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ゆっくり歩け、たくさん水を飲め




今日はフランス滞在中に訪問した生産者の、特に印象的だった言葉について書かせていただきます。



フランスでの生活にも随分と慣れてきたころ、幸運なことに知人から車を譲り受けることになりました。
翌月に帰国を控えた知人が処分しようかと検討していたものを、ご厚意で破格にて譲ってもらう事になったのです。

生産者を訪ねようにもお世辞にも交通の便は良いとはいえず、それまでは都市部での試飲会やよっぽど駅から近くない限り、車がなければ蔵の訪問は叶いませんでした。

こうして行動範囲が一気に広がった私はまるで水を得た魚のように、これまで足がないからと諦めていた生産者への訪問に明け暮れます。
数日後から研修が始まるので、最後にどうしてもお会いしたかったアルザス地方のジュリアン メイエーの当主であるパトリックに訪問のアポイントを取りました。

少し気難しい方と聞いたのですが実際はとても穏やかで、月並みな言葉ですが少年のように目を輝かせてワイン造りへの想いを熱く語ってくれました。

「わら一本の革命」で知られる福岡正信氏に影響を受け、長年に渡り不耕作の農法を実践する当主パトリックの「土」に関する話はとても興味深いものでした。
直前に訪ねた別の生産者からも土の扱いはパトリックに教わったと聞いていて、醸造の話に花が咲く他の生産者と異なった見解は、難しいながらもとても刺激を受けたものです。

それに加えてもうひとつ印象的だったのは、彼が常に「リズム」の話をしていたことです。  

『人にも、葡萄にも、畑にも。それぞれのリズムがあって、それを尊重しなければ良いものは作れないんだ。
単純な畑作業ひとつをとっても、その時に葡萄が何を求めているのかと耳を傾けることが大切で、そのうえで自分のリズムと共鳴しあってこそ意味のある仕事になるんだ。

だから私は決して畑にストレスを持ち込まない。そういった些細なことから軋轢が生じて、全てのリズムが崩れてしまうのを何よりも恐れているからね。』


この頃の私はフランス語を流暢に話せはしないものの、ある程度の聞き取りは出来るようになっていました。
独特な言い回しを用いるパトリックの言葉をどこまで正確に理解できたかは分かりませんが、他の生産者とは少し異なった観点とそれを受けての畑のスピリチュアルな佇まいは、実際に彼の蔵を訪問しないければ知り得なかったことでしょう。

畑を歩きながら咥えた煙草を捨てるパトリックに驚いて、

「畑に吸殻を捨てちゃってもいいんですか?」

と尋ねると、彼は少し笑って

『畑にストレスを持ち込まないって言っただろう。
私が煙草を捨てるリズムもまた尊重しなければならない。
そんな関係性で何十年もやっているのだから、たいして気にすることじゃないよ。』 

偏り過ぎた思想は時として危うさを孕んでしまうかも知れないけれど、彼のように自然体でいるということが、長く走り続けることの秘訣であるようにも思えました。



週末以外は一人で切り盛りしている私のお店は比較的ゆったりとしている時間帯と、ご来店が重なって賑やかになっている時間帯とで、同じお店でも混雑具合で随分と違った雰囲気になります。

基本的にはお酒中心の提供とはいえ、注文や会計が重なったりするとどうしても慌ててしまいそうになりますが、そんな時こそ自分のリズムを崩すまいと自律しています。

お客様を待たせてしまうことは事実ですが、主導権はこちら側にないと小さなミスが積み重なって更に迷惑をかけてしまいます。
そういった自分自身の至らなさへのストレスがお客様に伝わってしまうよりは、ひと言添えた上でお待ちいただいて精一杯の接客を心掛ける方が、結果として相互の満足度が高まると考えるからです。


長くお店を続けておられるご同業の先輩も、その秘訣は出来るだけストレスを溜めずに自分のペースを維持することだと仰っていました。

パトリックが長年に渡って自然なワイン造りを貫くにあたり彼が大切にしている「リズム」の話の伏線の回収が、自分で店を構えてようやく出来たのかなとその喜びを噛み締めました。




先日久しぶりに読み返した小説にとても印象に残る台詞がありました。


『ねぇ、誰かが言ったよ。ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲めってね。』


自分の信じた道を歩き続けるには自分のリズムを決して崩さないこと、そして常に好奇心をもって何かを吸収し続けること。

作中で用いられた意味合いとは異なるかも知れないけれど、その解釈は人それぞれで良いと思うし、何事にも当てはまるとても深い言葉だと思っています。



エチケットに潔く「NATURE」と冠されたシルヴァネール主体の彼の代表作のひとつ。

美しい酸味と端正なミネラルが印象的な白ワインですが、お世辞にも安定した酒質とはいえず、飲む度に違った印象を受けたりボトルを通して様々な表情を見せてくれるなど、いい意味で非常に起伏のある一本です。

その上で、まるで岩清水のようになんのストレスもなく身体に沁みていく旨さも持ち合わせています。

“好きなワインを一本だけ挙げるとしたら?”

の問いには、迷わずこのワインを選んでしまうくらいに思い入れがあって、器用ではないけれど真っ直ぐなパトリックの人柄をそのままに表した写鏡のような、そんな親しみやすさすら覚える大好きなワインなのです。

ワインにも、注ぎ手にも、飲み手にもそう。
それぞれにリズムがあって、それらが見事に重なりあって美しいハーモニーを奏でられた時に、初めて感動が生まれるものだと思っています。


今はキュヴェ名もエチケットも変わってしまって、もうこちらのワインをいただくことは叶いませんが、セラーに残った最後の一本を大切に飲みながら彼の言葉を思い出しました。

いつの日か再び彼の蔵を訪ねることがあったら、あの時の言葉を今も大切に自分のリズムで歩き続けているよと、彼とグラスを交わしながら伝えたいものです。




一本のワインとの出会いが、その後の人生を大きく変えてしまうかも知れない。
そんなワインに人生を狂わされ、現在進行形でワインに狂わされ続けている小さなワインスタンドの店主の話。

日々思うあれこれや是非ともお伝えしたいワインに纏わるお話を、このnoteにて書き綴らせていただきたいと思っております。

乱筆乱文ではございますが、最後までお読みいただきありがとうござました。 

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