見出し画像

世渡り上手になる一方で笑顔の仮面をつけていた

泣いちゃダメだ。
こみ上げてきそうな涙をこらえる時に、そんなふうに自分に言い聞かせて上を向いたり誰もいない所に行った経験は誰だってあるんじゃないでしょうか?

喧嘩や悔しい事、悲しい事があった時に人の心は感情的になり、交感神経が優位になると涙腺が刺激され、これが涙になります。でも子供に比べて大人は簡単に涙を流しません。もちろん個人差がある事なのですが、やはり周囲の方々へ与える影響のことを考えるとなかなか涙を見せることは憚られるのでしょう。

例えば人に心配をかけたくないとか、泣いたことをバカにされたくないとか。

怖さもあると思います。
感情を律することが出来ずに本能のまま振る舞うと、やがて自分は人として扱って貰えなくなるのではないか、と。
実際問題、怒りの感情が溢れて暴れてしまったり角の立つ物の言い方をする人とはなるべく距離をとりたいですしね。

こういった喜怒哀楽の感情に蓋をして生きている人は少なくありません。私もその1人。特に冒頭に挙げた涙に対しては本当に耐性がなくて、小さい頃はよく泣いていました。そして、それを自分の弱さだと自覚して涙を抑えてきました。

…話は変わりますが、男性は理屈の生き物で女性は感情の生き物だと良く言われています。

ここからは理屈の生き物として生きていくために塞ぎ込んだものと、身に付けたもの、それによって失ったものについてお話します。

塞ぎ込んだもの

これは紛れもなく、自分の中の女性性です。涙や怒りの感情を表に出すことをみっともない、周囲に迷惑をかけてしまうと思って、ぐちゃぐちゃなものをクローゼットの奥に無理やり押し込むように閉じ込めていました。

そして、部屋の奥からまだ声が聞こえるにも関わらず聞こえない振りをして生活していたのが壁のこちら側にいる男性の自分です。

身に付けたもの

泣く事と、怒る事を取り除いただけでは不完全です。人に気に入られたりする為には、笑顔も必要です。

「笑う門には福来る」
「和顔施」
という言葉がありますが、やはり人を愉快にさせたり心を楽にするものは笑顔です。加えて誰かを笑わせる為の話術があれば「この人は面白い人だ」と思ってもらえるでしょう。これは磨けば磨くほど笑って頂ける訳ですから、社会生活において有利になります。(※TPOを見誤ると失礼になるし、痛手を受ける諸刃の刃でもあります)

実際は顔のないマネキンみたいな所に、仮面をつけていただけなのに。

身に「付けた」ということは、本来ついていないものを後付けしたという事。

心の底からの嬉しさや笑顔は、壁のこちら側ではなく向こう側にあるものなんです。

私はすっかり道化になっていました。

道化になって失ったもの

(どうして笑ってくれないんだろう?)

道化は首を傾げます。
どれだけフザケても、誰も心の底から笑ってはくれません。

その部屋では、皆が立ってこちらを向いています。
そして目の前には自分が1番可愛がっていた後輩の姿がありました。

後輩
「〇〇(ぱいんの本名)さん、僕か仕事を覚えるのがどれだけ遅くても、何回同じこと聞いても鬱陶しがらずに何度でも時間をかけて教えて本当にありがとうございます」

その後輩は涙ながらに花束と、皆からメッセージが書かれた色紙をくれました。

その日は前のお仕事の最後の出勤日。
けど、最後だというのに私の心はもうカラカラに乾ききって何も出てこなかったのです。

(あ、この色紙。退職者が相次ぐからいっぱい買ったやつだ)

こんな事を思いながら、事務所を後にしました。
…自分のことをこんなに想ってくれる後輩に対して、こんなに淡白になれるんだ。

そんな何も感じられなくなってしまった自分を、怖いと思いながら帰路についていたのを覚えてます。

そう、泣いていい場面で泣けないのです。

夢の話

最近見た夢のお話をします。
その夢は2回に分けてやってきました。

窓の向こう側で、私の中の女性が何かを訴えたそうな様子でこちらを見ています。何を言いたいのかは分かりませんが、悲しげな目です。

窓の向こう側で、私の中の男性が身振り手振りでオーバーリアクションをとって友達を笑わせています。でも、彼がつけている笑顔の仮面は固い土で出来ているのか、ぽろぽろと崩れ落ちていってます。見ていて危なっかしくて、とても不安です。

この夢をなぜ見たのかはわかりませんが、自分自身との対話を再び求められていることのサインかなと思い、今回のnoteを書くことにしました。

もしも私と同じように、道化になってしまっていたり、感情が希薄になってきていると感じる人がこのnoteを読んでくれて、これからの動きを変えるきっかけになっていたら幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?