料理上手な女の子には弱い。

当時住んだ町田には思い出が強く残りすぎてつい最近まで足を踏み入れられなかった。視覚で、嗅覚で記憶が蘇ってくるから。でも、僕が変わったように町田という街も変わった。今ではもう当時よく行った店や場所がなくなったり変遷したりして、違う街に生まれ変わったように感じる。歩いていても何も感じなくなったし、感情や意識が揺さぶられることもなくなった。

結論から言うと、彼女は結婚したかった。でも当時の僕には金も、覚悟も、責任感もなかった。ただただ今この瞬間が続けばいいと思っていた。誤魔化していた。何もかもが甘かった。


その日僕は新百合ヶ丘のタリーズコーヒーに呼び出された。予感はした。

予感はしたとはいえ、ただただ泣いた。これから先一生、お互いの運命が交差しないことが確定してしまったことの辛さ。これまで積み上げてきた思い出が風化していってしまうことの辛さ。

人は本気で愛していた人が急にいなくなってしまった時、その喪失感に抗えなくなって、それを涙という形で埋め合わせる。人生で一番愛した人が、一番大切にしていた人が目の前から急にいなくなってしまった。幻のように。はじめから目の前に存在しなかったかのように。

僕は手当たり次第に思いつく人に電話をかけた。ただただ泣きながら。今のこの気持ちを誰かにわかってほしくて。電話に出てくれた友人たちは、みな僕の話を親身に聞いてくれた。友達のありがたみをこの時ほど感じたことはない。人の失恋話を聞くなんて客観的に見たら何も面白くない。でも友人たちは僕の辛さをわかろうとしてくれた。彼らも一緒に泣きながら。

その後もいくつか恋愛をして誰かと付き合ってみたけれど、心の底から誰かを好きになることはできなかった。どこかで傷つくことを恐れていた。心の傷は人を、マインドを、生き方を変えていく。

恋愛って本当にタイミング。今彼女と出会えてればな。でも意外と今初めて出会ったらお互いに興味なく素通りしてしまうのかもしれない。人と人の出会いってそんなもの。

たまに新百合ヶ丘に行ってタリーズコーヒーの前を通りかかるとあの日のことを思い出す。
思い出が風化して痛みがなくなっていることの現実。
時間が全てを上書きして、辛さも楽しかった思い出も砂の城のようにあっけなく、儚く消してしまうことの現実。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?