TMR編集室日誌22.9.18|音だけの法事
先日、久々に伊豆の国市 正蓮寺へお参りした。住職の渡邉元浄さんは同世代で付き合いも長く、公私ともに仲良くさせてもらっている。時折「遊びにきなよ」とか「ちょっと手伝ってよ」なんて呼んでくれるので、その度にとてもお世話になっている。
正蓮寺では以前「おりん」の音を録音させてもらったことがあった。
Temple Morning Radioにも出演してくれている(「よかった!」と言ってくれる方の多い人気回)
その日の法事は、昼間ながら本堂のカーテンを閉めて暗い雰囲気の中で行ったそう。あとから実際に暗くした状態を見せてもらったが「しん…」と静まりかえった空気感が落ち着く。お香のにおいと、ご本尊の阿弥陀様の存在がより鮮明に感ぜられた。
カーテンを閉めたねらいとしては、明るさをなるべくおさえることで仏様の明るさ(やさしさ)を最大限に強調することが目的だそう。
正蓮寺の法事で特徴的なのは、法事の中で参加者が声をだす場面があるということ。一方的に読経と法話をして終わり、ではない。お坊さんから亡き方へ語りかけるようにして儀式がすすむ。
「○○さん(亡き方のお名前)、今からみんなでお焼香しますね。皆さんがあなたのご遺影を見つめ、あなたへお声がけする姿を、お味わいくださいね。」
すると自然と、参加者が亡き方へお声がけするような流れになるようで、この工夫が本当にいいなと思う。
「声をひきだすこと」が自分の仕事なのだという元浄さん。たしかに、普段の日常的なコミュニケーションの中でも、いつの間にか自分の「素の声」をひきだされていることがある。
そして、「かなしい時は、思いっきり悲しみましょう」というのが、お参りされる方々へのメッセージだ。
お寺の本堂を「悲しみの空間」として最大限に機能させる。そのための「暗さ」であるし、暗さに対する阿弥陀様の「光」。「お香のにおい」と「音」もたいせつな要素。
音というのは、静寂さ。加えて、壁一枚の隔たりがあっての自然音(鳥や虫の声、風が葉を揺らす音など)。あとは導師たるお坊さんの声が導いてくれる。表白、読経、法話。儀式は声がリードしていくのだから重要だ。
元浄さんの声には悲しみが滲んでいて、音楽に例えると古いブルースみたいだ。亡き方への弔いの思いを仏様にお届けする、その声。
声に耳を傾けながら、亡き方の顔を思い浮かべ、瞼の奥に思い出のシーンを描く。その時に、もはや視覚情報はあまり必要がなくなっているのかもれない。
「音だけの法事」というのを想像してみた。
家族での法事というよりは、もっと個人的な弔いの思いに向き合って、思いっきり悲しむためのスタイル。離れている人と、音だけで交わされる悲しみの儀式。
元浄さんなら、できそうだ。
※本音源は正蓮寺のおつとめの録音を編集させていただき、読経部分のみ配信しています
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