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デモは「善意の道は悪意で舗装されているのか?」の夢を見るか

デモに行ってきた。
2024年3月だが何度か行われたデモはツイッターではアホかバカかと叩かれまくる訳なのだが、それなりに近いというのもあったからだ。

まぁソーニャがドゥーニャに送った手紙の如く、なるべく事実だけを書いてみよう。後半は私の個人的な恨み言なので見なくていい。

時間。
夕方5時過ぎから歩き始め、到着は6時15分頃。約1時間のゆっくり歩き。日が暮れ寒さが増した。トイレは先に済ましておいた方がいいだろう。

場所。
とある公園から開始。終了後「トークイベント」というのを企画しており、それもこの近くということだった。しかしながら、どこか1周ぐるっと回ってここに戻るのかと思っていたが終わったのはいわば反対側のよく分からん場所だった。そういうものなのか?という感じがした。私は地理に知悉してないため、渋々グーグルマップを起動して最寄りの駅を検索してしまった。

人数。
パッと見でも50人とか100人だろうか。なんだか曖昧だが、実際列を眺めてみてもよく分からないものだと初めて知った。それなりにいるとは個人的に思ったが、動員という観点ではかなり少ないという評価なのではないか。

参加者の様相。
もちろん頭を染めたクソガキ家族などいないし、ツーブロマッシュクズ男もいない。ゲバ棒持ち頭に「造反有理」と書かれたヘルメットかかぶりインターナショナルを歌う奴もいない。
――という寒い冗談はともかく、男性7割女性3割くらいだろうか。男性は比較的若い人もいるが基本的に年嵩だ。女性もしかり。中には足を引きずるような年配女性もいた。単なる印象なのだが、全体の2割はシンパ、3~4割は常連?という感じがしたがどうだろうか。残り、といっても適当すぎるが、私のようなネットを見てフラッと見てみるか、という層だろうか。むしろ私のような何も持たずに歩く人の方が少ない気がした。
またこれは書いておきたいが、妙ななれ合いの雰囲気もない。私のような一見さんでも別にどうという事はなかった。

警備の状況。
私が最も見たかったのはこれかもしれない。規模的にそんな大層な大名行列ではないが20~30人ほどの警官がいた感じである。不思議だがどこからともなく現れいつの間にか消えていた。10人程度かもしれない。
場所的に大路を横断するためむしろそっちの方が警官としては気がかりなのかもしれない。つまり何が言いたいかというと、騒ぎがどうとかという点ではないということだ。そういう意味では大人しすぎる行儀のいい行列だと思われているのだ。

傍観者の雰囲気。
これはあくまで個人の感想だ。
まず思い知ったのが、傍観者の無関心という強烈な痛々しい視線だ。
2人以上連れのものは大抵は顔を見合わせて笑う。1人の者は、何事かと見るが目をしかめる。またある1人者は目を逸らす。これは意外と多かったのだが、まるで陸に打ち上げられたサカナのように口を半開きで見てる人だ。
またそれなりにいるのが徐にスマホを取出す人なのだが、何だか笑いながら、である。
一体何が楽しいのか。何が面白いのか。まったく笑えないから良い年した大人が寒空の下、トボトボ歩いているのだ。
そう、それはまるで仮装したサルの群れを見てるようなものなのだ。
昔から政治の無関心とは言われているが、実際ここまで白眼視されるとなるとかなりいたたまれない気持ちになった。
不思議な事だが、傍観者というのは私とか特定の誰かを見るのではなく、そこにある全体をぼんやり眺めているような感じがあった。

余談的かもしれないが、人は靴を見ると階層が分かるというのがあったりするのだけど、大概は擦り切れたようなスニーカーである。

シュプレヒコール。
中には鳴り物で声を出す人もそれなりにいるのだけど、ややおとなしめという感じである。例のラップ調なのだが、実際に見てみると中々体力のある人間だと思う。暖かい部屋でぬくぬくと美味しい物食ってるという感ではなかった。
3500万のくだりで若干の笑いが起きてたのも悪くない。
もちろん下馬評も分からなくはない。
しかし不思議なことだが、そういう雰囲気につられて私も声を上げそうになるのを感じて意外な気がしたのも事実だ。

個人的総括。
敢えて政党や個人名を出さないのは特に誰かに薦めようとしないからであり、偏った意見は慎むべきだと思うからだ。しかし冷やかしや遊びで行ったわけではない。

私が知るのは、天皇に直訴した事、元お笑い芸人だという事くらいだ。しかし一方で維新の吉村橋本が武富士アイフルなどの消費者金融の弁護士をしてたことも知っておくべきことだと思う。古文漢文なくせとかいう頭の悪い発言をする議員もいる。どっちがまともじゃないかというと、実はどっちもまともじゃないのである。
そして残念ではあるが、言ってることが実現するともまったく思えないし、今更万博をやめろと言っても必ずやるのだから。何もかもが徒労。そんな気さえするものの、一方では何か大きな怒りも同時に存在していて、複雑な感情に囚われた。
国会の切り抜き動画などを見た方は分かるのかもしれないが、フリップを使う分かりやすい説明、対面する自公官僚の渋いツラ、横にいる高市のイヤそうな顔など、わりと見どころは多い。雰囲気的にネットではそれなりの評価はあると思うのだけど、しょせんGAFAプラットフォームに依存した動画など、3秒で忘れられてしまうだけのものでしかない。

先ほど少し書いたが、痛いまでの傍観者の視線が私には怖かった。無関心とかそういうレベルではない。もう定食屋のゴキブリの如く見られている気すらしたほどだ。
言うまでもなく大阪は維新自公という連中の票田である。エッフェルなんちゃらさんも大阪に地盤がある。そんな大阪で消費税減税とか言うなんて、まさに自殺行為であって何のメリットもない。これは別に大阪ではこれらが強いというのとは関係のない話しだ。というのも先ほど触れた傍観者らの冷たい視線、哀れなものを見るかのような薄ら笑い、まるでいじめっ子がいじめをしながらニヤニヤ笑うような目線を投げかける大阪人に対し、その代表はよく耐えてるなとすら思ったのだ。
ちょっと想像して欲しいのだが、みなさんはそんなことが出来ますかね?
そりゃネットで顔も名も出さずくだくだ述べるのは誰でもできる。私だってできる。しかし顔出してそんな目線に晒されながら実際にそんなことが出来るだろうか。
むろん買い被りかもしれないし、必要以上にどうこういうのは止めておく。
こんな小規模なデモですら、大阪人の冷淡な性格、こすっからい意地の悪さ、カネと権力におもねることしかできない卑屈さ、すぐに他人を見下す性格の悪さが浮き彫りになってしまう。
よく人情の町とか言うけれど、一体どこに人情があるのか私にはサッパリ分からない。そりゃネットでバカにされるわけだ。つまり例えば船が沈みそうになった際、大阪人を飛び込ませるには
「阪神が優勝しましたよ」
と言えば自殺してくれるという奴だ。もうね、どうしようもないのである。
本当に人情があるなら、たった一人でも応援する人がいてもいいではないか。いや、これは逆に罵倒されないだけマシだったのか?むしろ維新や自公に雇われたギャングに襲われた方がマシだったのか?
先にも書いたが非常に大人しいまでの行儀のいい行列である。足の弱そうなおばちゃんもいるくらいだ。しかもこれは環境がどうとか阿部がどうとかいうissueではなく、我々誰もが毎日払っている消費税に関することを主体とするデモである(と私は解釈した)。

ちょっと色々書こうと思って書いては消しを繰り返しているのだが、

#169 イタリア農家抗議デモに参加してきました
https://www.youtube.com/watch?v=rPsLe7T5tOs

というのを見ていて少し気づいたことがある。(まぁ動画云々は控えておく)
というのは、こういうのをマスコミは一切報道しないというのがあるようで、なるほどこのデモを調べても「迷惑」だとかのネガティブキャンペーンらしきものが数個あるだけ。マスコミも第4権力と言われるが、結局政権に不都合なことは一切触れないという態度だという事である。

ルソーの社会契約論をあらためて読むのだが、一にして不可分の共和制など分かったような分らん用語が続く。我々は王と契約してるのではなく、社会と契約してるらしい。なかなか手強い。
冒頭の絵はバスチーユ行進のものだという。主婦らは重税と飢えで死んでいくことに反抗したのである。ディケンズの「二都物語」の方が理解しやすいかと思い再読するが、革命がいかに残忍で暴力的かがこれでもかこれでもかと書かれている。また一方で、貴族僧侶らが英国に亡命するにしろ、干し草に逆さに埋まって逃げたとか、召使のコックの服を脱がして逃げ出した僧侶のことなどみっともない姿も書かれている。
この抽象的な社会契約という考え、こうした思考の下支えがないと恐らく議員というのは出来ない職のハズである。そうした考えまで及んでいるのか私には分からなかった。

ともかく「皆様お疲れでした」と言いたい。誰も褒めてくれないがそういうことを思ったのだ。

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