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自分を待ってあげること

自分を待ってあげること。

それは、自分を愛する最高の行為の一つ。

やりたいことが見つからない。
ホームプレイスが見つからない。
運命の人にいつ出会えるのかしら?
私の天職は、ライフワークは何なんだろう?

そんな風に、「見つからない」「分からない」がある時、焦る気持ちが湧いてきて、自分を急かしたくなる。

でも、そんな時こそ、自分を待ってあげること。

自分を信じてあげること。

春にならないと桜の花が咲かないように、物事には、それが成就するのに、必要なだけ時間がたっぷりかかることがある。

一見、何も進んでいないように見えたり、むしろ逆戻りしているように感じられる事もある。

でも、目に見えないところで、ちゃんと何かが働いている。

それはまるで、秋や冬に、桜の枝が枯れているように見えるのと同じ。
外からは枯れ枝のように見えても、ちゃんと、中では“いのち“が働いていて、時が来ると、蕾が膨らみ、花が開く。

私たちの人生も、それと同じだと思うのです。

なぜって、私たち人間も、自然の一部であり、“いのち“が働いているから。

現代社会を生きていると、頭優勢で、なんでも自分で考えて、決めて、物事を進めているような気がします。でも実は、自分の頭で決められることって、表層のほんの一部だと思います。

私たちの存在の、もっともベースの根源的なところ、つまり、生まれて、生きて、死ぬ。
それを司っているのは、私たちの思考や意志、戦略、決断、ではなく、いのちの働きです。

例えば。
生まれてから今まで一度も休まずに働いてくれている心臓。
自分の意志で動かしてるわけではない。

例えば。
人間の細胞は3ヶ月で入れ替わるというけれど、別に頭でスケジュール立てて、戦略考えて、実行している訳ではない。

例えば。
この時代に、この国に、この家族の子供として、この日に生まれてくること。
自分の頭で考えて決めた訳ではない。

それは全部、身体=いのち=自然の摂理・神秘がしてくれていること。

そんな風に、私たちの人生は、根本のところで、頭、思考、戦略、を超えた次元の、大いなる働き(=Something great)によって、できていると思うのです。

特に、とっても重要で大きなことほど、そのような、目に見えない、人智を超えたチカラが働き、その影響を大きく受ける気がします。
(本や人との”偶然の”出会い、とか)

もちろん、頭で考えて、意志でできることもあるし、そのチカラが必要なこともあると思います。

でも、それだけではないということ。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もあるけれど、自分を整え、できることを淡々としたら、あとは、自分の中で働いてくれている“いのち“(=自然の摂理・神秘=something great)を信じて、待ってあげる。

一体どのくらい待てば良いのか分からなくて、不安がよぎることもあるかも知れないけれど、そんな時こそ、信じて待ってあげる。

冬の枯れ枝状態の桜や、繭の中のサナギと同じで、いま、自分の中の“いのち“が、一生懸命、咲くために働いてくれていることを信じて、待っていてあげる。

待てずに焦って、自分を急かしてジタバタするのは、桜の枝を折ったり、繭をこじ開けたりするようなもの。
そんなことをしたら、それこそ、桜の枝も、サナギも、死んでしまう!
私たちの人生も、逆に混乱してしまう!

スピーディーで忙しない現代、SNSなどで他人の“リア充ぶり“が目に入り易い今の世の中では特に、焦らずじっと待つのは簡単ではないけれど、でも、自分を信じて、待ってあげる。

そして、自分のことをそんな風に、信じて待ってあげられる人は、人のことも信じて待ってあげられる。

そんな人がたくさんいる世の中は、なんだかホッとする、優しい世界な気がします。

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