見出し画像

『AKIRA』~対立というエンジンに注ぐ燃料は何か?

私がコピーライターになりたての頃、『AKIRA』の単行本が発売されました。

私はそのラジオCMを作るという僥倖に恵まれ、それまで一番好きだった漫画である『童夢』をもしのぐ迫力とスピード感を客観的に伝えるすべを模索しました。

学生の頃から大友作品の大ファンだった私は、大好きなキャラクターたちへの感情移入を涙ながらに抑制しつつストーリーの論理的な構造を冷静かつ客観的に掴むというある意味で非常に責任重大な仕事をすることになりました。

光栄至極でしたが、正直ビビリました。俺なんかがやっていいのか?

そして、あれから数十年近くが経過し、詳細な記憶が薄れた今、再読して大友克洋の『AKIRA』の重力にあらためて完全にノックアウトされてしまいました。当然ですけど。

なんといっても、世界がこれだけ激変したというのに、『AKIRA』からは未来予知的な衝撃が全く失われていない。これには本当に驚きました。

いや、むしろ、世界は間違いなくAKIRA化しているのを肌で感じました。

いろんなものに追い詰められ、頼りのシステムにはひびが入り、確実なものなんてマジでどこにもないと自覚した今、私たちはもう一度、自分のことは自分で決めるというあまりにも基本的な自由について学び直しているのかもしれません。

『AKIRA』の対立軸

さて、個人的な感想はともかく、自分の中での今回の読み直しのテーマは「対立軸」でした。

今さらながら感じたのは、『AKIRA』は登場人物同士のゼロサムゲーム的な対立関係が物語の疾走感を作り出しているということです。

アキラの秘密を追う鉄雄、その鉄雄を追う金田、アキラの覚醒を阻止しようとする大佐、軍事研究所が生み出した超能力者たち、そんな権力からアキラを奪おうとする都市ゲリラ……。

ほぼ全員が対立し、三つ巴、四つ巴になりながらゴールまで一瞬も休み無しに駆け抜けます。

しかもその複雑な人間関係に、きちんと変化が生じ、謎が投げかけられ、またそれが解き明かされるのです。

それはまさにこの強力な対立関係によって連鎖するアクションに次ぐアクションがあってこそなのだと痛感しました。

今さら紹介するというレベルの作品ではありませんが、もしも未読の方は必ずお読みください。

大友克洋といえばその圧倒的な画力に目を奪われがちですが、実はそのストーリーの緻密さ、構成の妙、視点変更のダイナミズムは、全てしっかりとした「対立軸」からの要請によって生じています。

コマとコマとをつなぐものとは何か?

何が登場人物を突き動かしているのか?

ぜひともその目で確かめてください。

大東京帝国AKIRA万歳! 『AKIRA』(大友克洋/講談社)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?