Switch←♡→Witch Enter1-3, sideジジ
だるいのもめんどうなのも飽き飽き。
力があったって思いっきり使えなくちゃ楽しくないもの!
だから私は『助けてもらう準備をした』の。
それもとびきり楽しくなるようにね♡
「もう少し考えて遊んでくれる?手札が足りないなら、言ってくれれば合わせてあげたのにぃ」
ガヤガヤと賑わう商店街を外れた場所にあるのは、大きなビルの影が落ちた小さな廃工場。
使われなくなった工事には錆びたネジや古くて動かなくなった大きな機械、ぽたぽたと等間隔に落ち続ける水滴の音が響く。
埃と湿気にむせ返る空気の中、はぁはぁ……と呼吸を荒らげる男たちがいた。
「ほんっとつまんなーい。殴る時って狙うものじゃないの?振り回した方が当てやすいのかなぁ?」
ピンク色のメッシュが入った、肩より少し長い黒髪を人差し指でクルクルと巻きながら、彼女は真剣に悩む素振りをみせる。
鮮やかな春を溶かして作ったブローチを、はめ込んだような大きな瞳。鼻の頭から両頬へと、星屑を散らすように広がるそばかすは、格好より少しだけ幼い印象を与えている。
「テメェ……おちょくりやがって!!」
ガタイのいい5人の不良と対峙していたのは、この状況にそぐわないと誰もが思う華奢な見た目の女子高生だった。
絵面だけ見たら《か弱い女子高生が不良に絡まれている》ようでしかないのだが、土埃の舞う冷たいコンクリートには10以上の不良たちが突っ伏して気絶しているとなると、先行きはどうにも見えなくなってくる。
廃工場は人通りの少ない場所にあり建設中の高層ビルが光を遮ったことも相まって、陰気な空間をエサに不良や族の溜まり場になってしまった。なかでもこのグループは素行が悪いことで知られ乱闘騒ぎ、一般人や街への迷惑行為が目立つ集団だった。
そんな不良たちが何故、女子高生に喧嘩で押し負けているのか。遡ること2時間前ーー。
華奢で可憐を自負している女子高生【尊愛 染慈(みことめ せんじ)】は、お昼のゲームセンターにいた。
登校していれば授業を受けている頃だろうが、そもそも行く気がない染慈には関係ない。ここに来たのも理由はなく、退屈を紛らわすためにふらふらと徘徊していた。
奥へ進むとアーケードゲームが並んだスペースがあり、格闘、シューティング、リズム、レトロ、カードなど様々な種類の媒体がずらっと列をなしている。
昼間でも数名の客が画面に向かって暴言を吐きながら熱心に100円玉を溶かしている。その姿をぼんやりと眺めていると、壁際3番目に置いてある一番古そうなレトロゲームに目が留まった。
スタート画面では荒いドットで描かれたコウモリがハートを落とし、下にいる天使が左右に移動しながらキャッチする、というシンプルなゲームだった。
染慈はポケットにあった100円玉と、退屈に埋まっていた僅かな好奇心を取り出しそのゲームをやってみることにした。 ……座ってから15分。
「なーんだ……ボスステージってもっと難しいと思ってた」
開始1分でコツを掴むとみるみるステージを上げていきラスボスまで行きついてしまった。自分が想像していたより単調な作りだった事に飽きれてしまう。
「やっぱり退屈は殺せないよねー」
分かりきっていた事ではあるが、自分の欲求が叶わない以上ここにも用はない。≪Congratulation.≫の文字がモノクロに点滅する画面にでこぴんを食らわせ席を立とうとした矢先。
モノクロから赤と白の背景に変わり、≪Bonus☆STAGE≫の文字が点滅し始めた。
「Bonus STAGEって……内容一緒だったら壊しちゃうんだからね」
背負った黒い羽根がついたリュックを再びおろし、染慈は画面と対峙する。
左手にグレーのレバー、右手に黄色とピンクの丸ボタンが付いている。
レバーで左右に動かし、ランダムで落ちてくるアイテムをピンクボタンでゲット、黄色ボタンで使っていくシステムだ。
ハートを3回落としたら終了、落下速度がステージ4から徐々に上がっていき、ボスステージでは目で追うのがやっとの速度まで到達する。
Bonus STAGEではアイテムに混じって、ネズミや鳥などの関係ないものが落ちてくるのに加え、瞬間移動や点滅落下などバリエーションが増え難易度は桁違いに跳ね上がった。
「へぇ~!面白くなってきたんじゃない?」
ここまでのライフは2つ。 1回ハートを落としたがそこから今に至るまでミスはない。気分が乗ってきたところで画面が暗転し《LEGEND BOSS STAGE》に進んでいく。
さっきまで単調な効果音のみ流していたスピーカーから、軽快な8bitサウンドが流れだすとコウモリの顔がパン!と裂けた。中から出てきたのは大きく広がった羽、鉤型のくちばしを持つ不死鳥を模した巨大な鳥。ギロギロと目を動かしながらこちらを見ている。
おどろおどろしい鳴き声と共に、口からドロップ飴に似た四角形の火をはきながら画面いっぱいに攻撃してくる。ランダムで落下途中に爆発する破片を避けきれず、攻撃を食らってしまった。
残るライフはあと1つ。先程の文句を言いながらも楽しそうにゲームをする大人達を思い出し、夢中になる気持ちが少しだけ理解できた。
こちらの攻撃が当たらくてもお構い無しに鳥は攻撃を続ける。次にダメージを食らえば負けてしまう……小さな画面から放たれる言いようのない緊迫感に、染慈は釘付けになってしまった。
「あのアイテムは絶対にとらなきゃっ!」
舌なめずりをして目標を定めたのは、右端からゆっくりと落ちてくるボックスのアイテムマークだった。
入手すると使うまで効果が分からないのだが、この状況を打破できるのはあいつしかいない。
素早く右に寄り、真上にきたタイミングでピンクボタンを押す。
そして、すぐさま黄色ボタンでアイテムを使用。
天使がパチパチと光を散らしながら点滅したかと思えば、頭上の輪っかにヒビが入って倒れてしまった。
「えっ!?これ罠だったの?」
慌てて残りライフを確認する。まだハートは1つ残っているが、こちらもチカチカと点滅を繰り返して気づけば画面も静止している。
「古そうなゲームだもんねぇ。修理とかしてくれるのかな……」
8bitのボス戦BGMだけが盛大に雰囲気を作りながら、今か今かと何かを待っているように歌い続けた。そして、一瞬の暗転の後。
起き上がった白いドット絵の天使は半分だけ黒く染まり、片方には欠けた輪っか、もう片方には羊のようにくるくるした巻き角が生えている。そして……何も持っていなかった手にはピストルに似た武器を持ち、上空で技を繰り出そうとする巨大な鳥に向けて構える。この間、染慈は一切操作をしていない。自動演出で完全にのけ者にされてしまった染慈がボタンから手を離そうと指を浮かせようとしたタイミングで、≪PINK&YELLOW push!≫の指示が入る。
「Gut.(グート)お任せあれ~♪」
ぺろりと上唇を舌でなぞると口角をにぃ、と横に引く。
次の展開に期待しながらボタンを押そうとした直後……否、直前?いや、ほぼ同時だった。
強い衝撃が背中にかかり半ば倒れるように染慈の顔が画面に衝突したのだ。
「いったぁ……なんなの!今大事な局面なんだけど!」
振り向くも正体は掴めず、5mほど離れた位置にダサい頭の不良たちがニタニタと笑っているだけ。
「だってよぉ兄ちゃん」
「ゲームに夢中な高校生ちゃんが怒っちゃったよ~?」
「オラァ!とっとと金出して謝れやボケがぁ!!!」
楽しい空気も一瞬で興が冷め、不良たちの頭の悪そうな笑い声が他のアーケードゲームのBGMをも飲み込んでいく。
「うっ…うぅ…」
呻き声の正体は染慈の足元で倒れ、苦しそうにわき腹を押さえていた。
「この人ぶつけてきたの。あんたたち?」
「あー違う違う~!そいつが勝手に飛びついてったんだよ」
「だいじょうぶ~?お詫びにパフェでも奢ってあげるよ。そいつのカネで~!ぎゃっはははは!!」
「いいね~それ!きみ可愛いし、一緒にいこうよー」
話の通じない不良たちを無視して、染慈はしゃがんで倒れている青年に声をかけた。
「きみ、おなか痛いの?他に痛むところはない?」
「あ、足がっ……」
かすれた声で弱々しく零す青年の左足首は、紫色に腫れ上がり骨が折れているようだった。
「これ全部、あのお子ちゃまたちがやったんだよね」
「あ゛ぁ?んだとこらぁ」
「いまなんつった?」
聞き捨てならんとばかりに騒いでいた声が一気に静まる。明らかな敵意や殺意を膨らませた目が染慈へ向けられたが、構うことなく青年に話しかける。青年は小さく頷いて見せた。
「Gut. 痛みが引いたらすぐに立って、ここから逃げてね」
そう告げると、口元で両手を合わせ握りあう。親指を外側へ伸ばすとできる真ん中のしずく型の穴に、ふーーーっと息を吹き込んで親指を閉じる。
そのまま青年の胸元へ押し当てると花が開くように指をほどいていく。
ふんわりと優しい風が青年の身体を纏い、そっと頬を撫ぜた。
腫れの引いた足、押さえのいらなくなった脇腹、走り去る青年。
染慈は青年の姿が見えないことを確認すると、立ち上がり後ろのモニターを覗く。
「まぁ、そうなるよねぇ」
《Game Over》の文字が脈を刻む8bitのリズムと連動して飛び跳ねていた。
一方、状況が理解出来ていない不良たちは口々には?とかえ?とか言いながら、リュックをしょってこちらに向き直る少女を凝視している。
「では、ゲームに夢中だった可憐な女子高生が、体だけ立派に育ったお子ちゃま達に教えてあげるね」
にっと口端をあげた彼女は1歩前に出ると、不良達を見渡し状況を整理する。
「私、凡楽園(ボンラクエン)にきてからずーーーっと退屈だったの。天ノ世(アマノヨ)から追放されちゃったんだけどぉ、清々したー!って思ってたんだよ?初めはね」
「凡骨(ボンコツ)って、天吊(アマツ)の奴らよりよっぽど無知で愚鈍だけど心をもってるじゃない。それがすっごく素敵だなって思うの!だからあなた達例外を除いて、凡骨のこともっと知りたいな~ってわけでここにいるんだけど……飽きちゃった」
「一秒ずつ退屈が積もってくから、一日ほっといたら埋もれてしまう。私にとって”退屈”は消化しないと苦しいもの。凡骨で言うところの”死”に等しい。そういう感覚、お子ちゃまのあなた達にもあるのかしら?どーでもいいけどぉ、今まさに退屈を消化中だったわけ」
「それをあなた達が邪魔してきたのに謝罪もなく、カツアゲ目的のくせにお金も取り損ねて私を使って誤魔化そうとしてる。自分たちがどれだけ恥ずかしくて哀しい存在か気づけるかなぁ?」
「「……」」
知らない言葉に止まらない文字の羅列、辛うじて理解できたのは節々で馬鹿にされていることだけ。皆同じお面でも付けているのか、口をあけたままの間抜け面を下げて圧倒されている。そんな空気を察してか、不良を束ねるリーダーが声を荒げる。
「何語か知らねぇが俺達には関係ねぇだろ?つかさっきから馬鹿にしてんだろ!気づいてねぇとでも思ってんのか!!」
「えー!すごいじゃん!そういうのは分かるんだね、えらいえらーい!」
「あ?ふざけてんのかてめぇ……」
「真剣に向き合ってあげてるよ?せっかくだからぁ、分からないところ教えてあげるよ」
凄みの効いた声に怯む素振りすらなく、リーダーの男に笑いかける。その目には先程まで届いていた光はなく、周りの喧騒も二回りほど小さくなっていた。
「考えもせず答えを強請るなんて、ほんと凡骨って図々しいな~」
「いい加減にしろよ!そのぼん…ってなんだ!!」
「凡骨(ボンコツ)はあなた達人間を指す名称。凡楽園(ボンラクエン)っていうのは、所謂人間の生きる世界のこと。私たち天吊(アマツ)がそう呼ぶの。因みに天吊っていうのは天使のことよ。覚えなくっていいからね?どうせすぐ忘れちゃうんだから」
「はぁ?じゃあなんだ、お前は天使だって言いてぇのか?」
「まぁねー。追放されてるけど」
いじけるように目横の髪をくるくるとねじる姿に、弱点を見つけたハンターの如く、染慈を畳み掛けようと不良たちが野次や馬鹿にした笑い声を飛ばし一斉攻撃を仕掛ける。
「じゃあおめぇも俺たちぼんこつ?と一緒じゃねぇか!」
「天国から追い出されるとか俺たちより頭ヤベェだろ!とんだ電波ちゃんじゃねぇか!」
「そのカッコはあれか?人間に紛れる為のコスプレでちゅ。ってかぁー?痛すぎだろぉぉ」
「完全に沸いてんなぁ!制服着たイカレ女が優等生ぶってんじゃねぇ!」
その場にいたら耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言が巨大な塊となって染慈に投げつけられていく。助けを求めようにも、ずいぶん前から騒ぎを察知していたお客たちはすでにいなかった。
まっすぐこちらを向いて黙っている染慈に、勝利を確信したリーダーは脇にいる仲間に声をかけた。
「おい。あの女から財布取ってこい。ついでに一発くれてやれ」
指示された男は小さく頷き、指を鳴らしながらニヤニヤと染慈に近づく。そして染慈と向かい合うように立ちはだかると顔を覗き込むように前かがみになる。
「ちょーーーっと俺らの事舐めすぎだわ。ウチ、女だからって加減とかしねぇから、悪く思うなよ?」
目前の男が見えていないのか染慈はピクリとも動かず立ち尽くしている。
その姿を訝しげに感じるも男にとってはどうでもいいことだ。首を回し筋肉をほぐすと拳を構え力を込める。
「んじゃ、死刑執行ー!」
思いっきり放った拳は、確かに染慈の顔面を捉えていた。はずだったが、倒れたのは男の方だった。
「あ?何やってんだテメェ……」
リーダーは自分の足元まで吹き飛んできた仲間を見下ろす。男は完全に気絶し白目を向いて倒れている。後ろで騒いでいた有象無象も、突如訪れた静寂に息を呑む。
「お子ちゃまが頑張ったってただの猫パンチなんだよ。暴力の使い方も知らないなら不良やめたら?」
染慈は微動だにせずこちらを向き続けている。それなのに仲間は吹っ飛ばされた。
「なんなんだ……あの女……」
染慈に会った時から。違う。
男を突き飛ばした時から、目の前でずっと理解出来ない現象が続いている。
得体の知れないものに出会う時、それが触れてはいけないものだと気づく頃には大体が手遅れである。そう。もう手遅れなのだ。
背中につーっと、汗が流れていく。その感覚が現状に追いついた脳の出す危険信号だと理解するのはあまりにも遅すぎた。
躍起になった数人が雄叫びを上げながら得体の知れない恐怖に立ち向かっていく。その間も染慈はただじっとしたまま、時折ピンク色の大きな瞳が頭上を見上げるだけ。
体格も力も”普通”の女子高生と比べれば遥かに上回っているはずの男たちが、バタバタと床に伏していく。果敢にも立ち向かった最後の一人は、自分が指示を出し床に転がっている仲間と同じように真横を通り過ぎて飛んでいく。
「ふ、”普通”じゃねぇ……マジでイカれてるんだ……」
言葉にしないと《怖い》と身体が理解できないのか無意識に漏れた声は震えてしまう。
目の前でにっと上がる笑みに、開かれたままの瞼。そこに映る怯えた自分の顔。
「ちょっとはしゃぎすぎじゃない?ここで見つかるとめんどくさいから場所を変えるね!」
ーーそして廃工場での乱闘に至る。
リーダーとゲームセンターで動けずにいた残党たちが対峙し、清々しいほどわけも分からないまま倒れていく。そして自分も早々に倒れてしまいたいのに、足が動かずひとり残ってしまうリーダーの男。積み上がったガラクタの上に座り退屈そうにこちらを見つめる少女。
「あなたは人間としての素質はなかなかあるみたい。とっても素敵!」
「んだよ!……な、何が言いてぇ?」
ドタバタと数多の足音が響き砂埃が舞っていた空間は染慈とリーダーの声しか反響しない。虚勢を張る事に慣れているからか、相手よりも大声で返答してしまい余計に平静を保てない。
「本当はとっても臆病なのに、群れの中でなら安心して威張れる。あなたは、不良=強い集団のイメージに紛れて中身のない強さで見栄を張ってる臆病な人」
「う、うるせぇぇぇぇえっ!!!知ったような口利くんじゃねぇよ!俺は強いんだ!人だって物だって壊せる!力だってある!俺はっ……おれは」
「だからお子ちゃまだって言ってるの。ただでさえそういう弱い心が隙間を作ってる、って自認出来ないんだから付け入られても文句は言えないよねぇ」
「うっせぇ!黙れ!ぶっ殺してやる!上等だおらぁあっ!!!」
震える足に涙目の男はカタカタと歯を鳴らしながら拳を構える。あけっぱなしの口からヨダレがぽたぽたと垂れ瞳孔は見開かれたまま染慈を一点に映し出す。
1歩、また1歩、進む歩が徐々にスピードを上げていき禍々しいオーラを放ちながら染慈へ突進する。
「心があるっていうのも素敵なことばかりじゃないのかもね……。はぁ、やっぱりめんどくさい」
物憂げに目を伏せると、諦めた様子で正面に向き直る。そして真っ直ぐ向かってくる男としっかり目を合わせながら息を吸う。
「Richter(リヒター)」
空間が一気に歪み、血より鮮明な赤が廃工場を隙間なく塗っていく。
「相当怒らせちゃってたみたい。ま、いっか!」
いたずらに肩を竦めると、もう数メートルまで迫っている”男だったもの”にバク宙蹴りを放ち、後方へ距離を取る。
「ねぇ!フューレア!!この子、あなたの獲物だったみたい!あとはよろしく~」
染慈がうねうねと揺れる天井に向かって声を放つと廃工場の窓がバキバキと騒ぎ出し一気に砕け散った。
「まったく……地逢(ジホウ)遣いが荒いったらないねぇ!」
鋭い爪と牙を持つ熊に似た化け物が上半身を起こした瞬間、脳天をめがけて真っ黒な塊が上から落下し再び化け物は倒れてしまう。
「ごめんなさーい。って!天使が悪魔に謝るってどういう状況なの」
「協力関係であっても、庇えない無茶は厳禁だって約束したでしょ?」
塊は高速回転しながら竜巻のように縦に伸びていき、人の形に変わった。そして下敷きにしている化け物……先ほどまで不良のリーダーだった男の胸元に光る、金色のハートマークを確認すると困った顔のまま足を振り上げた。
「染慈。こういう無茶はもうたくさんだからね」
「分かってるってばぁ……フューレアさん、お願いしまーす……」
お説教をくらい気分が露骨に落ち込む。フューレアと呼ばれた悪魔は呆れたようにふっと笑うと、振り上げた踵でハートマークを壊した。
「学校へ行くなんて退屈すぎよ……というか、明日を入れたら実質8日間じゃない」
廃工場での乱闘の後、染慈はフューレアにこっぴどく叱られペナルティを課せられた。
「いいかい染慈?明日から一週間、高校に休まず登校しなさい。凡楽園にいる以上、ここのルールにもきちんと倣わないとねぇ」
「えっ⁉一週間も行かなきゃなの?今回のってそんなにダメだったわけ?」
「ワッハッハ!ダメじゃないさ。一人助けてただろ?骨を折られてた子」
「じゃあどうしてっ」
「凡楽園(ここ)に来てからずっと一人だろ。高校生になってるんなら学校に通って友達の一人や二人作ってきな!」
「私には必要ないものよ!絶対いーやっ!」
「尊愛 染慈(みことめ せんじ)。約束ができない以上、協力関係はここまでとなり貴女の存在を天ノ世(アマノヨ)へ密告いたしーーー」
「承知致しました!フューレアの提示した条件を守り、一週間学校に通います!」
「それとぉ~?」
「んーーー!友達二人、作ります……」
「よろしい!気楽に楽しんできな!ワッハッハ!!」
他人事だと思って随分と粗雑な誓いを立てたものだ。
訳あって凡楽園に身を隠している天吊(アマツ)の染慈と、地逢(ジホウ)のフューレアはお互いの存在を守ることを条件に協力関係を結んでいる。
天使や悪魔に年齢という概念はないものの、面倒見の良さと悪魔のくせに悪魔にそぐわない底抜けに明るい性格から毎回フューレアの言う通りになってしまう。
8日間の登校初日。
全く来ていなかったわけではなく、街で退屈を潰せなくなるとしょうがなく登校したりしていた。
「おはよう尊愛さん。休んでいた分のノートと課題、渡しておくわね」
「ああ。どうも~」
クラス委員長の微美野杏樹が、時間割を確認している染慈に声をかけてきた。微美野が苦手な染慈は、一度顔をみやってから愛想笑いと返事をそっけなく返し時間割の確認に戻る。
「そうだ。今週末、国語のテストがあるから分からない所は聞いてくださいね。尊愛さんには必要ないかもしれませんけど」
微美野は染慈の態度が気に触ったのか、少々トゲのある言葉を残し去っていく。
「要らない世話を焼くと、中身がバレちゃうよー」
席へと戻る微美野の背中に向かって聞こえない声を投げる。
気に食わなければすぐに苛立つくせに、普段は大人しく振舞って善人のフリをする微美野の態度や話し方がどうにも気に食わない染慈は、教科書を用意しながら、朝礼前の憂鬱な気分を紛らわすことにした。
昼休みになると野に放たれた家畜のように、はしゃぎ回る生徒で遊具やグラウンドがひしめき合う。久々の登校だからといって楽しみがあるはずもなく、面倒と騒音にふて寝をかましたい所なのだが……。現実は許してくれなかった。
「尊愛ー。渡さなきゃならんもんが溜まってるから、昼休みに職員室まで来なさい」
出発に躓くと一日中嫌な事が続く気がする。
素直に従わなくてもいいのだが、フューレアにバレたらそれもまた面倒なので大人しく職員室へ向かった。
「お前に渡す書類だけで教科書1冊作れそうだなー」
「取って置かないで捨てたらいいのに」
「ダメだ。元はと言えば尊愛がきちんと学校に来て、受け取ったらいいだけの話なんだから。途中で捨てるなよ?」
「……はーい」
とっくに過ぎている行事のプリントから、提出期限が明日までの課題、興味ないクラス通信。次々と染慈宛のプリントで山を作っていくのは、担任の井田原だ。
ぶっきらぼうな物言いだが生徒思いの優しい先生だ、とクラスの女子たちが噂していたのを思い出したが染慈にとってはこれっぽっちも興味がない。
モタモタ準備している井田原に『渡す必要がある書類なら予め束ねておけ』……なんて言葉をかける想像をしながら横目に髪をくるくると回し大人しく待ってあげる。
「あーそういえば選択課題が……鬨鳴先生!少しよろしいですか?」
この教師、生徒と言えど人を待たせておきながら別の人間に声をかけて放置するなんて、勝手が過ぎるのでは?
染慈は喉元で待機している言葉を宥めながら、イライラと怒りを落ち着かせる。
「はい、なんでしょう?」
《鬨鳴先生》と呼ばれた女性は、コツコツとヒールを鳴らしながらこちらに近づくと2人に軽く会釈をする。
ブロンドの長髪に、ヒールを除いたら自分より少しだけ背の高い細身なスタイル。
引き攣って笑う顔が気になったが、井田原は気に留める素振りもなく家庭科の課題について話している。
「わかりましたー。ありがとうございます」
「いえ。提出が遅れる分には構いませんので、何か一つ作品を作ってください」
「甘やかしちゃダメですよー。尊愛は出席日数も足りてないんだから、出された課題くらいちゃんとやれよ!」
美人と話している喜びからか、自然と口角が緩み背筋を伸ばしていかにもな指導をしている井田原がやけに滑稽に映る。
「私やらないなんて、一言も言ってません。出席も学期の最低出席日数は足りているはずです。無駄な授業を受けなくて済むから、課題くらいならいくらでもやりますよ」
「なっ、なんだと⁉」
染慈のカウンターに怯んだ井田原が誤魔化しの大声を張る。一本調子の人間との会話はやっぱり退屈だと辟易していると、近くから視線を感じる。何か言いたげな雰囲気に顔を上げると鬨鳴とばっちり目が合った。
彼女は驚いた表情で染慈を見つめると、今度は動揺したように目を泳がし、目線がだんだん下へ下へ沈んでいく。溜息と一緒に目をつぶる様を観察しながら、染慈はある気配を感じ取っていた。
(この人なんか不思議……匂いがしない……)
重たい書類とスカスカな説教を押し付けられ、染慈はようやく解放された。
「関係ないおしゃべりなら独り言でも言ってればいのに」
大きめの紙袋二つ分を渡され残りは後日、などとふざけて笑う井田原に朝礼ぶりのムカつきがこみ上げる。持ち上げる力もなくなり、紙袋は廊下をズルズルと滑っている。
「大体!か弱き乙女に持たせていい量じゃないでしょ!全部スタートが最悪だったからね!ほんっとムカつく!微美野あっ」
左肩にどん、と衝撃を受け歩みが止まる。
「ごめんなさい!ケガはない?」
焦りの混じった優しい声と、細くて青白い手が上から降ってきて、自分がしりもちをついたのだと認識する。
「私も前を見ていなかったので」
厚意に甘え、引き起こしてもらおうと伸ばされた手を掴む。
「つめたっ」
ぎゅっと握った手は体温を失っているかのように冷たく、『実は凍っているんだ』と言われたら納得してしまうほどだった。
反射で離してしまったため相手の手を払い除けてしまい、謝るため起き上がるとアイスハンドの正体は鬨鳴だった。
「鬨鳴、先生?」
「ほ、本当にごめんなさい!保健室まで送ってあげたいんだけど、次の授業があるので失礼しますっ……!」
あの感覚を染慈は知っていた。
精気を感じない体温、人間特有の不に満ちたオーラ、フューレアと同じ狩るものの匂い。どれも天吊、凡骨、地逢を見分ける特徴だった。
《彼女には何かが混じっている》
職員室で感じた”不思議”の正体が、ゆっくりと蓋をあけて染慈を手招いている。
「なんだかとーーーっても面白そう♡」
そこからの一週間、もとい8日間はあっという間だった。
なにせ憂さ晴らしも兼ねたこの計画を成功させるため、珍しく下調べやトラップを用意し念入り仕込み、準備を整えていたのだから。
まず初めに同じクラスの【鵜等 灰(うとう はい)】。
今回のターゲットである彼の、抑圧された魂に刻まれた記憶から”真っ白な絵本”を採取、作成し図書室に仕込む。
次に憂さ晴らし要員の【微美野 杏樹(かすみの あんじゅ)】。
彼女がクラス委員になったのは担任の井田原を慕っているからだ。より多く会話するのために、都合のいい立ち位置を利用している計算高い女である。
意外と警戒心が強いため、ここは慎重に進めていく必要がある。
井田原に成りすました染慈からの偽ラブレターを添えて、『図書室の白い絵本に次回の国語テストの答案を挟む』と靴箱に投下。
まんまと釣れた微美野を信じこませるため、テスト当日まで愛の言葉が飛び交うラブレターでやりとりを続け、答案を渡す。
憂さ晴らし要員二人目は【担任の井田原】
これも半分おまけ。見栄ばかり張って、女の子に重いものを持たせる気配りのできない男。
彼は文通が露見した時に邪魔になるので、テスト前日に下剤を大量に飲ませ休んでいただく。”代行は鬨鳴先生にお願いしてあります”と書いたメモを教頭先生の机に置き、メインディッシュをテーブルの上に招きいれる。
そしてメインディッシュの【破坩 鬨鳴(わるつぼ ときめ)】。
混じっている何かは分からないが、人でないことは確定している謎の女教師。井田原のデスクから教員の科目別スケジュールを拝借し、5限目は鬨鳴しか空きがいないことを確認。メモの通り鬨鳴がテストを担当している。
テスト用紙を配り終わったら、仕上げにコメント入りの答案用紙を落として準備完了だ。
クラスメイトの笑えないギャグも延々と続くおしゃべりも、今の染慈にとっては幕が上がるのを待つ観客の声にしか聞こえない。
そして、ついに幕は上がる。
静かな緊張に、一枚の紙を落とす。
波紋のように広がっていくざわめき。止まらない憶測。すべてが楽しくて仕方がない。笑いを堪えるのに精いっぱいだ。
グツグツと煮えたぎる苛立ち。混乱と焦燥に揺れる髪。恐怖と喪失で解放された心。
「それじゃあ、始めますか」
染慈の言葉はクラスメイトの喧騒に搔き消えた。
だが、次に放つ言葉は本当の始まりを告げる合図。届いた者を導き誘う魔法の言葉。
「Richter」
あなたの望む心のままに。さぁ解き放ってあげましょう。
NEXT Door ⇢
BACK Door ⇢
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?