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咄嗟にサングラスをかけ、横を向いた女性

随分と昔の話です。
ある日、ひとりの女性とデートをすることになりました。彼女とカフェで食事をしていると、人間観察、観察力について話題になりました。

ぼくがピラティスを学び始めたある時期、毎日数時間、1人コーヒーを片手に延々と周りの人たちの呼吸を観察し続けていた話(いつ息を吸って、息を吐いたのか)をしたり、その観察がどう活かされるのかなど、そんな話をしました。彼女は観察力があるという自信があり、その能力を先天的なもののように捉えていました。ぼくの後天的な努力、鍛錬することでどう観察力を高めてきたのかについて、彼女は興味深く聞いてくれていました。

今振り返っても、それは良い時間でした。

また、会うことになりました。
彼女はぼくの車の助手席に乗りました。数十分運転していると、「運転が上手いと自分で言っていたけれど、どこが上手い(と自覚しているのか)のかがわかったわ」と話しかけてきました。彼女が助手席に乗り込んだ後に、「俺は運転が上手いから、安心してね」といった軽口を叩いていたのを、言われて思い出しました。

「あなたはブレーキを踏む回数が他の人に比べて、とても少ないわね。周りの状況が捉えられているから、無駄にブレーキを踏まなくていいの」

この女性、只者ではない。そんなことを思いました。

その後、彼女と付き合うことになったものの、半年ほどで別れることになりました。時折感じる観察力と、でも彼女自身のコントロールできない攻撃的な部分、弱い部分と。彼女の観察力の鋭さは、強権的な父親から身を守るために幼少期から養われていたのだろうと、そうぼくは捉えています。才能の開花とトラウマは隣り合わせ。

嫌な思いもしましたが(互いに)、魅力的な女性でした。

偶然、会うはずもない場所で数年ぶりにすれ違ったので、書き留めておきます。お互い違う相手と付き合ったり、別々の人生を歩いているはずなのに。もうすれ違う意味もないはずなのに。さようなら、どうかお元気で。


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