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反知性主義者の大阪人の散歩 その2「愛染保育園と石井十次」


大阪は日本でも特に反知性主義の群れである。
文化と言えるものが何もない。心斎橋のような今どきの通りは大資本に侵略と略奪に蹂躙されるままでどこの都市でもあるようなテンプレ通りであり、新世界などは串カツまみれで道頓堀はシャツ姿の男が無様に照らし出されているという地獄のような街である。デカいカニやフグなど勘弁して欲しいと素で思っている。
最近、文化資本という言葉をチラホラ耳にする。これは教育格差とか親ガチャという言葉と混ざり合いイヤなニュアンスを含んでいるけれど、単なる懐古趣味や通俗趣味という好奇心では済まされない。これは次代に何を残すのかという問題なのだ。
子は親の背中を見て育つというけど、私には見るようなものは何一つなかった。彼が残したのは薄汚い血だけで、何一つ文化、教育、生きる上で大切なものなんて何もなかった。
ハッキリ言うと、大阪に生まれた人間なんて大概こんなもんである。


彼は、残念ながら大阪人ではなく薩摩の人だ。
名を石井十次という。

岡山では有名な人物で、どういう訳か分からないがこの地には立派な人が多い。彼はキリスト教を読み医学の道を志したが、ふときっかけで貧しい母子を預かることになり、
「二人の主に仕えることはできない」
と医学書を焼き捨て孤児を預かることを始めたというのである。濃尾地震や(濃尾地震は芥川が書いていたはずだ)東北の飢饉での数千人の孤児を預かっていたというのである。

さて大阪のオタロードは今はアニメ屋とコンカフェ嬢が夜な夜なイリーガルな呼び込みをするなんだかやつれた後家みたいな寂しいところであるが、その頃はドヤロードであった。要するにスラムであって、この辺りから西成のあたりまでの一大スラムの一角だった。
大阪のスラム街についてはなんだか書くべきことが多すぎて私には手に負えないが、ここはギャンブルやキャバ嬢に入れあげ借金まみれになった人だけが来たわけではない。戦後は長崎や広島の原爆被害者の隠れ場所にもなっていた。そういう事を知らない人は余りに多い。ここでの被爆者手帳を持った老人の言葉は戦後の責任をほったらかしにしてきたあらゆる日本の怠慢を非難している。

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実はここを訪問してみた。
それは午後、子供を迎える人がチラホラいる時間帯で、こういう場所に縁がない私にはややハードルの高い場所だ。周囲を見ると鉄工所らしきものがあり閑静とは言い難い。建物の一部が蔦がかかっていたが、別に普通の保育所である。
忙しい時間帯ではないと信じたいが、応対してくれた方が親切でホッとしたのを覚えている。

「ここって石井十次という人が作った保育所ですよね?」
やはり場違いな質問だったかと若干後悔したがどういうわけか丁寧に説明してくれた。
「ここが大阪で最初の保育所で、石井十次が建てたものです。別室には石井の資料などもありますよ」
余りに丁寧な対応で恐縮の限りで、冷や汗ものだった。しかし一方で、なんと言えば良いのだろうか。私はまずこういう場所を知ることの重要さ、そしてある意味心を揺さぶる体験だと思ったのである。

「ここにできたのは、ほら、そこの阪神高速の所が昔は川で、石井が大阪に来た時にたまたま母子が飛び込もうとしていたのを見たのだそうです。その橋の名前が愛染橋でそれが由来になっています。」
こういった話を聞くことが出来た。
その資料室に関しては、事前に電話で言って欲しいということであった。もちろん今は例のウイルス騒ぎもあるしそういうことは仕方がないだろう。
彼は1000人以上の孤児を預かり、2階では簡単な寺子屋のようなこともしていたという。

彼が影響を受けたというルソーのエミールである。
少し読んでみた。これはいわば当時の貴族や大ブルジョアに向けて書いた教育パンフレットである。なんと言うか、、、例えば、子供の教育は都会でするべきではなく豊かな大地のある場所で育てるのが良い、ということなどが書かれている。子供はまだ理性を持つ前の状態である。理性と簡単に言われるこの一言も我々日本人には難しい概念だ。都会で美味しいものを食べたいだけ食べ欲しがるものを与えられた子供は他人を平気で傷つけ自分の思い通りにならないと機嫌を損ね暴れる手の付けられない人になってしまう。これでは理性を持つとは言えないのである。
エミールと言うのは彼が付けた架空の子供の名前で、彼がエミールと名付けた子をどう育てるかを考えていたようだ。彼のなんだか相矛盾する教育観は、まあウィキなどで見てもらえば良いだろう。
私が読んで感じるのは、今の庶民、いや、結婚して子供を持てること自体今ではGiftedというニュアンスがあるし言うのは困難だけど、例えばスマホとコンビニだけあればよくてそれでブクブク太ったクソガキがそこら中にいるのを見るに、結局詰め込み教育だの新幹線授業だのはたまたゆとり教育とか色々やったところで、学校のlineいじめだの拡大自殺だのわけわからん事件だらけが起こるのを見るにぜーんぶ失敗してるんだと思う。

ナチスの親衛隊にヒムラーという男がいた。
彼はナチスのアーリア人至上主義から更に進み、男は何代もの家系図で純血種であることを証明させ健康で身長170以上見た目も良いドイツ人だけを選んだ。女も美人で健康で子供を4人以上産める人だけをドイツ人とした。農学を学んだ彼は、
「品種改良をやる栽培家と同じだ。かつては立派だった品種も雑草と混じると質が落ちる。それを元に戻して繁殖させるわけだが我々はまず植物選別の原則に立ち使えないと思う者、つまり雑草を除去するのだ。」

功利主義の行きつく先がファシズムだとすれば、不要とされた人間は真っ先に収容所に入れられ、出るには煙突から煙にならなければならない。近衛文麿がヒットラーのコスプレをしてたように、日本人があの戦争で示したのは人の命より優先する国体というものがあって、天皇崇拝、教育勅語、軍人勅諭が簡単に心に入り込み狂気に沈むことだった。それは無限の同調圧力であって今なお学校、職場、人間関係など至る所に張り巡らされている。ここでは人が目的ではなく手段としてしか見られない。これが、、、とにかく戦後我々が行きついた成れの果ての姿である。

人を目的としてだけ見る。
アイツは金儲けのネタになるから近づく。自分を儲けさせてくれるから雇う。あの女はヤれそうだから声かける。こいつは言う事聞く都合の「良い人」だから顔見知りになる。あの女は金持ってそうだから近づく。あの上司にこびへつらうのは毎月の給料のためである。
これが大人の世界である。すべてが損得だけで成り立っていて、あるのはせいぜい義理人情くらいだが、それもあらゆるしがらみから解放されず鎖で繋がれている。
人を手段ではなく目的で見るという事がどれほど難しいか分かるだろう。

私は石井と言う人を、人を目的として見ることのできた数少ない人だと思う。単に孤児が可哀そうというセンチメンタルでやや自己満足を含んだものではない。ラスコーリニコフは数世紀に一人殺人しても良い英雄が生まれると述べたが、逆に言うならば、人を目的として見ることのできる人こそ数世紀に数十億人に僅か一人か二人しか出てこないのではないかと私は思う。
世の正義は言葉だけの妄想に過ぎないのかもしれないが、極々稀にこうした人が生まれることも知っておいた方が良いと思うのだ。

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