私の父は農業をしています。

私が小さい頃は畑に朝早くから夜遅くに帰ってきて土まみれで家に入ってくる父。お酒が好きで気分が悪いと2時間説教と昔の苦労話はしょっちゅうでした。短期で歯向かうものならガツンとおこられました。怒られまくっていました。そんな父がなんとなく苦手でした。

けれど、お金はないのに教育だけは、惜しまず小学校や中学校の習い事や塾には行かせてくれました。

19歳になり冬休みを利用して、私は免許センターに通い無事卒業となるときに、父は免許センターに支払うための30万円のお金を持ってきてくれました。当時、一生懸命かき集めたお金だったんだろうと。。服装は青のツナギでした。もちろん、土もついていました。畑仕事を止めてJAにお金をおろしに行ってそのまま来たんだろうと察しました。手に持っているお金はくしゃくしゃでした。

それなのに、

それが、

私にはとてつもなく恥ずかしく、免許センターで友達になった子に

「お父さん?」と聞かれ、

思わず

「違うよ」

って嘘をついてしまいました。

父には聞かれてなかったけれど、あの思い出は私の中で消えないものとなってしまいました。

厳しくもいつだって応援してくれているのはわかっていました。


そんな父ももう70歳になろうとしています。

兄妹はみな大学卒業後、公務員となり立派になったのにわたしだけ宙ぶらりんのままでした。それが申し訳なく、生きているうちに安心させたい気持ちが行政書士を目指す後押しになったのも一つの理由です。

試験に落ちても落ちても「あきらめるな」って言ってくれたけど、「簡単に言わないでよ」って怒って言った時もあるけれど、合格して一番伝えたかったのはやっぱり親でした。

一つ親孝行できたかな。って。

父は農業経営には向いているようでした。機械化も進み、今では従業員をかかえ、数えきれないほどの畑を所有しています。私がこの仕事をして感じるのは、父の相続が始まった時どうするのだろうと。無我夢中で畑を一つ一つ増やし寝る時間も惜しむほど一生懸命働いてきた父の姿を私たち兄弟は知っている。だからこそ、父が働けなくなった時のことをきちんと考えてほしい。自分の意志で畑を減らしてほしいのです。本心とすれば、今のうちに畑を少しずつ減らしてゆっくりと過ごしてほしい。

コロナ渦でなかなか帰省できないけれど、帰った時は、誤解のないよう「遺言」の話をしてみようと思う。それが父や遺された家族の思いやりになることをこの仕事で知ったから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?