「何にでもなれるわけじゃない」緒方恵美が「その瞬間生まれる声」に込めるもの
『幽☆遊☆白書』蔵馬役、『新世紀エヴァンゲリオン』碇シンジ役、『美少女戦士セーラームーン』天王はるか/セーラーウラヌス役など、さまざまなキャラクターを演じ続けてきた緒方恵美さん。今年で声優活動30周年を迎えるほか、ロックシンガーとしての音楽活動や朗読劇への出演など、幅広い活動を続けている。
声優として、アーティストとして、緒方さんはどのように「声」と向き合っているのだろうか。キャラクターと自分自身をどのように重ね合わせてきたか、そして音作りに対するこだわりについて伺った。
<文 石澤萌 / 編集 小沢あや(ピース株式会社)>
年齢を重ね、ようやく蔵馬を演じ切れた
専門学校卒業後はミュージカル劇団に所属していたが、劇団の解散と持病である腰痛の悪化をきっかけに舞台俳優を断念。その際、周囲の人に「声優になったらどうか」と勧められたことで、声優の道を志すことになる。
声優転向後、初めて受けたオーディションで合格したのが『幽☆遊☆白書』蔵馬役だった。新人声優がメインキャストを担当するプレッシャーは大きく、当時はとにかく演じることに必死だったそうだ。
「蔵馬は見た目は高校生ですが、何百年も生きている老練した存在だったので、デビュー当時の私にとってはかなりの難役でした。ようやく『自分の演じたかった蔵馬を演じられた』と思えたのは、『幽☆遊☆白書』アニメ化25周年の新作を制作したとき。私自身、一人の人間として歳を重ねたことで、ようやく色々なことが理解できたのだと思います」
シンジに「なる」ために、自ら剥いだ鎧
その後も『美少女戦士セーラームーン』など有名作品への出演を重ねていく。そこに第三次声優ブームの流れが到来し、一躍その名を広めていった。そして、1995年からは社会現象にもなった『新世紀エヴァンゲリオン』で碇シンジ役に抜擢され、2021年公開の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』まで約26年間もの間、彼の声を担当する。しかし、大人として年齢を重ねながらシンジを演じることは、決して容易ではなかった。
「人は生きていく中で、さまざまなことを経験して『鎧』を身に付けていきます。普通は外そうと思ってもなかなか外せませんが、シンジを演じるにあたっては、彼と同じ14歳のレベルまで鎧を剥いで、無防備な状態を作らないといけませんでした」
誰しもがきっと、他者の心に土足で踏み込んだ結果、拒絶されたことがあるはずだ。そうした経験を一つひとつ積み重ねることで、人は自分自身の言動や行動に制限をかけていく。その鎧をあえて剥ぐことは、無垢な自分自身をさらけ出し、傷つきやすい状態に戻していくことだとも言えるだろう。
もちろん、鎧を身に付けたまま「14歳の少年のような演技」をするという選択肢も存在した。しかし、やはりそれだけでは、碇シンジという一人の少年に「なる」ことはできなかったと続ける。
「通常会話の中で『この言葉を言おう』と思って言葉を発する人はいない。だからセリフも、『こう言おう』と思って言ったらたちまち嘘っぽくなる。周りの人の表情や発言に対して、私の中の役の心が動いて、たまたま出てしまった言葉がそのセリフでありたい。そのためにはまず、大人の『鎧』をたくさん身に付けた状態から、14歳のピュアな状態に心を戻した上で臨まないと自然な反応ではなくなってしまう。それっぽい演技でごまかすだけでは、少なくとも碇シンジにはなれませんでした」
台本は推理小説。キャラクターの生まれ育った環境を紐解いていく
キャラクターを表面的に「演じる」のではなく、その人自身に「なる」ためには、どうすればいいのだろうか。キャラクターの年齢や人間関係といった基礎情報を頭に入れるのはもちろん、緒方さんは、その裏に隠された生育環境や周囲からの扱われ方を想像するのだという。
「台本は推理小説のようなもので、そこに描かれている中から、いかにたくさんの情報を引き出してくるかにかかってくると思うんですよね。例えば怒っているシーンでも、怒りの感情の中に迷いや笑い、泣きといった色んな要素が入ってくるはず。そうした複雑な感情を表現するためにも、この人の言葉はどんな形をしているのかを極めて冷静に見つめながら、キャラクターと自分自身を重ね合わせています」
長いキャリアを持ち、数々の人気作品に出演した経歴を持つ緒方さんなら、どんなキャラクターであっても演じられるのではないか…とすら思えてしまう。しかし、実際はそうではないとのこと。
「お芝居をすれば何にでもなれるというわけではなく、自分のフィルターを通してでしか、自分の演技にはなりません。だからこそ、自分がもしそういう環境で育ったらどうだろうか、その上でどんなふうに思うだろうかというところから、キャラクターを解釈するようにしています。
人間は、生まれた瞬間はただの命の塊で、若干の個性はあれどあまり変わらないと思うんです。では、何が差異を生むかというと、その人がどのような扱いを受けて育てられたか。お姫様だって赤ちゃんの頃から凛としているわけじゃないのと一緒で、親御さんや周囲からの扱いによって、人の在り方は変わっていくと思うから」
音作りで大切なのは「いかに情報量を込められるか」
声優活動を行いながら、1994年から本格的に音楽活動をスタートした緒方さんは、シンガーとしても多くの人へと声を届けていくことになる。声優と音楽活動、どちらも共通して大切にしているのは「その瞬間に生まれる音」。特にアニメやCDでは、いかに新鮮な状態を保てるかが鍵になるそうだ。
「歌にしても芝居にしても、『生』が原点。ライブの音源やライブのお芝居は、その瞬間に生まれる音が全てです。録音物の場合は調整が入りますが、やはり初動の、フレッシュな気持ちが一番大事ですから、そこをベースに、いかに作っていくかが大事になります」
生まれる音一つひとつのクオリティを高めることも、もちろん重要だと語る緒方さん。ビブラートを効かせる、こんな風に声を出す、といったテクニック的な部分ではなく、一音に対して込められた情報量こそが、音の質を左右する。
「お芝居の場合、台本から手に入れた情報をベースにする訳ですが、一度体に入ったらむしろ一旦手放し、それぞれの瞬間に他の役者さんや絵の演技から、その役としての五感で受け取って出てきたものを音にするという感じです。役とシンクロしていさえすれば、極論そこに立ってるだけでいい。シンクロ率が高くなればなるほど、1ワードの中に入る情報量が自然と深くなるから」
例えばトラックメーカーであれば、視聴者にどのように音が届くのか、最終的な形にまで気を配ることが多い。緒方さんの中にも、音の作り込みへの視点は存在するのだろうか。
「プレイヤーとクリエイターの役割の違いがあるので、プレイヤーでいる時は基本お任せです。集中して役を演じることが私の仕事であって、音の調整は監督やエンジニアさんのお仕事ですから。もちろん、歌の場合はMIXの現場に立ち合うので、そうした目線で録音後には聴きますが、出力の時点では、自分の音を出すだけです」
ピッドホンは「推し」の声も見つけやすい
緒方さんは、2022年8月に発表されたピヤホンシリーズ初のヘッドホン(通称ピッドホン)でガイドボイスを担当している。さあ、これから作品に向き合うぞ、というときにユーザーを出迎える最初の声に対しては、「個性があまり強くならず、AIのような淡々としたボイスを意識しました」とのこと。
実際にピッドホンで聴いてみた感想を伺うと、まるで音楽をMIXするときのように、それぞれのパートの位置関係が分かりやすいと感じたそうだ。
「音楽をMIXするときに聴いている、スピーカーの中の音の配置と似ているなと思いました。そういうふうに作ってるので当たり前ではあるのですが、通常のヘッドホンだと、いろんな音がミックスして届く形になっているものが多い。でも、ピッドホンでは、この楽器は右斜め45度に、この楽器は中央のちょっと後ろにいるなと、楽器の配置やボイスの配置がよりクリアに分かりますね」
音を一つの塊から各要素に分解してくれるピッドホンは、多くの声が重なる楽曲でも活躍を見せるはず。これまでほとんどソロ活動しかしたことがないという緒方さんだが、このように続けてくれた。
「今の時代の声優活動だとユニットを組んだり、たくさんの人が一緒に歌っている楽曲をリリースしたりすることがありますよね。ピッドホンを通して聴くと、一人ひとりの声も分かりやすいので、きっと自分の『推し』の声も見つけやすいのではと思います。ぜひ皆さんも探してみてください」