昨日の続き

1日で終わらせるはずだったのに、前後編に分けてしまった。      意外と、私の歴史も書けるようなことしてきたんだと実感しております。今まで、書くことで表現することを今まで避けてきていたけれど「やる」ときめたからやり続けます。あ、今日も外は雨だな。気分くらいは上げていこう。始めるYO!(語彙の限界)             

第4章 見えてきた世界線

前章で、私の高校生活は高校野球で形成されてきたと書いた。そして、高校野球ほど優遇されている高校スポーツはないと思うとも書いた。なぜ?と聞かれたらこのコロナ禍でも高校野球ばかり取り上げられているのを見ていれば少しは分かるだろうと思う。インターハイやその他のスポーツイベントは中止になっているのに、高校野球は記念大会として地方大会や特別試合が組まれる。おかしいよね?野球部ばかりってなるよね?いや~この感覚野球部時代から感じてたんよね。本当に嫌な感覚だったよ。野球が国民的スポーツで、野球の組織って、特に高校野球の組織、日本高等学校野球連盟はインターハイを管理している全国高等学校体育連盟とは別の組織なんよね。だから、独自で選抜や選手権といった甲子園大会をインターハイと別で開催しているという現実。おかしいよね。同じ部活動なのに、対応には違いが出る。これが、違和感でしかなかった高校時代。(また、野球の話はします) 

ここで、書きたいことは高校野球への不満ではなくて、私自身が結構世の中に向けてアンテナはってたということ(自分で言うスタイル)これってよく学校の先生方は子どもたちに伝えているんだけど意外とできていない人が多いと思う。そんな大したことにアンテナを向ける必要なんてなくてせめて学校内の出来事ではなくて「外」の世界に向けてほしい。学校-家間の通学している時の10分間でもいいから行ってほしい。(コンビニの商品の並べ方とか、自転車の仕組みとか、本を1冊読むとか、なんでもいい)ちなみに、私は電車の中で働いている人たちのことを観察してました(元気な時に限る)あれ、やべーやつじゃんとか聞こえてますからね、そこの方(笑)          そんな観察を続けているときに、たまたま乗った車両の中の働いている人たちに覇気が感じられずに幽霊車両に乗ってしまったのかと勘違いしてしまうほどでした。単純な自分は、日本では働くとこうなる(幽霊)くらいなら海外で働こうと心のどこかで思ってしまうんです。はい。あの時、会った幽霊の皆さんごめんなさい。私は元気です。現在は、働いている方の苦労も理解しております。そんなこんなで将来の選択肢に世界というワードが無理やり入り込んできたのです。一気に見えていた景色が広がりました。

第5章 海外面白い

大学生になり、合コン、飲み会、クラブ、サークルなどの憧れ(?)のキャンパスライフを満喫!大学生最高!                    なんてことはしてなくて、基本的に長期休みはアメリカやフィリピン、タイ等の海外に行き国外の文化に触れていました。学期中は、資金集めの為にアルバイトをしてました。勿論、単位はしっかり取ってましたよ。初海外はアメリカで、行く場所、会う人全てに圧倒されてました。スケールが違う。何より皆楽しそうに過ごしている。これが、1番の衝撃だった。幽霊がいなかった(そろそろ怒られろ)日本との違いって何なんだろう?真剣に考えましたが、これといった解にたどり着くことはできませんでした。そして、モヤモヤしながら帰国して1か月くらいたった時に大学の先生からフィリピンのセブ島でスラム街の子どもたちと運動会を企画しているから一緒にやらないか?と誘われました。これは、先進国しか見ていない自分が途上国に行ける絶好のチャンスであり、(新たな比較対象を持つことで)モヤモヤしているものが晴れるきっかけになるかもしれないと思ったんです。ほぼその場で行くことを決めていました。セブ島では、経験したことがない体験を数多くしました。詳しいことまた後日書くことにして、モヤモヤの正体には少し近づけました。それは、人生の質=Quality of Lifeかなと。アメリカで会った人たちもセブ島の子どもたちもこの指数が高かったんだと。対して日本人はこの指数は低いのかなと。なら、この差はどうして生まれたのか?気になる~  ってことで海外にのめりこんでいくことになる。高校生の時に心のどこかで思っていた海外で働くということがリアルになっていくのです。

第6章 青年海外協力隊へ

そして、大学卒業後に海外で働くために最初に取り組んだことは英語です。高校生の時から英語は苦手で単語くらいしかまともに取り組んでなかったし、英語の資格も持っていなかったからとりあえずTOIECに向けて勉強しました。スコアは、最低限は取れました。でも、この段階では青年海外協力隊を受けることは決めておらず選択肢の1つでした。(一応、教職は取っておいた方が受けれる幅が広がるとも思っていたので履修はしてましたよ)語学留学してそのまま働くこと、ワーキングホリデーをやってみるかとか割と海外に興味のある方には割と一般的な方法を模索してました。割と気持ちもそっちに傾いていたかな~。そんな中で青年海外協力隊という存在が急上昇してきたんです。なぜか?OB・OGの方の話を聞いてワクワクしてしまったんですよね。いや、語学留学してた人やワーキングホリデーの話なんかも聞いてましたよ。でも、1番ワクワクしたのは青年海外協力隊だったんです。その後の進んでいるキャリアも多岐にわたるし可能性が一番広がると私は思ったんですよね。そこからは、応募するまでが早かったと思う。鉄は熱いうちに打てって言葉通り気持ちが盛り上がっているうちに行動しました。なんだかんだありブータンに派遣されることが決まったんです。まぁ、ブータンなんて「幸せの国」としか聞いたこともなかった国だったんですけども。(笑)  


ここまでが、私の歴史をドタバタと振り返ったものでした。支離滅裂だったり読みにくい部分もあったと思いますが最後まで読んでくれてありがとうございます。今後は、青年海外協力隊での経験やその日ふと思ったことを記事にしていこうかなと目論んでます。以上、5つの泉溢れる土地からでした。


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